2-2 蠱毒の森

「本題に入る前に、イルドライドが現在抱えている、国王の跡継ぎ問題について話してもよろしいでしょうか。このことは今回の事件にも、そして『石化王子』にも密接に関わってくる事柄ですから」


 テセラが言うと、ワトソンも事情を知っているのだろう、「それがいい」と同意し、ホームズも「わかりました」と頷いた。


「はい」テセラは会釈をしてから、「我が国イルドライドの現国王であるラヴォル王は、十年前に王妃を亡くされました。亡くなった王妃は民間の貧しい農家の出でして、ラヴォル王は周囲の猛反対を押し切って結婚、王室に迎え入れたということで、当時は随分と国内を騒がせるニュースになったそうです。そういった経緯で結ばれたこともあるのでしょう、ラヴォル王の亡き王妃に対する想いはことのほか強いものがあり、以来、新たに王妃を迎え入れることはないまま現在に至っています」

「身分の差を超えた大恋愛か、映画みたいですね」

「えいが?」

「ああ、いや、何でもありません」ホームズは両手を振って、「続けて下さい」

「はい。ですので、周囲もラヴォル王が新たに王妃をめとらないことについて何か言うことはなかったのですが、ひとつ問題がありました。お二人の間に子供が授からないまま、王妃が先立ってしまったということです。加えて、ラヴォル王は姉と弟の三人きょうだいだったのですが、そのうち弟君おとうとぎみのリートワイズ様はすでに亡くなっています」

「王座に就く人間は男子に限るという決まりでもあるのですか? だから、お姉さんには次期国王となる資格がない?」

「いえ、確かにイルドライドは男子に王位継承の優先権がありますが、あくまで優先であるというだけです。やむを得ない事情があれば女性でも王位に就くことは出来ますし、過去にそういった例もあるそうです。とはいえ、ラヴォル王の姉君――レイチェット様というお名前です――の王位継承順位は、現在はかなり後ろのほうになっています。と言いますのも、姉君と亡くなられた弟君は、お二人とも男子を授かっているからです」

「その男子、現国王であるラヴォル王にとっての甥のほうに王位継承の優先権があるということですね」

「おっしゃるとおりです」


 今までの話をまとめると、以下のとおりとなる。

 前のイルドライド国王は三人の子供を授かった。長女レイチェット、長男ラヴォル、次男リートワイズの三人である。

 王家代々の定めに従い、長男のラヴォルが次期王位に就くこととなる。イルドライド王国では――イルドライドに限らず、ほとんどの国家でも同じように決められていることだが――男子に王位継承の優先権があるため、長女のレイチェットが年齢は一番上ではあるが、第二子である長男のラヴォルが王位を継いだのだった。

 ラヴォルには子供がおらず、この先再婚する意思もないことから、彼に万が一のことがあった場合、本来であれば弟のリートワイズが王位を継ぐことになるはずだった。だが、彼はすでに他界している。よって、ラヴォルの跡継ぎとしては、姉のレイチェットと弟のリートワイズ、それぞれの一人息子(現王ラヴォルにとっての甥)のどちらかが次期国王となることも、今テセラが話したとおり。この場合、どちらの子供に王位継承の優先権が与えられるのか。結果から言えば次男リートワイズの子供である。現国王に直系の跡継ぎがいない場合、男きょうだいの子供から優先権が与えられるというのも王家の定めにあるためだ。よって、次男リートワイズの一粒種、アストルが現在におけるイルドライド次期国王の第一候補となる。


「なんだ、それなら跡継ぎ問題なんて存在しないのではありませんか?」


 ホームズは拍子抜けしたが、テセラは固い表情を崩さないまま、


「そのはずでした……ある事件さえ起きなければ」

「事件? もしかして、それが?」

「はい、『石化王子』事件です」


 テセラは深いため息をついてから、イルドライド王家に起きた『石化王子』事件について語り出した。


「イルドライドは武勇を重んじる国家です。初代イルドライド王が大国の騎士団から成り上がって領主となり、国として独立したという建国の経緯いきさつがあるためだと言われています。それは大きな戦争のなくなった現在においても受け継がれておりまして、王家に生まれた男子は、十六歳から十八歳までの間、王立騎士団に所属することを義務づけられているのです」

「その王立騎士団というのは……衛兵騎士団とは別物なのですか?」

「はい。衛兵騎士団はほとんど全ての国に設立されている、完全に公的な組織ですが、それに対して王立騎士団は、国王私設の組織でして、王族が住む城の警備や、王族が外遊する際の警護などを主な任務としています」

「なるほど」


 衛兵騎士団が警察なら、王立騎士団は私設の用心棒集団みたいな感じか、とホームズは思ったが口にはしなかった。仮にも国王が組織する軍団のことを「用心棒」などと言い表すことに恐縮したためだ。民間の警備会社といえば耳障りもよいかな、などと考えているうち、


「ちなみに」とワトソンが割って入り、「ここクラナタスに王立騎士団はないよ。昔はあったけど、何年も前に廃止されちゃった。まあ、時代の流れだね」

「武勇を尊ぶ国ならではの組織ってことだな」とホームズはテセラに向き直ると、「すみませんでした。お話を続けて下さい」

「はい。リートワイズ様のご子息アストル様も、十六歳になられたお誕生日に王立騎士団に加わることとなりました。今から七年前のことです」

「王子様相手じゃ、騎士団の人たちもやりにくいんじゃないですか? 扱いに困るというか」

「いえ、そこはもう、代々のならわしですから。王族に対しての敬いを逸しない程度に、他の一般の騎士同様の接し方、鍛え方をしているそうです。男子に生まれた王族は全員、騎士団に入る前から武術の稽古を積んでいるため、騎士団の中で足手まといになるようなこともないと聞いています。それに、男子王族の中では、『騎士団に所属して民を守る力をつけてこそ一人前』といった考えも浸透していますから、歴代の男子王族の中で騎士団に所属することを拒否したという事例はありません。皆、自ら進んで騎士団の門を叩くのです」

「上に立つものが進んで危険の矢面に立とうというわけですか。立派な心がけですが、何か間違いがあったら困りますね」

「そうなのです。そのため、王立騎士団が実戦任務にあたる際は、なるべく王族男子は前線には出さず、それらしい理由をつけて後方任務に当たらせることがほとんどなのだそうです。王族男子のほうでも自分の立場をわきまえていますから、そういった事情を承知して、特段不満を述べることもないそうなのですが……」


 テセラの表情が暗くなった。本題に直結する事柄らしい。ホームズも居住まいを正して先を促すと、


「今から五年前のことです。王立騎士団は衛兵騎士団と合同部隊を編成して、さる任務に赴くこととなりました」

「衛兵騎士団と合同で。であれば、かなり大きな任務だったということですね?」

「はい。間違いなく実戦が行われるであろう、非常に危険な任務でした。実際、その任務では、王族騎士団、衛兵騎士団併せて五名もの死者が出ています」

「それはいったい、どういう任務だったのですか?」

「〈蠱毒こどくの森〉の討伐です」

「……こどくのもり?」


 頭の中で真っ先に〈孤独の森〉と変換され、そのような詩的な名前の森で、どうしてそんなに犠牲者が? とホームズは怪訝に思ったが、


「第二次人魔じんま大戦時の、恐ろしい遺物です」


 テセラの言葉を聞き、その表情を見てホームズは、ケープを着た哲学者がひとり、静謐な森の奥で思案に耽っている、という勝手な想像を頭から振り払った。


「僕が説明しよう」とワトソンが手を挙げ、「そういったことに関してはテセラさんよりは詳しいと思うから」


 テセラが頷いたため、蠱毒の森についての解説は彼が担うこととなった。


「〈蠱毒の森〉っていうのはね、簡単に言えば、強力な魔物を生み出すための魔法的装置なんだ。まず、魔法使いマジック・ユーザーが森の中に蠱毒専用の特殊な結界を張るん。広さは生み出そうとする魔物の程度にもよるけれど、概ね数百メートル四方くらいの広さにすることが一番多いかな。そうして結界を作り終えたら、その中に魔物をどんどん投入していく」

「魔物を生み出す装置なのに、魔物を投入?」

「そう、〈生み出す〉といっても、ゼロから新しい魔物を生み出すわけじゃないんだ。その結界に入れられる魔物は、ある特性を持っているものに限られる」

「その特性とは?」

「毒を持っていること」

「毒……」

「そうなんだ。何十匹、規模によっては百に届こうかという数の毒を持った魔物を結界の中に放り込むんだ」

「何のために?」

「戦わせて、食い合いをさせるんだよ」

「食い合いだと?」

「うん、猛毒を持った魔物たちを脱出不可能な結界の中に閉じ込め、戦わせ、勝者が敗者を食らうようにさせる。そうした地獄のような試練を乗り越えて、最後に残った一匹の魔物、その体内には、それまでに食らってきたおびただしい数の魔物の毒が蓄積されることになる。それは、どんな毒消し草も治癒魔法も通用しない凶毒となるんだ。この最凶最悪の毒を持つ魔物〈収斂しゅうれん蠱毒〉を生み出すのが〈蠱毒の森〉の目的さ」

「……そ、そんなことがあり得るのか? 他の魔物を食って、その毒を蓄積していくと、より強力な毒を持つようになるなんて……」

「最初に張った結界の力によるものなんだ。蠱毒専用の結界の力が、中に入れられた魔物の毒に作用してそうなるんだよ」


 ここでは自分がいた世界の常識は通用しない。当たり前のように言い切ったワトソンを見て、ホームズは納得しないわけにはいかなかった。

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