1-5 拭えぬ違和感

「でも……」探偵は思わず口に出した。「引っかかる」

「何がです?」

「殺害方法だよ」探偵はアルファトラインを向いて、「犯人がウォーパスだったとして、どうしてブラストフを殺すのに魔法なんかを使ったんだ?」

「それは」と答えたのはミラージュだった。「〈死の接触タッチ・オブ・デス〉が暗殺に極めて都合がよい魔法だからだろう。音も光も発しない。ただ、呪文を唱え終えて相手に触れるだけでいい。こんなに人を殺すのに向いた魔法はない。おおかた、ここを訪れたウォーパスが、そこの古代魔法書オルドグリモアを見せてもらい、中に〈死の接触〉の呪文が書かれていることを見つけたんだろう。これは憎きブラストフを殺すに絶好の機会と舞台がそろった、と判断したウォーパスは、魔法書に書かれた呪文を唱えて……」

「おかしいだろ」

「何がだ?」

「その〈死の接触〉というのは、とても高度な魔法で、この街に限れば使える人間はウォーパスただひとりに限られるそうじゃないか。そんなものを〈凶器〉にしたら、『犯人は自分です』と自白しているようなものじゃないか」

「……それは」ミラージュは一旦言葉を噤んだが、「ウォーパスは老齢なうえ、体力もない。同年代ながら、まだ矍鑠かくしゃくとしているブラストフを殺害するには、魔法に頼るしかなかったんだろう」

「それは、手段を選んだ物理的理由にはなるかもしれないが、心理的理由にはならない」

「自分の仕業だと知られてもいいという、覚悟の上での犯行だったのではないか?」

「当人は全面否認してるんだろ」

「……」


 ミラージュは今度は完全に沈黙した。


「それと、もうひとつ」

「何だ?」

「被害者が、魔法書に手をさしのべているように見える、この状況だ」

「それは、自分を殺した手段を示しているというだけなんじゃないのか? お前が言った、〈だいいんぐなんとか〉という」

「だとしたら、おかしい」

「だから、何がだ」

「〈死の接触〉とかいう魔法で殺された人間に、〈手がかりに手をさしのべる〉だけの余力はあるのか? 瞬時に即死してしまうのだとすると、それは不可能なんじゃないか?」

「あっ!」


 ミラージュはアルファトラインを見た。長老は難しい顔をして、


「正直、それは何とも言えません。先ほども申しましたが、なにせ〈死の接触〉は現在は失われている古代魔法のひとつで、実際に使用されたという記録は数えるほどしかないのです。その記録にしても、即死するものもいれば、わずかに苦しんでから絶命するものもいたなど、効果の現れ方はまちまちなのです」

「魔法書に手を伸ばす程度のことは出来た可能性はある、ってことか。じゃあ、その問題はクリアできるな」

「『その問題』とはどういうことだ? まだ何かあるというのか?」

「ああ、大ありだ。被害者は犯人から〈死の接触〉をくらったが即死には至らず、今際の際に最後に残された余力を振り絞り、魔法書に手をさしのべた。なぜか」

「自分を殺害した〈凶器〉を手がかりとして教えるためだろう」

「そうだとしたら、どうして犯人は、それを黙って見ていたんだ?」


 それを聞いたミラージュは、またしても「あっ」と小さく発した。


「そうなんだ。〈ダイイング・メッセージ〉で問題となるのはここだ。犯人はなぜ、被害者がメッセージを残すのをむざむざと見逃したのか」

「ブラストフが魔法書に手を伸ばしたのは、犯人、ウォーパスが立ち去ったあとだったんじゃないのか?」

「標的が完全に絶命するのを確認しないまま現場を去る犯人がいるか?」


 答えに窮するように黙ったミラージュを見て、探偵は、


「だから、こういう場合、被害者が何かしらのメッセージを残すとしたら、犯人にそうとは悟られないようなものにするはずなんだ。一見して、それが犯行の手がかりになるとは分からない迂遠なものに。犯人の名前を書き残すだけの余力があったとしても、あえてそうはしないで、暗号めいた方法で書き残すとか、犯人を連想させる何かを握りしめたり、指し示して死ぬ、とかな」

「理屈は分かるが、死の間際にいる人間に、そこまでの思考が可能か?」

「分からん。俺もそういう経験はないものでね。そんな今際の際に天才的な思考能力がいきなり開花することを〈比類なく神々しい瞬間〉なんて呼んだりするんだが……。とにかく、変なんだ。被害者にその〈神々しい瞬間〉が訪れたとしたなら、魔法書に手を伸ばすなんていうあからさまなことをするはずはないし、ただ単純に〈死の接触〉が凶器だと意味する目的でやったのだとしたら、犯人がそれを放っておくのは考えがたい」

「確かに、そうかもしれない」

「だがな」

「何だ! まだ何あるのか?」

「実は、突き詰めて考えてみると、今回のこの〈ダイイング・メッセージ〉そもそもがおかしいんだ」

「どういう意味だ?」

「俺たち――というか、捜査したお前たち衛兵騎士は、どうして被害者の死因が〈死の接触〉だと思った?」

「決まっている。最初にも言ったが、傷ひとつない死体の状況と、現場に残されたその」と、ミラージュは床に開かれたままの魔法書を見やり、「古代魔法書に〈死の接触〉の呪文がまさに記されていたからだ。さらには現場に出入りした中に、この魔法を使いこなせるウォーパスがいた。この三つを結びつけるに、犯人とその犯行手段が明確になるのは当然だろう」

「じゃあ、その三つのうちのひとつでも欠けていたとしたら、どうだ」

「なに?」

「犯人がウォーパスだとして、この魔法書に書かれていた〈死の接触〉の魔法を使ってブラストフを殺害したんだとしよう。そうしたら、事後、ウォーパスが犯行を隠蔽するために取るべき最善の行動は、何だ?」


 ミラージュが答えないため、いや、答えを待たずに探偵は続ける。


「魔法書の〈死の接触〉の呪文が書かれていたページを破って持ち去ることだ。この魔法書は相当昔のもので、所々ページが破れていると言ったな。だったら、今更ページを破ったところで何ひとつ怪しまれる道理はない。しかも、この魔法書の中身は研究担当となったブラストフ以外は誰も見たことがなかったそうだから、元々〈死の接触〉のページがあったことも知られずに済む」

「た、確かにお前の言うとおりかもしれないが、犯人、ウォーパスにそこまで考える余裕があったかどうかは分からないぞ」

「英雄的大魔術師なんだろ? 一介の探偵ごときの俺でも思いつくようなことに考えが及ばなかったとは、理解しにくい。違うか?」


 探偵がアルファトラインを見ると、彼は大きく頷いて、


「この世界における〈魔法使い〉とは、ただ単純に魔法が使える人間のことを意味するのではありません。魔法を使うには、そもそも膨大な知識と、それを上手く効果的に運用するための知恵が求められるのです。つまり〈魔法使い〉とは、すなわち知の体現者の異名でもあるのです。今、異界人が口にされたようなことは、ウォーパスほどのものならば考えついてもおかしくはないかと私も思います」

「だったら」とミラージュは語気を荒げて「この状況をどう説明するんだ?」

「分からん」

「は?」

「犯人がウォーパスという魔法使いだったとすると、被害者ブラストフが残した〈メッセージ〉を放っておくわけはないし、そもそも、自白に等しい殺害方法である〈死の接触〉なんて魔法を使うこと自体がおかしい。全く振りだしに戻って考えてみると、そもそも、ここで殺す必要はあるのか? いくらウォーパスに体力的自信がなくとも、例えば被害者が夜道を歩いているところを不意打ちして殺すことは可能だろう。ナイフか何かを使ってな。その場合、〈死の接触〉なんていう高度な魔法を用いずとも済むわけだから、自分に嫌疑が降りかかる心配はなく、通り魔的犯行に見せかけることも出来る。それに、ウォーパスに何かしらの事情があって、どうしても昨日の昼に、どうしてもここで、どうしても〈死の接触〉の魔法を使ってブラストフを殺さなければならない理由があったとしよう。そうであれば、ウォーパスは犯行後に細工をして帰ったはずだ」

「何だ? 細工とは」

「死体の心臓にナイフを突き立てるとか、死因を偽装するための工作だよ」


 ミラージュは、ブラストフの死体を見下ろして「そうか……」と呟いた。

 本来、というか探偵の世界においてならば、死体に残る傷が付けられたのが生前か死後かは、生活反応の有無で判別できるのだが、法医学のない〈この世界〉においては十分通用するトリックだろう。


「そうすれば、事件から〈無傷の死体〉という要因はなくなるのだから、〈死の接触〉が使われたという可能性を限りなく薄めることが可能だ」

「それは……そうかもしれない」

「だろう。この事件、当初の見立てどおりの形、つまり、犯人はウォーパスで、殺害方法に〈死の接触〉が使われたというのであれば、犯行後に犯人が取るべき最適解は、こういうことになる。死体となったブラストフの胸にナイフを突き立てて――ナイフの持ち合わせがなかったのであれば、この固い床に頭部を打ち付けてもいい――犯行方法を誤認させ、魔法書から〈死の接触〉のページを破って持ち去り、かつ、床に投げ出された魔法書をきちんと机の上に置き直してから現場を去ることだ。どうだ? もし、犯行現場がそんな状況だったら、お前たちはウォーパスに嫌疑をかけたか?」

「それは……。ウォーパス自身が『自分が来たときには、ブラストフは寝ていた』と証言しているから、第一の容疑者は、最後にここを訪れたウィリーにかかることになっていただろうな。だが、ブラストフが昨日、ここで、この状態で発見されたことは確固たる事実だ」

「そう、そうなんだ。被害者が殺されたのは、昨日、ここで、この状態でだ。そうなったからには、何かしらの理由があるはずなんだ」

「死体に外傷が一切ないことも忘れるな」

「ああ、分かってる……。この事件、何かが間違ってるんだ。多分、出だしから、何かが……」


 探偵は床に広がった魔法書に視線を落とすと、屈み込んでそれに両手を掛けた。


「ここに、他に手掛かりでも……」そのまま魔法書を持ち上げようとして、「結構重いな」


 目分量で、縦四十センチ強、横三十センチ程度という、探偵の世界での〈A3〉よりもひと回りほど大きな寸法を持つ魔法書は、本自体の項数もさることながら、厚い表紙、裏表紙も相まって、彼の想像を超える重さを擁していた。


「ブラストフも、その魔法書を持ち運ぶのには難儀していたようです。ですので、自宅からここへ行き来するのには、それ一冊を運ぶだけで精一杯のため、昼食は別に酒場に頼んでウィリーに持ってこさせるようにしていたそうです」

「――!」


 探偵は一気に魔法書を持ち上げると、机の上に置いた。どさりという音が響き、振動で紙が舞い、インク瓶が揺れた。さらに彼は作り付けの本棚に走り、そこに納められた数冊の本を順に手に取っていった。


「どれもこれも、その魔法書に比べたら薄いし小さいな……」そう呟くと、探偵はアルファトラインを向き、「昼食を届けに来たウィリーって子供は、何歳なんだ?」

「確か……まだ七歳になったばかりかと」

「七歳か。じゃあ、最初にここを訪れた、被害者の孫のリムロックは?」

「彼は……今年二十一になると聞いている」


 それに答えたのはミラージュだった。


「そうか。それに、騎士になろうっていうくらいだから、体力には自信があるだろ」

「それは申し分ない。単純な腕力だけなら、リムロックはこの街の衛兵で五本の指に入るだろうな。無論、力だけで騎士になれるわけではないが」

「そうか……どうやらこの事件、見えてきたぜ」


 探偵は笑みをこぼした。

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