1-2 死の魔法

 アルファトライン老人にいざなわれて探偵は、先ほど目に留めた高い壁を目指して歩いた。遠目には大きさや詳細がいまひとつ掴めなかったが、近づくにつれてそれは、十メートル以上もの高さを持つ石積みで作られたものであることが分かった。 歩きながらアルファトラインは、


「あれは城壁です。街全体を囲んでおるのです」

「街を囲む城壁……」


 見ると、壁は左右に伸びるに従い緩やかな丸みを帯びているようで、平面的に見れば円形を形作っていることが察せられる。その直径は百や二百メートルでは利かない。恐らく単位はキロに届くだろう。


「私は、この街〈バトロサ〉の長老を任されている、アルファトラインと申します」


 白髭の老人は改めて自己紹介し、


「彼は衛兵騎士団第一部隊長のミラージュです」


 少し間を空けて探偵の隣を歩く鎧の男を手で示した。


「えいへいきしだん?」

「はい。街の治安を守るの衛兵たちの中でも、特に優れた能力を持つ精鋭だけで組織されたのが〈衛兵騎士団〉です」

「治安を守る、か。この世界における警察みたいなものか」

「また我々の知らない言葉が出てきましたな」

「〈けいさつ〉ではない、衛兵騎士団だ」


 ミラージュが鋭い声を浴びせる。


「はいはい……で、それ以外の人たちは?」


 歩きながら探偵は首を左右に振った。周りには、彼が目を覚ましたときに居合わせた数名の男女も同伴して歩いている。


「彼らも衛兵騎士です」


 アルファトラインが答えた。「ふうん」と声を漏らした探偵は、


「それにしちゃ鎧を着てないな」

「はい。召喚されてくる異界人いかいびとに無用の警戒心を持たせないための処置です」

「なるほど」


 探偵は納得した。もし、目が覚めたら周囲を鎧姿の騎士に取り囲まれている、などという状態になっていたとしたら、何事が起きたのかと警戒し、自分もパニックに陥っていたかもしれない。いや、パニックまでは至らずとも、現在の時点でもう十分に混乱していることは確かなのだが。


「じゃあ、何でそっちの――ミラージュだっけか――は、ひとりだけ鎧を着てるんだ? 怖かったのか?」

「貴様!」

「ミラージュ!」


 跳びかからん勢いのミラージュを制したアルファトラインが、


「彼だけが戦闘態勢を整えていたのは、万が一の事態に備えてのことです。総世神プライオネルが呼び寄せる異界人であれば、当然全幅の信頼を置いてよいのですが、何かの行き違いから闘争に発展してしまう可能性がゼロではありませんから。もしそうなってしまった場合、彼、ミラージュがまず危険の矢面に立って、私を含めた団員たちを守る手筈になっていたのです。ですが、あくまで敵意はないことを示すため武器は持っていないのです」

「そういうことね」

「ふん!」


 ミラージュは探偵から視線を逸らした。確かに彼は鎧を見込み、背中に盾こそ背負っていたが、帯剣はしていなかった。

 会話をしているうちに、一行は城壁の前、正確には壁に取り付けられた大きな両開きの扉の前まで辿り着いていた。扉直上の壁には見張り窓が空けられており、そこから顔を出した男にアルファトラインが合図を送ると、ガラガラと歯車が回るような音をさせながら、扉が徐々に左右に開いていく。


「ようこそ我が街〈バトロサ〉へ。もっとも、今から案内するのは観光名所ではなく、ひとりの魔法研究者が殺害された現場ですが」


 アルファトラインのその言葉を聞くと、探偵は「ああ」とだけ答えた。



 街に入るとすぐにミラージュが、「お前たちはもういい」と声を掛け、彼以外の衛兵騎士たちは一礼してから去っていった。「現場へは、あれで」とアルファトラインが手を向けた先には、二頭立ての馬車が用意されていた。馬が引く客車は四人乗りで、探偵はミラージュと並んで座らされ、その対面の席にアルファトラインがひとりで腰を下ろした。


「やってくれ」


 長老の声が掛かると、フードを目深にかぶった小柄な御者が鞭を入れ、二頭の馬は走り始めた。石畳が敷き詰められた舗装路を蹄が叩く音と、ガラガラという車輪の回転音が探偵の耳朶を打つ。車窓から見える、道路の左右に林立する家屋や建築物も、道行く人々の服装同様、中世ヨーロッパを思わせる造りのものばかりだった。


「現場に着くまでの間に、事件の概要を説明しておきます」


 アルファトラインが口を開いたため、探偵は車窓から対面する老人に顔を向けた。


「先ほども申し上げましたが、ブラストフという名の魔法研究者が殺害されました」

「ちょっと待ってくれ。あんたが言う魔法って……いわゆる魔法のことか? 手を触れずに物を動かしたり、火の玉をぶっ放したりする、あの魔法?」

「そのとおりです」

「本当に『ロード・オブ・ザ・リング』みたいになってきたな……」

「その反応から察するに、異界人の住んでいた世界には魔法が存在していないのですな」

「当たり前だろうが!」

「魔法が存在しない世界だと?」


 探偵の隣で怪訝な顔をしたミラージュは、その表情のままアルファトラインに向き、


「本当に大丈夫なのですか? 魔法も知らぬ世界からやって来たような男に、この一大事を任せてしまって」

総世神そうせいしんの導きを信じよう」


 そう答えると長老は探偵に向き直り、事件のあらましを語り始めた。

 被害者となったブラストフは、魔法研究者として名声を得てはいたが、少々変わり者で通っている男だった。研究所図書室の奥にある、狭い書庫のひとつを自分専用の部屋としてしつらえ、そこにひとりきりで籠もって研究するのを好んでいたことからもそれが窺えた。

 昨日もブラストフはいつものように自宅から研究所に通い、例によって専用の書庫で研究に没頭していた。

 異変が起きた、いや、それが発覚したのは、午後十二時課の鐘が鳴った頃のことだった。


「ちょっと待て」と、ここで探偵から待ったが入り、「『午後十二時課の鐘』って、何だよ?『午後十二時』でいいじゃねえか」

「それは、我々が使う時間の表し方です。異界人のおられた世界ではどうなのか存じ上げませんが、この世界では、一時間ごとに教会が鐘を鳴らすことで、おおよその時間を知る目安としているのです」

「それで、『鐘が鳴った頃』ってわけか」

「さようです」

「まあ、こんな世界に正確に時刻を刻む時計があるわけないもんな」

「〈とけい〉というものも、この世界には――」

「ない言葉なんだろ。話の腰を折って悪かった。続けてくれ」

「はい」


 アルファトラインは話を再開した。

 午後十二時課の鐘が鳴った頃、近くの酒場で働くウィリーという名の少年が書庫を訪れた。目的はブラストフが注文していた昼食を届けることで、これはブラストフが研究に通う日の彼の仕事になっていた。

 ブラストフが待つはずの書庫に入ったウィリーは、だが、すぐに血相を変えて飛び出してきた。図書室にいた他の利用者たちは、すぐに異変に気づき、ウィリーを捕まえて何事が起きたのかと尋ねた。そこで彼の口から聞かされたのは、「ブラストフが死んでいる」という変事の発生だった。すわ一大事と何人かが書庫に入ってみると、ウィリーの言葉どおり、魔法研究者は死体となって床に伏臥ふくがしていた。


「子供が第一発見者なのか。それはきついな」


 話を聞き終えた探偵は、やるせない気持ちで言った。


「はい。血生臭い死体でなかったことが、せめてもの救いかと」

「ということは、死体には出血なんかはなかったのか?」

「そうです。死体発見の知らせを受けて急行した衛兵騎士団が確認しております」


 アルファトラインはそこでミラージュに目を向けた。騎士団長は無言で頷いてから、


「そのとおりだ。ブラストフの死体には、出血はおろか、一切の外傷は認められなかった。首を絞められたといった痕跡もない」

「じゃあ、毒を飲まされたとか」

「ブラストフは研究中は何も口にしない男だったそうだし、現場にも食器の類は残されていない。それに、毒殺されたのであれば、体や顔色に何かしらの異変が出たり、異臭が嗅ぎ取れたりするはずだが、そういった痕跡も一切なかった。吐瀉物もない」

「ということは、何が死因なんだ? ショック死か何かか?」

「魔法だ」

「はあ?」

「あんな殺し方を可能とするのは、魔法、しかも……〈死の接触タッチ・オブ・デス〉以外にありえない」

「な、何以外にありえないって?」

「古代魔法のひとつだ。手で触れるだけで瞬時に相手を死に至らしめることが出来るという、恐ろしい黒魔法だ」

「……」


 探偵は二の句が継げなかった。「んなアホな」と喉まで出かかってはいるが、ミラージュと、そして、一緒に話を聞いているアルファトラインの真剣そのものという表情を見ると、それを口にするのはどうしてもはばかられたのだ。


「え、ええと……」それでも探偵は、ここは自分がいた世界とは何もかもが違うんだ、と己に言い聞かせて、「その〈死の接触〉とやらが凶器(?)として使われたと、どうして分かった?」

「ミラージュが、いや、この事件の話を聞いたもの全員がそう思うのには、わけがありまして」と再びアルファトラインが話を受け取り、「ウィリーよりも前に、ブラストフを尋ねて書庫に入ったものがいるのです。時間にして、午前十一時課の鐘が鳴る頃だったそうです。訪れたものの名は、ウォーパスといいます。大魔術師グレートウィザードの称号を得ている、国を代表する魔法使いのひとりです。目下のところ、彼、ウォーパスこそが、ブラストフを殺害した犯人だと見られているのです」

「ま、魔法使いが、死の魔法で人を殺した?」


 探偵は、ため息に似た深呼吸をした。


「死体発見時の状況説明に戻ります」


 アルファトラインは再び語り出す。

 詰め所に駆け込んできた研究員から報告を受け、ミラージュ率いる衛兵騎士団第一部隊が現場に到着して捜査を開始した。

 現場となった書庫は、一辺が三メートル程度の部屋で、窓はなく、ブラストフはいつもランタンを持ち込んで照明としていた。その理由を生前本人は「そのほうが落ち着くから」だと周囲に漏らしていた。〈書庫〉と銘打たれてはいても、ブラストフ専用の研究室と化していたことから、元からあった本は全て運び出されており、作り付けの書棚に立てられた数冊の研究参照用の本と、木製の机と椅子が一脚、その机の上に載っているインク瓶とペンに紙が数枚、それが室内に常備してある全てだった。

 今日、ブラストフがこの狭い書庫に持ち込んだものは、たったひとつだけ。古代魔法書オルドグリモアと呼ばれる、失われた古代文明魔法についてが記された一冊の書物だけだった。ブラストフは研究対象物――今回のそれは古代魔法書――だけは書庫に残して帰宅することはせず、その都度持ち帰っていたという。その呪文の書は、ページが開いた状態で、ブラストフと同じように床に投げ出されていた。


「俯せになっていたブラストフの死体は、右手だけが前に出され、開かれた呪文の書のページの端に掛かるようになっていました。まるで、何かを指し示しているかのように」

「呪文の書と言ったな。そ、それは、まさか……」

「開かれたページに書かれていたのは、まさに〈死の接触〉の呪文だったのです」

「〈ダイイング・メッセージ〉ってことか?」


 探偵は呟いた。

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