ファンタロジック・ホームズ ―異世界探偵事件簿―
庵字
第1話 死の魔法殺人事件
1-1 探偵召喚
目を覚ました男は、しかし、まだ夢の中にいるのだと思っていた。
それというのも、まぶたを上げた男の目に映り込んだのが、見慣れたアパート自室の天井ではなく、白い雲が浮かぶ青空だったためだ。
がばりと上体を起こす。そのときに生じた音と、触れた手の感触で、自分が横たわっていたのがベッドではなく草むらの上だということも知った。
男は首を振って周囲を見回す。数名の男女が自分を取り囲んでいた。その中のひとり――豊かな白髭をたくわえた老人――が近づいてきて、
「お目覚めですな」
「……いや、まだ夢の中にいるらしい」
男が答えると、老人は「ほほほ」と髭を揺らして笑った。その周囲に控える人々も、彼ほどではないが口元に手を当てて笑っている。
ひとしきり笑い終えると、老人は男に向かって手を差し伸べた。差し出された手の意味を察すると男は、
「じ、自分で立てる……」
慌てて立ち上がった。尻の辺りを叩くと、白いスラックスに付いた草が払い落とされる。
男は昨夜、ひと仕事終えて帰ってくるなり、仕事着――黒いシャツに上下とも白の背広――姿のまま疲れた体をベッドに投げだし、風呂は諦めるとして、せめて寝間着に着替えて歯を磨いてから寝なければ、と考えていたことを思い出した。結局そのまま寝入ってしまったらしい。で、目を覚ますと……。
男は改めて周囲を見回す。立っているのは広い草原で、数十メートルほど向こうには高い壁のようなものが見える。そのさらに先には、空と陸を分断する小高い山々の稜線が見えた。見上げれば、青い空と白い雲。
視線を水平に戻した男は、
「……ここは、どこだ?」
老人に尋ねた。
「そなたにとっての別の世界です。
ああ、そうですか。と男は普通に返してしまうところだった。老人の返答が、挨拶代わりに天気の話題を出したときのような、あまりに自然なものだったためだ。が、当然男は老人の答えに諒解するわけもなく、
「ちょっと待て」老人に向かって左の手の平を向けて、「別の世界って、何のことだ? それに、〈イカイビト〉って……それは、〈異なる世界の人〉で〈異界人〉と、そういう意味なのか? それは、俺のことだと? つまり、俺は、寝ている間に別の世界に来てしまったと、こういうことなのか?」
「察しが早い。さすがですな」
老人が破顔したので、男も思わず多少引きつった笑顔を返した、が、すぐに表情を引き締めると、
「……って納得できるかぁ! あ! さては、お前たち、どこかの犯罪組織の人間だな。寝ている間に俺を拉致して、わけの分からないことを吹き込んで……いったい何を企んでいるんだ? だいたい、お前たちのその格好は何だ? 何のコスプレのつもりだ? あれか?『ロード・オブ・ザ・リング』か? 残念だが、俺はそっち系には疎いぞ。あの映画も一作目の半分くらいまで観たところで寝ちまったんだからな!」
男は、老人も含めた自分を囲む人々を次々に指さした。
確かに男の言うとおり、周囲に立つ人々の着ている服は、男が知っている〈現代日本〉の服装からはあまりにかけ離れていた。皆が着ているのは、長袖長ズボンの何の装飾もない、一様に似たようなデザインの服で、所々が汚れ、つぎはぎが当てられ、かなり着込んでいることが窺える。男にその方面の知識があったなら、それらは中世ヨーロッパの人々が着る服に酷似していることを見抜いていただろう。が、中にひとりだけ、他とは違った格好をしている男性がいた。
「アルファトライン様」
その男性が近づいてきた。足を踏み出すたび、金属同士がぶつかる甲高い音を響かせている。それもそのはず、男性が身につけているのは銀色に輝く鎧だった。老人が振り向いたところを見ると、男性が口にしたのは、この老人の名前らしい。鎧の男は、老人――アルファトラインの横に並び、
「
よく通る声で言うと、男を指さした。それを見た老人――アルファトラインも「分かっておる、ミラージュ」と返すと、男を向き直って、
「よろしいですか、異界人。そなたは、ある使命を果たしてもらうために、この地に召喚されたのです。
「使命? 召喚? プラ……何だって? ま、全く話が見えてこないんだが……」
「異界人よ、そなたに、魔法研究者ブラストフの死の謎を解き明かしていただきたい」
「死の……謎……だと?」
「そうです。昨日の昼頃のこと、魔法研究者のブラストフという名の男が死体で発見されました。犯人と思しき人物がいるにはいるのですが、その者は犯行を全面否認しているのです。困り果てた我々は、そこで、総世神プライオネルの力を借り、この事態を解決できる〈異界人〉を召喚することにしたのです。それが……」
アルファトラインの両眼が、先ほどよりも増して男を捉えた。その横では、「ミラージュ」と呼ばれた鎧の男も切れ長の目を引き絞り、値踏みするような視線を男に突き刺している。
「お、俺?」
男が、萎れた茎のように曲げた人差し指で自分をさすと、二人は同時に頷いた。
「ちょ……待てよ」男は顎に手を当てて、現時点で得られた情報を整理する。「つ、つまり、こういうことか? 俺は、この世界で起きた殺人事件の捜査をするために、わざわざ別の――つまり、俺がいた世界から、ここに呼び寄せられたと?」
「アルファトライン様の説明を聞いていなかったのか? まさにそう言っているではないか」
馬鹿にしたように、ふん、と鼻を鳴らしたミラージュが言い放つと、
「お前には訊いていない、コスプレ野郎」
「なに?」
男とミラージュは視線をぶつけ合った。ミラージュは、ガチャリと音をさせて一歩踏み出し、
「〈こすぷれ〉とはなんだ?」
「文句つけるのそこかよ!」
「やめんか、ミラージュ」と二人の間に割って入ったアルファトラインは、「して、異界人。そなた、元の世界では、どのような
「クラス? 高校のときは三年間ずっと三組だったが」
「何をわけの分からないことを言っている!」
「わけ分からねぇのはお前らのほうだろうが!」
再びミラージュと男は睨み合った。アルファトラインは、またミラージュの名を呼んで彼を制してから、男に向き、
「何を
「なりわい? 仕事のことか、俺の仕事は……」男は、こほんとひとつ咳払いをすると、「探偵だ」
先ほどとは違い、男は真っ直ぐに立てた親指で自分をびしりとさした。
「〈たんてい〉……。それも〈こすぷれ〉と同じく、この世界にはない言葉ですな」
「と、とにかく、この世界で起きた殺人事件の謎を解けば、俺は元の世界に帰れるってことだな?」
「そなたがこの地に招かれたのは、果たすべき使命があるため。それを成し遂げたなら、総世神プライオネルは必ずやそなたを元の世界へと帰還させるでしょう」
「くそ……何なんだまったく」
男――探偵は〈仕事着〉の一部である濃い茶色の革靴で地面を蹴る。蹴り飛ばされた草が数本、宙に舞った。
「状況を飲み込んでもらえたのであれば、さっそく現場へ案内しましょう」
「その前に、ひとつ、確かめておきたいことがある」
「なんですかな?」
「これは……本当に夢じゃないんだな」
アルファトラインは探偵の目を見て、ゆっくりと頷いた。
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