茶がゆのこと


 小さい頃から渋いお茶が大好きだった。ご飯のときに飲んでいたのはたいがい玄米茶で、毎度急須にお茶っ葉を入れて、電気ポットと共に食卓の脇に運んできて据えることになっていた。ポットは頭の栓を押してお湯を出す方式のやつで、コードを外してもちゃんと使えた。最近の電気ポットはボタン給湯のが多いから、電源がないとお湯が出せない。この役立たずが、と苦々しく思う。


 わたしは中学校に上がる頃まで偏食家で、食わず嫌いだった。いまだに実家の母がぼやく。「お兄ちゃんは何でも食べたのに、あんたなんかぶぶ漬けして終わりやん」

 多分ちゃんと成長したから、実際のところそこまでひどくはなかったのだと思うが(だって野菜も魚も食べてたし)、まあ、ぶぶ漬けはよく食べた。よくっていうか、毎日食べた。大好きだった。もちろん今も。


 お寺の方々なんかは、お茶碗にご飯粒を残さずきれいにするという合理的な意味があって、食事の最後には必ずお茶漬けをすると聞くが、わたしは初手から、先に述べた玄米茶を以てぶぶ漬けをやるので行儀が悪いと怒られた。おかずでご飯を食べなさい、とせんど言われたが、そんなんご飯が汚れるやん! と思っていて、かたくなに拒否した。最初に濃い濃い玄米茶をご飯にかけておいて、おかずを食べて、その間にご飯にお茶を吸わす。つまり、御飯が茶がゆのような状態になるのを、わたしは目指していたのである。


 ただその昔は、世の中に「茶がゆ」などという聞くだに素晴らしい食べ物があるとは、知らなかった。茶がゆ。茶がゆについて知ったのは、はっきりとは覚えていないが、多分小学校の高学年だった頃だろうと思う。それを知ってからというもの、茶がゆが食べたい、茶がゆ、茶がゆ、とむやみにあこがれ、作ってほしい、と閣下にせがんだ。しかしながらわたしの希望は叶えられなかった。面倒だったのか、四国出身の閣下には、作り方委細が分らなかったのか。その後、奈良の方では日常的に茶がゆを食べているらしい、ほうじ茶なのか番茶なのか、とにかく茶色のお茶で作るらしいという情報だけがわたしの茶がゆに関する知識の箱に追加された。いいなあ! 奈良県民!


 茶がゆが食べたかったのには、単に美味しそう、ということ以外にもう一つ理由があった。茶がゆなら、朝食べたって大丈夫なんじゃないか、と思ったのだ。どういうことかというと、そのようにぶぶ漬けをこよなく愛していたわたしだったのだが、当時、なぜか朝にぶぶ漬けをやると、絶対に過たず百発百中で腹を下す、という恐ろしいジンクスがあったのである。でも、茶がゆならおかゆだ、ぶぶ漬けではない。大丈夫なんじゃないか。

 わたしは朝も、ぶぶ漬けが食べたかったのである。「ぶぶ漬け食うたらハラららくらり(=腹ダダ下り)」現象を警戒して、普段はずっと我慢しているのだが、三月に一回とか、季節に一回、くらいの感じで、つい手を出してしまう日があった。今日くらいいけるんじゃないのか、と魔が差すのである。で一時間後、当然のように脂汗を流して机に突っ伏している、なんてことになる。ああ、思い出しても辛い。

 そこへきて、茶がゆは救世主となりうる、と思われた。茶がゆ! 朝茶がゆが食べたい! 高校生になったわたしは茶がゆの作り方をものの本で調べてみた。「土鍋」「とろ火」「米から炊く」「お茶は別に煮出し」などの物々しいキーワードをざっと読んだだけで、わたしは全てを諦めた。何時に起きたらええねん。

「うち毎朝茶がゆやで。おばあちゃんが炊くねん」

 と大学生になったわたしに言ったのは、泉州の生ける伝説、はー太郎・ザ・グレイトであった。「けどウチあんま食べへん」

 わたしははー太郎の首を絞めながら、うらやましい、なんてゼータクな、おまえはアホじゃ、代わりにわたしが食べに行くからおばあちゃんによろしく、といろいろ言ったが、その後間もなくおばあちゃんは鬼籍に入られ、わたしは茶がゆを食べ損ねた。


 そう、実はわたしはいまだに茶がゆを食べたことがないのである。こんなに長い間、恋い焦がれてきたというのに。いや、厳密には一度だけ、どこかのホテルの朝のビュッフェで、「らしきもの」を食べたことはあるのだが、お茶の香りがするでもなし、どうにもこうにも腑抜けた味で、あれが天下御免の正統派茶がゆだとはいかにしても思われなかった。

 思えば二十数年越しの憧れである。ここまで来たら、もう食べないまま思慕の念だけ抱いて死んだ方がいいのかもしれないとすら思う。全然話は違うんだけど、実はコストコにもイケアにも行ったことがない。多くの人から、めちゃ楽しい、とにかく興奮する、などと聞いている。一緒に行こうさ、と誘われたことも何度かあるが、全部都合がつかなくて断ったり、企画が流れたりした。そして、流れても、なんとなくほっとするというか、よかった、と思っている自分がいた。聞いているだけで行ったことはないステキなところ、わたしにとっては安い桃源郷のようなものとして、それらはある。自分の中に、そういうものがあるという状態は、なかなか悪くない。その内容が、どんなにしょうもなくても。

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