CDを失くす。
くどいようだが遺失物が非常に多い。毎日が失くし物である。原因はわかっている。わたしがずぼらで横着だからだ。置き場を決め、使った後は必ずそこへ戻す、ということを徹底していれば、決して紛失などしないはずなのである。理論上はそうだろう。ところが、わたしは用が済んだらそれまでな性格で、ものは元より、扉だって自分が通るだけ通ったら後はあけっぱなしである。扉と共に育ちの悪さも全開だ。
しかしながら、もういい加減頭が痛いね、と思っていることがあって、何かというと行方不明のCDがまことに多い、という案件である。CDのディスクを失う。以前にも書いたがうちには音楽CDが多分八百枚くらいあって、毎日それらの中から何かしら楽曲を聴くのだけれども、再生する場所が自室、台所、そして自動車の中と三か所あるというのがまずイカンのだと思う。
紛失に至る道程だって大体押さえている。車の中で聴いていて、信号待ちとか何とかで急いでCDを変える。替えたCDを、元のケースに戻せるほど時間と心に余裕があればいいが、まあ、ないことの方が多い。それで、つぎのCDのケースに、今まで聴いていたのを入れる。何枚か繰り返す。一つのケースに二枚三枚入ることもある。そしてそのまま、家に持って入ったりする。で、棚に戻す。棚の奥にシャッフルされてわからなくなる。八百枚の沼に呑まれるのである。そういうパターンだ。ほとんどが。また、気に入ったアルバムほど頻繁に携行されるので、失われる傾向にあるのは皮肉である。別にいつ割れてもいいと思っている皿小鉢に限ってたいがい無事で、お気に入りの茶碗ばかり欠けるようなものだ。複数枚収納できる携帯用のCDポーチに中身だけ取り出して入れるなんぞというのは危険の極みで、CD生還率の著しく低い所業なのであるが、いかんせんバカなのでいくらでも過ちを繰り返す。実際もう足かけ二年探し続けているソニー・ナイトというおじいちゃんのCDがあるが、未だに見つからない。逆にケースが行方不明、というのも数枚ある。どこ行ったんだ。ニカ・コスタ(中身)も、マイルス・デイビス、ブランディ、ハンク・モブレー(ケース)も。
ただ一つだけ救いがあるとすれば、裸のディスクにしろケースにしろ、人間、CDをぽいとゴミに出すというようなことだけはまずしない、たぶんその前に気付くだろうということで、とりあえず捨ててはいない、いつかはまた出てくるはずだ、とわたしは自分を慰めている。ほぼ毎日。たとえそれが五年先十年先であっても。そしてその間、その歌が全く聴けなくても。ときどき、もう中古ででも、も一枚買った方が話が早いか、と悩むこともあるが、どうせそんなことをしたら翌日発見されたりするのがオチだ、と思って意地でも買わない。そして姿を見ないCDが増えてゆく。
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