四月と五月


 この時期、毎日何を着ればいいのかわからない。朝晩は冷えるし、昼はいっちょまえに暑かったりする。毎年同じことで悩んでいるのに、どのように乗り切ったのかは毎年覚えていない。秋口にも同様に毎年悩んでいるはずなのだが、どうせもう寒くなる一方だと分かり切っている秋は、とりあえず厚めの上着も出しておけばよく、まだしも対処が簡単である。暑さに向かうのに、いつまでも長袖がしまえないというもどかしさが、四月五月はいやだ。

 だいたい、時期云々に関わらず、わたしは常に何を着ればいいのやら、正直なところよくわかっていない。その、裸でないようにする、という課題はまず無事にクリアできるとして、何を着れば普通にええ感じに見えるか、という問題が、難しいのだ。端的に言うと、センスがないのである。

 しつこいようだががおしゃれは天賦の才能である。同じくバッドセンスというのも生来の宿痾なのだ。自分は呪われてるよなあ、ということを、日々強く感じる。

 昔からクソださかった。何度か書いたと思うが、中一の頃、女子の集団の中で「はみご」にされたことがある。あれには持ち回り制の要素が多分にあり、ある日突然理由もなく始まるのが大半なのだが、のちのち自分で分析してみるに、わたしの場合は理由がなかったわけではない。わたしは、もっさいくせに頭が高いという、実にもっともな理由のもとシメられたのだ。ただ頭が高いだけでも十分だったのだろうが、そこにクソださい、が付いたのがいけなかった。致命傷だった。

 そうか、なるほど、なんて、分かったところで嬉しいわけではちっともなかったが、それによって「もっさい」「だっさい」ということは差別と迫害の契機になりうる、という世の理をしっかり認識したため、以降わたしは、オシャレ番長になるなどという大それた目標に向かって邁進する必要はないがとりあえず普通に見えるように、ということを心がけるようになった。「頭が高い」は多分根本的に、ちょっとやそっとでは修正できないけれど、もっさいだっさいは付け焼刃でも何とかなる、と思ったのだ。

 ただ、そこまで物事が理解できるようになっても、呪いは発動するのである。じゃあ、普通にええ感じに見えるようにはどうしたらいいか、という次のステップに進むにあたって、誰かよさげなひとの真似をしておく、という考えに至ったのは至極真っ当で間違いないと言えるのだが、そこで「よさげなひと」のモデル選考を誤るのが呪いの真髄である。ガービッジのシャーリー・マンソンやらジャニス・ジョプリン、はたまたリブ・タイラーなんて、オマエ人種遺伝子レベルでその路線はおかしい、と呆れ果てるミスチョイスの連続。でも、シャーリーは可愛かったし、ジャニスのベルボトムは素敵だった。リブ・タイラーはひたすら美しかった。ただ、自分がそこからどれだけ遠い地点に居るか、ということだけが、見過ごされていたのだ。そしておまけに、中二病高二病も併発するわけである。容態は悪化の一途をたどり、「クソださい」をこじらせて「とにかく変」という救いようのない袋小路に突入したのだった。それがしばらく続く。

 しかしひとつだけ附記しておくと、90年代後半から2000年にかけて、世の中はヘンなものを許容していた。『カジカジ』は斬新極まってついて行けないレベルのストリートおしゃれを称揚し、『キューティー』は手作りアイテムを奨励し、『ジッパー』はアバンギャルドすぎるヘアスタイルを紹介していた。シノラー、原宿系という人たちがおり、他方にはガングロギャルも普通にいたそんな空気の中で、少々すべっていても、少々傷んでいても、世間は生暖かいやさしさをもって、変な格好の女子を見逃してくれたのである。

 自分の意識の上では、病状もようやっと大学の三回生頃から快方に向かい、美容院でも『スクリーン』や『女性自身』ではなくちゃんと『JJ』を選んで勉強するカタギになったが、時々発作を起こしてくどい柄のシャツを買ってしまうのはなかなか治らなかった。いまも、パンチの利いた柄シャツを見ると、うっ、と思う。もうさすがに手は出さない(経済的にも出せない)けどね。

 

 スティーブ・ジョブズみたいに、服装を考えるのに時間を使うのは無駄、と割り切って徹底的に同じ服ばっかり決めて着る、というのは蓋し名案だが、寒暖差はどうするのだろうか。あと、同じ服をいっぱい持ってる、というのでわたしが思い出すのは御坊茶魔とオバQである。たしか、門倉多仁亜もドイツ式合理的生活云々の紹介で、洋服は決まった数着しか持たない、と言っていたけど、西洋人ってそうなのだろうか。そして、自分の場合は、その「決まった服」のチョイスを間違うに違いないのである。間違いなく間違うだろう。それでこそ呪われた血だ。

 何も考えずに、親からもらった美しい毛皮の一張羅で一生を過ごせる猫たちのことが、心底うらやましい。人間も腕脚腋背、中途半端に生えるんじゃなくて、もっとぼーぼーになればいいのに。中途半端だから無駄毛とか不名誉な名前をつけられるのだ。ミトコンドリアよ昔のことを思い出せ、いまからでも、遅くはない、とわたしなどは思う。

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