湯けむり事件簿(白紙)
週末、温泉に行ってきた。
どうにも旅行というのが苦手で、まず自らの差配ではどこにも行かない。行けない。行先の決定から宿泊先の予約、交通手段の確保、荷造り、すべてが手に余る。だいたい、自分のうち(実家ならなお好い)と座布団と本が大好きなので、わざわざよそへ行かなくてもいい。昔「どっか行きたいとこある?」と訊かれて「古本屋」と答えたら「そういう意味じゃない!」と叱責混じりに呆れられたことがある。質問者は、旅する先の希望について、訊いていたのであった。でも、わたし、行きたい所って別にないのよね。そらあ、長野とか、宮崎とか、メキシコとかに行きたいとは思っているのだけれども、それはそこに友達が住んでいるから会いに行きたいのであって、その土地を旅して回りたいということではないのだ。目的が、違うのである。
したがって、わたしがどこかへ行くと言うとほぼ100%「ぶらさがり旅行」である。「ぶらさがり旅行」、またの名を「自分が荷物旅行」。今回の温泉も、実家の父が先週突然「宿泊券をもらったから行こう」と電話してきて、急に行くことになった。まあ、風呂は好きだし、一緒に行くのが親だから移動式実家のようなものだ。
泊まりとは言え親子(=両親とわたし)共ども観光する気がさらさらない(どうせ饅頭と卵と煎餅しかない)ため「うおお、旅行や」みたいな高揚感も緊迫感もなく、とりあえず風呂に入りに行く、というスーパー銭湯に行くのと同じ心持。現地集合ということになったので、土曜の夕方になるまで自宅でいつものようにのんべんだらりと過ごし、日が落ちる前にそんじゃあ行くかと出掛けた。
到着後すぐ風呂に入ったのだが、浴場に行くにあたってわたしは浴衣もバスタオルも使い捨てのスリッパも、自力では発見できず、さらにパンツを持って行き忘れ、しょっぱなから旅慣れなさをこれでもかと見せつけた(誰にだ)。長女などはかなり小さいうちから旅行好きの義母に方々連れて行ってもらっているため、わたしから見ればおまえはツアコンか? と思うほどの手際の良さで、上記の備品をてきぱきとわたしに与えてくれた。次女は次女で、はじめに手拭いの入っていたビニール袋を捨てずに取っていて、使用後の手拭いをまたそこに入れ、同じ手提げの中の服やなんかが濡れないようにして部屋まで持って帰るという超高度なプレーを見せ、ビニールなんかとうの昔、部屋のくずかごに棄ててきた母親(=わたし)の度肝をぬいたものである。わたしはフルチンでにこにこしているだけの長男と同レベルということだ。ねんしょうぐみさんである。
そのあと夕飯になり、我々はしゃぶしゃぶとすき焼きをよばれた。父はしゃぶ3のすき2、お子様プレート1で注文してくれていたのだけれども、ふたつあるカセットコンロの配置と家族の席次に齟齬があり、結局母が席から立って両方の鍋を仕切らねばならない羽目になって、「こんなん家に居るんといっしょやん!」つって途中で怒りだした。わたしの父は昔からほんとに何もしない人なので、わたしと母とがバラけて座り、北町・南町の奉行を各々務めるべきだったのだが、子どもたちの席だけ決めてあとは何となくで座ってしまったために、そういう事態を招いてしまったのだった。詰めの甘さがここでも露呈。しかし母ももっと若い頃はそれしきのことでこんなに取りのぼせたりはしなかったと思うのだが、やはり年か、フタがばかになって抑えが利かないのであろう。娘(=わたし)はまあまあまあと言ってビールを注いであげた。
夜中息子は二度もベッドから落ち、23時半の初回では床ですすり泣くなどして爆睡していた母親(=わたし)を辛くも起こしたが、二度目は諦めたのか何なのか落ちた先でそのまま寝ていて、偶然咽喉が渇いて目覚めた姉に4時頃救助された。また、「落ちた」などと言っているが、わたしが蹴落とした可能性も否定できない。いかんせん慣れない寝床である。わたしも、息子も。
そして朝食後に朝風呂に入り、帰り支度をした上でチェックアウトぎりぎりまでだらだらして、予定通り一切観光もせず、実家の方へ帰った。昼御飯は日清のラーメン屋さん函館塩を作ってみんなで食べ、行きつけにしていた近くの食料品店が再来週に閉店してしまうというので買い物に行き、大好きな豆菓子をあるだけ買い占めた。「週末、温泉に行きました」と言ってもやってることは全然旅行らしくないのであった。
「よいソファーを選ぶには才能が要る」「良いソファーを見分けるには、小さい頃からよいソファーに座っていなければいけない」という意味のことを、村上春樹は自分の小説の登場人物に語らせていた。同じように、よい文房具を選ぶには才能が要って、よい文房具を見分けるには小さい頃からよい文房具を使い続けてこなくてはいけない、というふうにわたしも思うのは先だってこの駄文で申し上げた通りである。
さらには、よい旅行をするにも当然才能が要り、よい旅行を企画・実行するには小さい頃からよい旅を幾度も経験してこなけなけれないけないのだろう。
わたしにはムリな相談だと、今日改めて思った次第である。
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