ババシャツとわたし


 「苦しみはやがて消える。あきらめた事実は永遠に残る」というツール・ド・フランス覇者による名言は、津村記久子さんのエッセーで知った(『二度寝とは、遠くにありて想うもの』収録「あきらめた事実は永遠に残る」)。わたしはこれを、「膨満感はやがて消える。食べ過ぎた事実は確実に残る」と言い変えたい。残る、残るよ脂肪として。


 わたしは太りやすい体質である。夫とわたしとが結婚する前に、姑が八卦見さんのところへ行って我々のことを占ってもらったらしいのだが、先生はわたしの生年月日と名前の字画を見ただけで、「この子は今は痩せてても、気をつけないと太るよ。太りやすい」と言ったそうだ。怖ぇえ!! 会ったこともないのにそこまで見破られるとは。それを聞いて以後、わたしは四柱推命を激しく信じている。本当に、あたっているからだ。

 酒を飲んだ上で〆に炭水化物、たとえば塩昆布のぶぶ漬けやらエースコックのワンタンメンやらを食べるなんぞ言語道断で、そんなことをすれば間違いなく一発で過たず精確に増量する。舅などは日常的に酒とご飯とを両方摂るが一向に太る兆しがない。そういう人もいるの。


 娘の友達のヒロくんという年がら年中半袖の男の子は、「寒くないの?!」と聞くと必ず「僕デブやから大丈夫やねん!」と応えてくれるスーパーナイスガイである。けれどこの、チャビーなお茶目さんたちがしばしば口にする「デブ寒くない説」は実は全く妥当ではなく、むしろ皮下脂肪が多いと身体は冷えやすくなってしまうのだそうだ。確かにわたしも、現在より6kg太っていた自己最重量記録保持期(三年前)において、今よりぬくかったか? と訊かれたところで、とりあえず冬は毎年変わらずずっと寒い、と答えるし、背丈が160cmもないところに29インチのLeeのデニムをパっつんぱっつんの状態で無理くり穿いていた中学・高校の頃もやっぱり、余人が寒いと言い出す前からいち早く防寒を開始、みんなが暖かくなってきたねー、と言い交わす頃にもまだカイロの備蓄数をしつこく確認したりしていた。どうやらアブラの問題ではないらしい。要するに、生来極度の寒がりなのだ。

 今年は南国宮崎の友人Hちゃんが「お歳暮」の熨斗を掛けて送ってきてくれたユニクロの極暖ヒートテックのおかげで本当に助かった。こんなにいいものがあるなんて、今まで着てきたババシャツは一体何だったのか、とわたしは思った。思ったね。


 わたしのババシャツデビューは中二の冬だった。それまで制服の下に何を着ていたかについては全く記憶がない。とにかく、あの、襟や袖口にピコレースとかがついてる、ベージュあるいは薄いピンク色のもっさいババシャツ、あれを着るようになったのは中二のときなのだ。年齢や立場に関係なく誰もがババシャツを着てもよい、ババシャツあなどれじ、というグルーヴが世間に満ち満ちてきた時節だったのである。その後ババシャツが著しい進化を遂げ、見えてもOKなレベルでおしゃれに、機能的に、カラフルになり、「ババアの着るシャツ」といったケンのある語源とは完全に決別して、無難に、単に「インナーシャツ」と呼ばれるようになったことは周知のとおりである。

 中学校の制服はセーラー服だった。従って冬だって当然首回りフルオープン、隆椎は丸出し、鎖骨も隠れていたのかどうか。校則によりコートは着てもよかったが、マフラーの類を使用することは禁止されていた。そんな、想像しただけでも軽く尿漏れしてしまいそうな理不尽で寒々しい格好を、強要されていたのである。

 体育系の部活をやっていた女の子たちは襟元からチラ見えどころかモロ出しで、セーラーの下に各部のトレーニングシャツや体操服を着るのが一般的だった。今で言うスクールカーストの上位にいて普段はオシャレであったりする彼女らが、そのようなクソだっさい格好を是としていたことは今思い返しても全く解せないのであるが、「あの子らはそれでもいい」という共通認識が確かにあった。わたしは女子バスケットボール部を一年持たずに脱退した帰宅部のガリ勉ちゃんだったし、下に着たものが首んとこから見えるなんて絶対に嫌だったしで、毎日襟ぐりの開いたピンクのババシャツを着てぬくぬくとしていたのだけれども、忌むべき体育の時間には皆一律に半袖短パンの体操服姿で表に追い立てられ、延々マラソンをさせられたりした。

 

 毎朝パート先のお総菜屋さんに行く前に、何人もの中学生とすれ違う。女の子たちは昔のわたしと同じく、紺色のセーラー服を着ている。その上から体操服の長袖ジャージを羽織っている子もいる。けれどコートを着ている子はいないようだし、マフラーも見ない。どうやらここでも理不尽は続行中の模様である。わたしは今何が嬉しいと言って、おそらくはもう二度と、半袖短パンに剥かれて外に出され、寒風吹きすさぶ真冬の運動場をクルグル走りまわれと、長袖ジャージ上下にウィンドブレーカーを着た体育の教師から命令されはしないということより、しみじみ嬉しいことはほかにない。大人になってよかった。

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