黄色と赤の缶カンに


 紅茶が好きだ。と言ってもわたしのことだから「好き=詳しい」とかいうことは全くなく、オレンジペコのトップリーフがどうのとかスカしたコーシャクを突然垂れ始める輩のことは陰で「ミスター味っ子」と呼んでいる。いやホントに詳しくておられるのだからリスペクトしないと、ともう一人の自分が不遜なわたしを諌めるが、それに二三べん頷いたあとに口をついて出るのは「じゃ、美味しんぼで」。


 わたしの「好き」は紅茶か珈琲どっちか選べと迫られた際には紅茶と答えるくらいのことで、ここに緑茶、お抹茶、番茶、ジャスミン茶などの選択肢が加わってくるとなるとそちらに流れる可能性も大、普段飲むのは安いリプトンイエローラベルで全然OKなのである。けど実際あの三角のティーバックは色も味も濃く出るしおいしいと思う。さすがにインド人を百年以上こき使ってきただけある。あの紅い色はインド人の血の色だ。


 それはさておき、わたしはかつて他人が見たらびっくりするような量の砂糖を、紅茶に入れて飲んでいた。チョコレート以外の甘いものをほとんど食べなかった六歳から二十七歳の間の話だ。友人Mのご母堂はそんなわたしに「それで帳尻を合わせてるのよ」と仰った。つまりそうして世間並みの砂糖の摂取量を保っていたのだと思うが、物心ついた頃には紅茶というのはそういうあンまい甘い飲み物だと認識していた。閣下や母親の淹れてくれる紅茶が、そうだったのである。とにかく甘い。マグカップ一杯、およそ200cc程度の紅茶に大匙二杯の砂糖が入る。劇甘である。閣下は土曜のお昼、この甘い紅茶にトーストを浸して食べることがしばしばあった。(そうして過去の記憶をよみがえらせていたのだろうか。)


 紅茶にまつわる思い出は実にいろいろある。尋ねて行くといつもアールグレイを淹れてくれた、わたしが帳尻を合わせてると指摘したMんちのママのこともそうだし、閣下の土曜の昼餐のこともそうだ。伏見のパパ(母方の祖父)は、わたしと兄が早起きするとトーストを焼いて、やっぱり劇甘の紅茶を淹れてくれた。アップルティーだった。小学生の頃友達と公園で遊ぶ約束をしたときに、麦茶の代わりに紅茶を持って行こうと思いついて、自分で水筒に詰めたはいいが、いざ出陣、つってガレージから自転車を出した途端、そこの段差でチャリがったーん、前かごから水筒ごっろーん、道路に落ちて紅茶びっしゃーん、なんてこともあった。その水筒は従姉からのお下がりの、ピンクレディーのやつだった。置いといたらたいがいな値打ちだったんじゃないかと思う。わたしは結構年が違ったので、当時ピンクレディーが何なのか知らなかった。はじめての彼氏だったコーダ君がうちに来たときにこのクソ甘い紅茶を出して、コーダ君が一口飲んだだけであと全部残したこと。バイト先で使っていたわたしの茶渋まみれのコップが、見かねた同僚の男性に磨かれてある日突然きれいになっていたこと。結婚前、父親の運転する車で、父親の仕事場に一緒に出勤していた頃、マグカップ(マグボトルではない)を持って助手席に乗りこんで道中劇甘紅茶を飲んでいたこと(舐めてる。世間を)。


 よく考えてみるとこれらはみんな甘い紅茶に関する思い出だ。不思議なことに、砂糖を入れなくなってからの紅茶には、とりたててどういう思い出もありはしない。これから出来るのだろうか。それとも、甘い紅茶は特別に、記憶を操る魔法を隠し持っているのだろうか。

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