文房具

 おしゃれなひとというのがいる。あれは天から授かる才能だから、なりたいと思ってなれるものでなし、お金があればいいというものでもないようだ。ひと山いくらの古着を着て街を歩いていたケイト・モスはカルバン・クラインの目にとまってスターになり、二十年以上経った今も「撮影後私服で帰って行くケイトを見ると自分の力量にがっかりする」とスタイリストを嘆かせているという。そういうことである。


 おしゃれなひとというのは、身につける衣服においてだけおしゃれなのではなく、当然靴も、かばんも、アクセサリーもいちいちナイスチョイスなのである。おしゃれなひとたちはさらに、ハンカチ、ポーチ、手帳やペンに至るまでええ感じなものを揃えていて、ちょっとしたメモを取るにしても決してパチンコ屋の広告の裏などで済まさず、それはシャレオツな高級メモパッドを使用する。グッチとかのヤツ(なわけねえよ)(グッチがメモ帳作ってたら逆に貧乏臭いわ)。


 ハンカチ、ポーチの類まではさておき、わたしの育った家において、文房具というのはわざわざに自分で選んで買いそろえるものではなかった。文房具というのは「どっかから貰うもん」だったのである。「どっか」というのは自営業だった我が家の場合主に取引先の会社や問屋で、家の中には社名や商品名の入ったペンやクリアファイル、テープ、レポートパッド等々がつねにあり、事欠かなかった。わたしが初めて書いたおはなしも、なんとか社の名入り用紙にだった(当然パクリ小説だぜ)。

 さすがに中学生にもなると「田中会計事務所」とかいうペンは恥ずかしくて学校には持って行かなくなるのだが、アルファベットで何かがちょろっと書いてあるくらいはまだまだ平気で、ボールペンは主にそういうのを使っていた。で、たまさか自腹で買っていた文房具というのがわたしの場合『ザ・シンプソンズ』のものばっかりで、ペンケースも下敷きも雑記帳もファイルも全部バート・シンプソン、センスとかおしゃれとか、そうした感覚とはまったく異次元の、わたしはこのアニメが好きです、という主張しかそこにはないのだった。おしゃれが天与の才であるのと同様にこちらも持って生まれた病気のようなものだから、オマエ、もうちょっと何かあるやろ他に、という忠告は通じない。勿論未だに治っておらず、このあいだ街で見かけた高校生が、『フィニアスとファーブ』(最近まで知らなかったのだが、原作者は過去にシンプソンズのレイアウトを担当していたらしい)に出てくるカモノハシ・ペリーの柄のデイパックを担いでいたのが本気で羨ましくて、もう少しでそれどこで買うたんか教えて、と話し掛けてしまうところだった。


 夫は実はおしゃれさんなので、やはり文房具もそれなりのものを持っている。暮れに、買い物のおまけとしてファンケルが送ってくるスケジュール帳を余裕で毎年使用する無頓着なわたしとは違い、遠路はるばる文房具屋さんに出向いてちゃんとお金を出して手帳を手に入れてくるし、シャープペンシルだって折々に買い替えている様子である(わたしはシャーペンなんて壊れない限り一生ものだと思っていたから、買い替えの必要など考えたこともなかった)。

 そんな夫から、数年前にパイロットの万年筆をプレゼントされた。万年筆というのは実に繊細な文具である。ある程度落ち着いて書くのでなければ字がかすれてしまうしペン先だって傷む、しかも万年とかいうてる割に落とすと即壊れる。書いたら書いたでインクの乾き具合にも気をつけなくてはならない。わたしのような基本殴り書き、おまけにがさつゆえすぐ物を取り落とすという人間とは相性も好いとはいえない道具なのだ。

 そんなだから一、二度使用したきり、ずっと死蔵していた。久々にその存在を思い出して、せっかくだから使おうかなと出してみるとペン先は固まり用をなさなくなっていたので、専門店に持って行って直してもらった。おお、万年筆を使うなんてわたしも大人になったものだ! とノートに挟んでにやにやしていたのはしかしほんのふた月三月のあいだだけで、あっという間にインクは消耗し、今はまた元いた引き出しに眠っている。替えインクの充填はいつになるのかまったく未定。現在はもっぱらJA共済のボールペンをレギュラーで使用している。持ち腐れ、というやつだ。

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