よけいなお世話
えーと、あれです、な、キリンの頸。ちゃうわ、みりんの味。あれ? 墓前の百合? ……ちょっと考えさせてください。
あー、地面と杭? おでんと鰤? ほとんど無理? 違うなー。おじんのソリ(サンタかよ)。おとんと釣り(漁師やろ)。おかんと鍼(肩凝りなのよ)。
イベントあり。おべんと売り。コメント取り。セメント塗り。あっ
「メメント・モリ」ということばがあるそうな。あるそうな、ていうかあるのである。そこをあえて伝聞形で書くのは、わたしがうっすら反感を覚えているからにほかならない。なんつーか、そんなことをわざわざ、わざっわざ、横文字で言う精神が気に入らない。タイソに言うな、と思う。あえて言わんでいい、と思う。え、つか当り前じゃない? と思う。
翻訳すると「死を忘れるな」ということらしい。いろいろなひとがこのことばを取り上げて文章を書いていたり、有名な写真集の題名だったりするので、ご存知のむきも多いであろう。でもわたしはこのことばを思うたびに、
どうですか、みなさん、メメント・モリのほうは。
なんて、もう、いちびって聞いたろけ? え? 聞いたろけ? タコ踊りで。という態度になってしまうのだ。自分がそんなん当然やんと思っていることを、他人がさも意味ありげに云々しているというだけでこうした気分が横溢してくる、というのはひとえにわたしの人間としての器が小さい、というばかりの話なのだが、いきなり命令形か(しかもカタカナで)と癇に障る。自分もいつか死ぬ、くらいのことは誰しもふと考えることがあるだろう。べつに普段から毎日常に「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」なんて思っていなくていい。ついにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを、というのがごく標準の態度だとして、メメント・モリなんて言われなくても真面目に日々を送る人は送るし、一度しかない人生だものと羽目を外す人は外し続ける。
個人的にはあの世とこの世は地続きだと思っている。すぐ近くだ。何かのはずみに、思いがけずぽんと行ってしまうこともあるだろう。ついにゆく道のことを日ごろから心しておくためならば、メメント・モリなんていう上からのしかつめらしいセリフを座右にするより、先人のナイスな辞世をひもといてみてはどうか。ついでに自分の辞世も準備、毎日更新くらいの気持ちで次々ひねる。「あの世にも粋な年増がいるかしら」というロックな辞世、わたしの大好きなものなのだけれども、何で読んだ誰の作だったのか今思い出せなくて悶々としている。多分江戸の方の噺家さんだったはず。めちゃかっこいい。
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