ブルーダイヤを入れながら
「俺、気付いたら十分くらい見てたんだよね。洗濯機ん中。気がついて、あ、俺やべー、と思って」
夫の友人のT君は、半笑いでそう語った。十五年くらい昔のことだ。T君は自分の行為を異常、あるいはその兆しと判断したようだった。
「別にふつうじゃない?」「そう?」「あれ面白いっつーか、なんか見てまうやん」「そう?」「わたしよくやるけど」「乙子ちゃん、それヤバいよ」「そう?」
最近の、小賢しいロック機能なるものが付いていなかった時代の洗濯機、とくに学生が選んで買うようなドコノウマノホネメーカーの安い全自動洗濯機に関して言えば、フタというものはコースの途中だろうがなんだろうが、いつでも開け放題だった。さすがに脱水中に開けると運転が停止されるようになってはいたが、水をためてぐるぐる回して洗っている間は、フタを開けてさらなる汚れ物をぶち込んでも、なんならそのあと脱水モードに切り替わるまでフタ全開のまま放っておいても、それで全然平気だった。
ざんぶりざんぶり、浮かんでは消えてゆく衣類その他を眺めるのは楽しいわけでもないのに、なぜかつい引き込まれてしまうという謎の求心力があり、ババシャツ、縞タオル、今晩何食べよかな、ハンドタオル、キャベツ炒めかな、靴下、冷ご飯あったよな、ババシャツ、デニム裏返してないわ、ハンドタオル、けどお好み焼きもできるよな、靴下、靴下、天カス入れたらデブになるよな、縞タオル、スヌーピーのバスタオル、だいたい天カスなんて今ないけどな、デニム、袋に「天加寿」とか「天花寿」とか書いたのが時々売ってるけど美化にもほどがあるよな、シャツ、おおパンツ初めて見た、揚げ玉ってのもスカしてる感あるし、スヌーピーが、パンツと、ざんぶりざんぶり。そんなふうに軽く五、六分は洗濯槽の中に目を落としていたものである。
その頃バイトしていた理髪店のバックヤードでは、備え付けの二槽式洗濯機で洗うものが白一色のタオルのみだったためか、白タオル白タオル白タオル白タオルの浮沈を見つめながら考えることはもっと哲学的になり、
「生きるとは」
みたいなソー大なテーマに取り組んだりしていた。
もろもろの布製品が織りなす洗濯槽の景色は、当然ながらいつも同じではない。諸行は無常なのである。たとえ登場人物が同じまたは一定の少なさであっても、表出するドラマは常に、微妙に、新しい。護摩壇に座る僧侶も、同じ一つの火というものが、たえず違った形で燃え上がるのを見るだろう。野原に寝転がって、湧き、縮み、流れる雲を見上げる人々も、この世の中の不定について、ふと思いをいたす瞬間があるだろう。洗濯機の中を覗くことだって、それと同じなのだ。言わば、フタ開閉自由の洗濯機は、我々に内省と思弁の機会を与えていたのである。
なんてことをね、実家のふっるい古い洗濯機の前で、ついつい考えてしまうわけよ。バカじゃないの。ちなみに94年製。
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