わたしとO、『ほかに誰がいる』、そしてコジマさんの話




 わたしと友人Oの出会いは高校一年の四月、最初の始業式の日にさかのぼる。今からちょうど二十年前のことだ。同じクラスに割り振られたでもなく、それ以前には一切の面識もなかった我々だったが、各クラスの解散後の早い時間に、いろんな中学校から集まってきた女の子達がなんとなく群れていた下足場の輪の中で、


「お腹すいたな」


「お腹すいたな」


「マクド行こか」


「マクド行こう」


という合意に至った、たった二人の人間だった。いや、その時点ではわたしたち二人ともが、まあ他の子も何人か来るやろ、と思っていたのである。ところが、なんとなくまたみんなでぞろぞろと校門まで歩いていって、んじゃーあっちやな、マクド、とマクドナルドのある北北東に足を踏み出したのは我々二人しかいなかったのだった。


 登校初日、初対面やのに二人っきり。元来わたしは誰とでもすっと打ち解けられるような柔軟で温和な人間ではなかったし、今もないし、これからも多分そうならない。それは過去現在未来、どの時点の自分の感覚で考えても、本来ならば御免蒙りたい、ありえない状況であった。ところがこの日は、なんとなく、結局ウチらだけやん! と言いながら、わたしたちは紺色のスカートをひらひらさせてマクドナルドに行ったのである。


 我々は食べている間ずっと無言だった。絵ヅラ的には「気まずい人たち」とみられても仕方ないような。でも、先に食べ終わった私が、


「愛想なくてごめんな、わたし、食べてるときはしゃべらへんタチやねん。『食』に集中してるから。怒ってるとか機嫌悪いとかとちゃうねん」


と言ったら、


「あ、一緒やな」


と、Oは笑った。





 それからというもの、わたしは毎日Oと一緒だった。わたしは大体一時間目の途中で学校に着く。Oも二時間目前後に適当に来る。三時間目の始まる前あたりに廊下で会う。「よっしゃ、帰ろか」


 二人で自転車に乗って、Oの家に帰る。わたしは電車とバス(二年生からは秘密裏に原付)を使ってとなりまちから通っていたが、Oの家は学校から自転車で十分のところにあった。そして二人でストⅡをやったり、漫画を読んだり、民生のCDを聞いたりして、全部の授業が終わる時間になったら部活のために学校に戻る。しかもそこからさらに、部活終了後まさかのアンコール=どっちかがどっちかの家に泊まりに行く、なんて日まであって(*わりとよくあった)、Oがうちに来た翌日は、閣下がOにもあの茶色弁当を詰めて持たせた。そらもう勉強なんか出来るわけがない。私に関して言えば、数学は特にわからない教科だった。∑や∫の意味はもちろん、読み方もわからなかった。もしも五十分授業の一部がベンガル語で行われていたとしても全然それには気付かなかっただろう。ハナから意味不明なことが多過ぎたからだ。


 わたしたちは別々の大学に進んだが、そう離れた所でもなかったので密な付き合いがずっと続き、そのまま大人になった。相当に恥ずかしい部分も、つらい事実も、苦しい場面も、わたしは自分のほぼ100パーセントを彼女に見せてきた。このひとは、宇宙の創造主、あるいは神、あるいはサムシング・グレイトがわたしに与えたもうた我が世の宝だと思った。





 でも、わたしが結婚して、子どもが生まれて、生活環境が違ってくると、わたしたちはあっという間に疎遠になってしまったのだった。「去る者は日日に疎し」ということばがある。こんなにおそろしいこの世の真理を示した箴言があったものかと、想起するたびに打ち震えてしまう。子どもを連れてでも会いに行けばよかったのかもしれないが、わたしにはそれが出来なかった。子どもというのはこちらの都合を聞いてはくれない生き物である。わたしはOとしゃべりたい。今までと同じようにしゃべりたい。けれども小さき者どもは気分次第でそれを許さないだろう。Oに会えても、自分はきっと、「全っ然しゃべれへんかったやん!」とかいう不満をどっさり抱えて家に帰ることになるだろう。そんなのは嫌だ。





 わたしとOは年賀状だけの付き合いになった。信じられなかった。毎日必ず、あー、Oは何してんのかな。と考えた。そのうち月一くらいの頻度で、夢まで見るようになった。自分は異常なのではないか、と思った。てゆーか異常やろ、と思った。間違いなく。その頃、わたしは朝倉かすみさんの『ほかに誰がいる』という小説を読んだ。ユーモアあふれる洒脱な文章の名手である朝倉さんだが、暗く重く偏執的な人間の内面を見つめる作品も発表してきた。『ほかに誰がいる』は完全に、ダークサイドオブアサクラ、と言うべき長編で、ひとりの女の子が同性の友人のことを(同性愛の気持ちからではなく)愛するあまり、最終的には精神のバランスが取れなくなっていく様を如実に描いた作品だった。





 わあああああ、わたし、ここまでヤバくないけど、気持ちだけはめっちゃわかるわー! これ、めっちゃわかるわー!!





 わたしは本を閉じてわなないた。このことは、この主人公に心底共感しまくれるという事実は、誰にも言えない。とくにOには言えない。だって、あまりにもキモチ悪いやろ。



 


 去年、パート先のうどん屋で古新聞を畳むという雑務をしていたときのこと、人生相談のページが目に入った。相談者は二十代の女の子だった。曰く、自分にはとても大事な親友(女性)がいて、はっきり言ってその子に依存しているような有様である。ちゃんと付き合っている男性もいるし、同性愛とかではないのだけれど、自分がその友達のことを好きであるようにその子からも好かれたいと思っているし、とにかく日々の暮らしの中で、その子のことを考える時間が大変多く、どうしたものかと困っています、という内容だった。





 オマエはわたしか?!





 わたしはびっくりして、息をするのも忘れてしまった。


 回答者はたしか増田明美さんだったと思う。かいつまんで言うと、「お友達を大事に思うあなたは異常ではありませんよ、それはステキなことです、それでもお困りなのであれば、彼女のことを考える時間を少し小さくするために、何か熱中して打ち込める新しい趣味を見つけてみましょう!」と、増田さんは温かく答えていた。


 だからな、そーゆー問題じゃないねん。そんなんで解決出来ることやったら、はじめっから相談なんかせえへんってば。


 わたしは新聞を開いたままじっと固まってきたが、心の内側では、その場でくずおれて新聞の山に突っ伏すような気分だった。と、


「アンタ、なに読んでんの」



 そのとき声を掛けてきたのは、一緒に働くコジマさんだった。コジマさんは実家の母と二つほどしか変わらない、実際わたしと同年代の息子さんを二人持つ「おかあさん」である。思ったことをポンポンはっきりおっしゃるために合わない人とは本当に合わない、難しがられるタイプの人なのだが、わたしは決して嫌いではない。むしろ、根本的には情の厚い、好い方だと見ている。


 人生相談の欄にわたしの相談が載ってます、とは言わず、わたしはいやー、レシピんとことか、などとお茶を濁して新聞を片づけた。そして洗い物に取り掛かりながら、そばで拭き掃除を始めたコジマさんに話をした。


「わたしね、高校の時からずーっとずーっと仲良かった友達と、結婚して子ども出来てから全然会えへんようになってしもて、もう泣きそうなんスよ。また会って遊びたいけど、もうこのまま切れてしまうんちゃうかと思って」


 するとコジマさんは、


「その子は結婚してんの?」


と行く手に配置されている七味や爪楊枝を集めてよけた。


「してへん」


「ほうか。ほなその子は子どももいてへんで、仕事してるねんな」


「そう」


 わたしは食洗機のかごに湯呑をどんどん並べていった。 


「別に尋ねて行かれへんくらい遠くに住んでるわけやないし、わたしも子ども連れてでも無理くり行ったらよかったんかもしれへんのですけど、子どもは大人には付き合うてくれませんやん? むこうにも子どもがいてたらもうあんたら勝手に一緒に遊んどきー、いうて万々歳やったかしらんけど、実際わたしの方にしか子どもはおれへんねんし、ウチの子絶対割り込んでくるしね、ごてごてゴテゴテ、はよ帰りたいとか言いよるやろし、そんなもん友達に会いに来たんか我が子の相手しに来たんかわかりませんやろ。友達をそれに付き合せるんも厭でね、遠慮がある、ゆうか。ほんで一旦なんとなしに会わへんようになったら、いっぺんにほぼ絶縁みたいな状態になってもて。わたしが結婚するまでは、二日置き、いや二日はさすがに言い過ぎか、でも一週間顔見ぃひん、いうことなかったんですよ。信じられへん。もう、『昔仲の良かった子』ていう、過去形の間柄でこのまんま死ぬんちゃうやろかと思うと」





 コジマさんはふんふんと頷くと、布巾を広げて裏に返した。





 アンタの気持はようわかる。わかってくれはります? わかるわな、わたしかてアンタくらいのときはもう毎日必死やったで。子どもの後ろついてウロウロしぃ回さなあかんやろ。友達やら何やら、会いたいなあ思ってても、会われへんねん。そうですよね! そやで。みんな一緒やねんや! せや、一緒や。





 食洗機がぴぴぴぴ、と出来上がりを知らせた。


「けどな、アンタ、また会えるで。今は立場やら仕事やらがお互いちゃうから、いろいろ難しいけどな、アンタがまず子ども、手ぇ離れるやろ。そのうち。ほしたらじきに会えるて。なんぼ久しぶりで、間が空いててもな、仲の良かった子っちゅうのは不思議なもんで、もう会うたらいっぺんにな、その間がみーんな無かったことになるさかい。ほんでそのとき、今度はその子の方に小さい子どもがおったとしても、アンタはもう慣れてるやんか、子どもはだいたいこういうモンや、ちゅうのが分かってるやろ? ほんなら適当に機嫌取りもって、いっしょに遊んだったらええがな。ほんで、もっともっと年いったら、晴れて『附録無し』で、お茶飲みに行ったりご飯食べに行ったり、なんぼなと出来るわ」


 熱々の湯呑をごっそり取り出して、うわ、早くそうなりたい、と言うと、コジマさんは向こうのカウンターに移っていった。


「まああと十年は辛抱やな」


「なっがー」


「長いようでそんなもんじきやで、アンタ。まあ、そういうもんやから、心配せんとき」


 コジマさんはまた布巾を折り返した。わたしは心の奥の、底の底の底から、


「コジマさん、おーきに」


とお礼を言った。コジマさんはまあな、まあまあ、なんて言いながらカウンターの端まで拭くと、わたしがその朝活けたコスモスの花瓶を、これしたん、アンタやろ? もうちょっと綺麗に活けたらんかいな! と、ついでにぬぐった。

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