カヴァーズ



 海外の翻訳小説が好きだ。ズッコケシリーズと偉人伝を卒業して、親から与えられたミヒャエル・エンデや『トムは真夜中の庭で』を読んだあと、自分で初めて買った大人用の文庫本はキングの『スタンド・バイ・ミー』だった。どこの書店で買ったかも、中一だった自分がその日何を着ていたかも覚えている。ただし、何故それを選んだのか、という動機だけはわからない。不思議なことだが真実である。まあ、わたしはずっとガイジンになりたかったから、なにか外国の小説を読みたい、と思ったのだろう。同時期に、わたしは家の本棚にあったJ・アーチャーの『ケインとアベル』『ロスノフスキ家の娘』も読んでいる。うちには父親の大量の蔵書があった。



 翻訳というのは原書のカヴァーをつくることだ、という非常に、非常にわかりやすく的確なことばを、ウィリアム・トレヴァーの『聖母の贈り物』の訳者あとがきで紹介しているのは翻訳家の栩木伸明氏だ。同業の鴻巣友季子氏もイヴェントの席で、E・ブロンテの『嵐が丘』の新訳を発表したことに触れて、「わたしは『訳し直し』という言葉を使うのはやめているんです。<略>『再訳』とか『訳し重ね』と言っています」(http://www.aspect.co.jp/100years/)と話しているが、同じ話を違うひとの手になる翻訳で読むことは、実に、様々な歌手やバンドが歌っている同一曲を聴き比べるのと同じ楽しみがある。ただひとつ残念な違いは「モトウタ」がわからない、つまり原書を読むことがわたしには出来ない、ということだ。いや、やってやれないことはないのだろうけれども、おそらくは『たあへる・あなとみあ』を読む杉田玄白みたいな有様になって、一話読み切らずに死ぬ、などという結末にもなりかねない。事実、わたしの書架には数冊、大好きな海外小説の原書があるが、手元に置いては見たもののやはり自分でカヴァーする気にはなかなかなれないのだった。やってはみたいのだけれども、音痴でね。


 音楽では、カヴァーヴァージョンのほうが原曲よりええんちゃう? ということがちょくちょくあって、例えばわたしにとっては「オール・ザ・キングス・ホーセズ」は、アレサ・フランクリンのオリジナルよりも、2004年にジョス・ストーンが出したヴァージョンの方が好かったし(若いのにスゲーな! と思った)、バカラックの「ウォーク・オン・バイ」もディオンヌ・ワーウィックが歌った元歌よりアイザック・ヘイズ版が好きだ。後者に関して言うと、ヘイズヴァージョンの同曲は、もはや辛うじて原形とどめている程度というか、ヘイズの手によってすっかり別の曲のように変貌していて、比べてどちらが良い、悪いという次元の話ではないような気もする。つまりそれが、その新たな解釈こそが、する方にも聴く方にもカヴァーというものの醍醐味なのであって、逆に、カヴァーと言って原曲に忠実なままの歌われ方をしていたりすると、よほど原曲のかたちに思い入れがあるのか、単に技量の無さなのか、聴き手としてはこれもまた興味が尽きないのである。


 前述したとおり、わたしは自力で海外の原書を読むことが出来ないので、翻訳の方が原書を超えている作品というのは全く思い当たらないというか、わからないのだけれども、稀代の名コラムニスト、故・山本夏彦翁などによれば、鴎外訳の海外小説は原作よりオモロイらしい。とりあえずわたしに出来ることは翻訳の読み比べである。これには、やはり大変な楽しみがある。甲乙二人の訳者の文言を較べながら、ここの部分は甲氏の訳文の方がカッコええけど、次の行は乙氏の圧勝やな、などという所感を抱くこともある。


 翻訳小説はどうも人気が低調なのか、わたしの知り合いでもすすんで読むという人はそんなに多くないのだが、おもろいのになー、もったいねえ、と心底おもう。でも、少しでも読んでみると(わたしだって偉そうなことを言って少ししか読んでいない)、贔屓の訳者さんが出来るはずだ。つまり、好きな歌い手である。その人の声や歌い方を気に入れば、いろんな曲を聴きたくなるだろう。カヴァー曲探訪の旅。そういうことだと思う。だから是非。そうして読者が増えれば、翻訳本の価格が下がるんじゃないかという期待を込めて猛プッシュ。あとわたしは、舞城王太郎が『スタンド・バイ・ミー』をカヴァーしてくれたらなあ、と夢想してやまない。ぜったい面白いと思うんだけど。嗚呼。

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