一家言


 きっちり数えたことはないのだが、ざっと見積もって八百枚の音楽CDを所持している。それが多いか少ないかは何とも言えない。十数枚しか持っていないという人からすればもはや狂ってるレベルかもしれないし、三千枚はくだらない、もう家じゅうパンパン、みたいな人から見れば大したことはない。わたし個人の感覚からすると、まあ、少ないわけでもないが別に大したことはない、というところである。高校一年の頃出会った音楽ライター志望のお兄ちゃん(当時大学生だった)が千枚持ってる、と言っていたことがわたしの中でのひとつの基準になっていて、まずは千枚越さないとひとに「いっぱい持ってる」と言え、何か語ってもいいうちには入らないと思っている。これもまた、わたしにとって効きの良い言葉だったわけである。


 しかもわたしの場合、音楽について何らかの主張をしたいこのお兄ちゃんとは違って、聴く、歌う、踊る、楽しい、以外に音楽に求めるものも、掘り下げたいところも一切ないのだった。完全な消費者なのであって、日の出から宵の口までマニアックな蘊蓄の数々を開陳しまくったりするようなこともない。その八百枚というのは互いにほとんど何の脈絡もなく自分が気に入った、あるいは興味のわいたものだけを買い集めたので、オシリペンペンズからパリス・ヒルトン、ジプシー・キングスからチャイコフスキーまで、たしかにジャンルは幅広いが、そのどれ一つとして、わたしが詳しいものなんてないのである。音楽について知っていることといえば、それを聞いた時の気持ちよさだけで、ジャズの歴史、パンク今昔、ヒップホップ栄枯盛衰、どれをとってもなんにも知らない。全体的に底の浅い人間であるから、探究心もなければコレクション癖もない。ウチのCD棚にあるのに、鼻歌で歌えるのに、タイトルは知らないという曲だってある。いっぱいある。いろんなことがどうでもいい。音楽に関する何かのプロフェッショナルになりたいなんて大それた意志を持ったことは一度もないし、こと音楽に限らず、何かを追及したり研究したりしたいと思ったことが全くない。よしんばそう願ったとしても、能力が夥しく欠如している。わたしには根気がない。オタクと呼ばれる人々を、常々畏敬の念で見ている。


 そうして思えば、ほぼ毎週見ているスーパーラグビーのことだって、やはり一向に詳しくならないし、自分が毎晩飲んできた日本酒についても、どこの酒蔵の何がどうとか、死ぬほど語れる人はいくらでもいるのに、わたしははっきり言って何も知らない。ラグビーに関しては、球の行方と男たちの首筋及び下半身とを見ている。酒に関しては、その日その時美味いか不味いかだけを問題にしている。享楽的なのだ。この際、何についても一家言ないことについては一家言ある人、とか、決してなんの専門家にもならない専門家、と名乗るのはどうだろうかと思っている。わたしの周りには些事しかない。


 しかしまた、人生は些事から成る、と古人は言った。


 去年から「カクヨム」という角川書店主催の文章投稿サイトでこの駄文を公開しているが、読んで褒めてくださる見ず知らずのお客さんが何人か付いた。任意で、ミシュラン的に星がつけられるシステム(三点満点)になっており、さらに感想というかレビューも、書いてくれる人は書いてくれる。頂いたレビューを見ていて、わたしがもっとも嬉しく感じるのは、わたしの書いているコレが「日常のホントにどうでもいいこと」と評されていることである。どうでもいい。なんて素敵な言葉だろう。「どうでもいい」はわたしにとって最上級の褒め言葉だと思っている。どうでもいいことはどうでもよくないんだけれども結局やっぱりどうでもいい。そういうのがいい。

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