むばたまの



 わたしは、三十代でという条件をつければ、この辺きってのべっぴんさんである。ブコウスキー風に言えば村でいちばんの美女。コンテストがあれば間違いなく優勝できる。この玉座は、候補者あれども該当者なしという結論が採られない限り、そして先般1kmむこうの家に嫁いできたカオリさんが三十歳のお誕生日を迎えるまで、わたしの手中で盤石だろう。何が言いたいかというと、三十代の女性が、我が村には現在わたししかいないということだ。


 わたしは山奥に住んでいる。住民はきわめて少ない。「田舎暮らし」などと言うと、強固な希望に基づいて田園山林地帯に住み着き、カントリーライフ満喫してます! と声高に主張するような感があり、他方「過疎地で生活してます」と言うと、人口が極端に少ない地域で意にそぐわぬ不便過酷な日々を送っている、とぼそぼそ説明するような雰囲気が漂うが、わたし個人の意識はそのどちらでもなく、夫婦約束をした人の家がたまたま山の中にあり、盃してのちそこに住み続けている、ただそれだけのことである。ちなみに、「過疎地」派の人とはまだ話ができそうに思うが、「田舎暮し」どもとは多分わたし、思想信条的に全く相容れない気がする。ロハスでナチュラルでオーガニックな感じ。陸地のシーシェパードな感じ。非常に苦手だ。口を開けばスローライフ。草木染めのコットン衣類を身にまとい、庭にかまどをこしらえて、天然酵母・全粒粉のパンを焼き、裏の籔で採れた野イチゴの自家製ジャムを添えて丸太造りのテーブルに並べ野外で食す。朝から。たのしいムーミン一家か。なんならついでに小川の水で洗面するがいい。


 つい悪口に走ってしまった。話を戻す。衣・食・住を重要視している順に並べ替えると、わたしの場合食・衣・住となり、数値をもって表わせば10点満点で6・3・1かひょっとすると7・2・1の割になる。いずれにせよ住に関しては、かなりどうでもいいと思っている。雨に濡れないところで眠れたら御の字だ。視点を変えれば順応性が高いということで、終日ガタゴトうるさい線路わきでも、ひっきりなしに救急車の出入りがある総合病院の前でも、別段気にせず暮らせる自信がある。実際後者のような場所で生活していた時期もある。そしてそれこそ住めば都で、わたしは自分の住処をかならず愛するようになる。近所のおばちゃん連は、わたしが、田舎が好きでここにやってきたと思っているようだが、実のところそういうわけではなくて、暮らしているから好きになったのだ。順序が逆なのである。


 そんなわけで、前述したようにわたしはロハス系の人々とは全く姿勢を異にするが、山奥生活のいいところなら彼らと同じようにいくらでも挙げられる。ここに来て一番良かったことは、夜、本物の真っ暗闇を享受できることだ。うちの周りには当然街灯もなく(だって街ちゃうし)、お隣さんは隣と言い条坂の下にあるから、自分の家の電気を全部消してしまえばあとは月と星の明かりしか残らない。新月の晩などというのは、本当に真っ暗である。月のある夜ばかりじゃねえぞ、という脅し文句が、現実にどれほど恐ろしいものだったかということが一発でわかる。母屋と離れ間の移動にあたって、足下が見えなくて危なかったことも一度や二度ではない。





 君たちは本当の暗闇なんて見たことがありますか。わたしの小さかった頃は、住んでいたのも田舎であるし、日が暮れれば周囲は真っ暗だった。そこへ月が出る。星が出る。月明かりというのは今では街にあふれる電気のせいであまりよくわからなくなっているけれども、それはそれは大変なもので、満月の明かり、半月の明かり、細い細い三日月の明かりでも、あるのとないのでは大違いなんですね。月明かりで照らされる景色というものには独特の美しさがある。一方闇夜というのも、恐ろしいけれども、目が慣れてくると闇の中で建物や山の木々は、その部分だけさらに濃く黒々としてまた美しい。京都の寺やなんかが近頃、ライトアップなんて言って夜電気を点けて、やっているでしょう。馬鹿馬鹿しい。夜は暗いからこそいいのです。





 E教授はご自分の受け持つ講義で話された。わたしはE教授の語り口がとても好きで、今でもこうして学生時代に聞いた先生のお話を、その抑揚とともにありありと思い起こすことができる。夜中納屋に置いてあるビールなどを取りに表に出て、家の南側の森が見せる墨を練って重ねたような完璧な黒に接するたび、先生の弁を脳内で再生しては、そうですね、そうですね、と諸手をあげて賛同する。夜は暗いからこそいい。と、そこにあった如露を気付かず派手に蹴しとばし、残っていた水で足が濡れる。刺すように冷たい。昼間ここにこんなものを出しておいたのは誰やと怒り狂う。暗いっていいことか?! しかしまあ、それを片付けなかったのは、他ならぬわたしである。半日前の自分を呪いつつ手のひらで足を拭い、ふと顔を上げると月のない空には満々の星。


 やはり、夜は暗いからこそいいのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る