He lives in a house,a very big house in the country


 結婚する前は親と一緒に街に住んでいて、車で十分か十五分も行けば百貨店の駐車場に着き、ヘタすると自宅出発後半時間以内にはもう一つ目の紙袋を提げてぶりぶり通りを歩いていた。


 ところがこの山奥に嫁いでくると、自動車に乗り込んで三十分が経過しても、ショッピング開始どころかまだどこにも着いていない。百貨店のある街へは、最寄りの駅まで車で出て、さらに電車に乗らなければならないのだ。我が家の近所にはスーパーはおろかコンビニもなく、あるのは野菜の無人販売棚ばかりで、そこに並ぶ野菜はたいていウチの畑でも作っていたりする。わざわざ買わなくてもいい。この山の中で、野菜と同じく貨幣との引き換え行為に頼らず動物性蛋白質を得るには、野山に分け入り鹿でも撃つか、川に籠を仕掛けてハヤとかドンコを捕まえるか、隣の集落のPさん宅に忍び込んで鶏小屋の卵かその親かを失敬してくるしかないのだが、わたしは狩猟の免許は持っていないし、Pさんちに入ったなんてことがバレたらただのムラ8では済まない。盗人を待つのは人生のムラ8である。


 とにかく、夜になってから何か是非とも必要な物があると分かったって遅い。午後七時を回ったあたりが限界ぎりぎりである。まあ、十八時半には既にほぼ間違いなく呑んでいるため、どのみちわたしが車で家を出るのは不可能になるのだが。


 はじめのころは島流しに遭ったような気持になり愕然としたけれど、いろんなことがあっという間にどうでもよくなるのがわたしの取り柄である。真っ暗闇の美しさやそこらに生い茂る草の名前を尋ねることを楽しむようになり、それはそれでよいと思うようになった。しかも、何か欲しいものがあって、それが今日いまという急ぎでさえなければ、アマゾンに注文した翌日にはクロネコヤマトが運んでくるのである。しかもウチは実際のところ離島ではなく近畿の山間部なので、特別運送料みたいなものは一切かからないときた。


 先だって実家に帰った際、午後九時前に末の子の紙おしめを持ってきていないことが発覚した。婚家にいたなら布団に防水マットを敷き、古代の布おしめを掘り起こしてきて翌朝の睡眠不足を覚悟の上ことにあたらなければならないところだったけれども、近くの大型スーパーが二十二時まで営業していると思い出し、財布だけ持って歩いて行った。道には数メートルおきにちゃんと街灯があって、久しぶりにジャージ姿しかもスッピンで人間世界に出ようとしているわたしの足もとを照らした。一人ならず、ジョギングあるいはウォーキングをしている人たちとすれ違い、ものすごくびっくりした。危なくないの?! 夜中やで?! うちの近所なら夜中はとにかく猪鹿が怖い。そういえば、実家に帰るとなぜだか寝づらく感じるときがあるなあと不思議に思っていたが、それはこの街灯の光が、カーテン越しに部屋に入ってくるからだ。眩しいのである、もはやそれすら。そのことに気がついて、自分はすっかり田舎の人になったのだと思った。

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