オートマじゃだめだ


 この四月から夫の勤務時間が変わり、朝息子を保育所へ送っていくのは夫の仕事になった。楽になった。でも夕方の降園時刻には夫は間に合わないため、今まで通りわたしが迎えに行っている。


 ここで問題になるのは車が二台必要になった、ということだ。田舎っちゅうところは生活のために、本当に大人一人に付き一台車が要るのである。ところが我々夫婦は二人で一台しか持っていない。今までまあなんとかそれでやってきて、どうしてもムリ、という時だけ、わたしか夫かが母屋の義母の車を借り、事なきを得てきたのである。ところが、四月からは毎日が「どうしてもムリ」な状況になってしまった。そういうことになるぜ、という見通しの立った年明けあたりからかなり真剣に、一台プラス導入について検討したのだが、結局のところは財布の塩梅である。ない袖は振れない。もっと露骨に言うと、どこにそんな銭があるんじゃ、ということだ。それで我々は母屋に頭を下げ、春から毎日車を貸してもらうことになった。

 だがそれは即ち、義母の自由を制限することになる。三時半以降はわたしのためにスウィフトを置いておいてくれる算段で、義母は自分の予定を組まなくてはならない。非常に申し訳ない。いちおううちには軽トラもあるので、義母にしても「どうしても」な時はそれに乗って行ってくれるのだが、軽トラでは行けるところと行けないところがあるわけよ。いや、どこにしろ物理的に行くことは可能だ。そういう意味じゃなくて、例えばお義母さんが自分のお友達に会いにシャレオツレストランへ行くとして、軽トラで行けるのか? ということである。

 ああ、自分もマニュアル車の免許を取っておけばよかった、とわりと以前からうっすら後悔していたことが、今やもう爆発している。やっぱり取るべきだったのだ、あのとき! 何でも基礎を押さえておかなければいざというとき応用が利かないのである。


 わたしがAT限定免許を取ることにしたのは兄の勧めがあったからで、おにいやん崇拝のわたしにすれば、兄の勧めといったら神の託宣も同義である。わたしよりも二年先に運転免許を取得していた兄は、まちなかで普通に車に乗るならマニュアル免許なんかいらんぞ実際、とわたしに言った。オートマにしといた方が教習期間も短いし、試験も簡単や、と。

「でもお兄ちゃん、それやったらフェラーリ乗られへんやん。フェラーリは全部ミッション車らしいで。よう知らんけど」

 そこで一旦は異を唱えたが、お兄ちゃんが黒と言ったら白猫も黒猫である。わたしはあっさりATコースの申込書を書いた。

 ところが、嫁いできたここに確かにフェラーリはなかったが、軽トラがあったのだ。軽トラ以外の全ての車が出払ったあと、このクソ田舎で何度となく軟禁状態になったわたしは「ああ、これに乗れさえすればなあ・・・」と遠い目で白い車体を眺めた。


 近所で八十を過ぎたおばあちゃんたちが、ろくにミラーも見ずにばりばり軽トラに乗っているのを見ると恐ろしい反面非常に羨ましい。先週も苦土石灰を買うおつかいで農協に行ったら、手拭いをあねさんかぶりにした、似たようなおばあちゃんたちが三々五々軽トラに乗って買い物に来ていた。てゆーかあのばあちゃんたちが乗れるんだから、いまからでも練習すりゃあわたしも乗れるんでは? と思う。けれどあれだ、ばあちゃんたちは昔取った杵柄、ってやつで、若いころ仕込んだ技術だからいまだに使えているんだろうなあ。見くびってはいかんのである。軽トラ、ていうかミッション免許、ほんとに羨ましい。

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