宴の後
先だって身内に慶事があり、一族郎党皆集まって大いに騒いできた。
わたしは訪問着を着て髪を結い、ちゃんと洗車した自動車で馳せ参じた。着付け自分、ヘアセット自分、洗車自分、運転自分、全部自力である。自慢しているのではない。ひとを頼めるような財政事情ではないということが言いたい。常より財布に茶色のお札が何十枚も入っている、というような立場であればハイヤーを呼んでまず美容院へ行き、而してのち祝い酒を飲むことも出来たろう。そうしたかったのは山々だが、わたしは早起きしてカーラーを頭につけた姿で子どもたちが変! 変! と囃すのに「美しくなるための支度姿はたいてい美しくない、けれども高く跳ぶには低く屈まねばならない、わかるか?」と言い返しつつ朝御飯の用意をし、長女を無給アシスタントにして「帯枕、パス!」などと指示を出し、高速道路をひた走って会場に到着した後は「車で来たし」のひとことを何度も言い、固形の御馳走のみで腹をくちくしたのだった。
着付けは二十歳のときに、お茶のお師匠さんから教えていただいた。洋服と違って、着物は多少のサイズアップ/ダウンにも対応できるし、とくに色無地を一枚持っていれば流行すたりも関係ないので、向こう三十年は何も買わなくていいだろうというところがまた素晴らしい。
ヘアセットの方もやはり二十前後の頃、女子の雑誌で見て覚えた。当然プロの美容師さん方と張り合う気など毫もないが、雑誌で紹介される程度のことならば、まあ、やってみて出来なくはない。というか、主役でもなし、誰もわたしのアタマなんぞに興味はないのだ。それなりに上にあがってたらいいんじゃないの、髪が、ということである。そしてケープでがっちがちに固めとけばいいんじゃないの、と。
帰ってきて髪飾りなどを全部はずし、さあ風呂で流すか、というときがまたすごい。毛があらゆる方向に、あるいは巻き、あるいは逆立って、出光のアイツ、鳥山明の孫悟空、踏みつけられたバフンウニの姿などをいっぺんに想起させる。バフンウニが一番近いか。前衛アート関係のひとのようである。カーラー頭を見たときよりもさらに、子どもは盛り上がる。シャンプーも、一回目はほぼまったく泡立たない。
そしてそれをドライヤーでごうごう乾かして元の姿に戻るわけだが、わたしはこの普通のブローが得意である。これは、まごうことなき自慢である。
むかし閣下と住んでいた家の洗面所は、閣下の部屋である六畳の和室から廊下を挟んで向かいにあり、中仕切りのガラス障子を開けていればそこにいるお互いが丸見えになる位置関係だった。以前にも少し書いたが、わたしは中学生になるやならずやの頃から激しくそして長い反抗期に入り、大体において不機嫌で、非常に鼻持ちならない孫娘であった。夏場など、風呂から上がって洗面台の三面鏡の前に立ち、ドライヤーとブラシを使っていると、座敷で団扇を手にラジオを聴きながら脚を伸ばしている閣下がこちらをみているのが気配で分かる。頭の左側を整える向きになると、閣下が視界に入る。目が合う。たびたび合う。
「なに見てんの」
「いやあ、上手やなあと思て」
わたしはがらがらぴしゃんと戸を閉てる。
ドライヤーを握って思い出すのはそんなことだ。今すぐいって閣下に謝りたい。この場合の「いって」はつまり「逝って」であり、本気でそう思うことがわたしにはままある。そこに脱いで吊ってある着物は、閣下の形見だったりする。
歓楽極まりて哀情多し、というのとはまた違った、祝宴果てて我が身を襲う悔恨にはちゃんと出処があって、こんなふうに厳しいのだ。
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