刺股か投げ縄

 大体夜は年代物の小さな書机を中にして夫と差向いになり、酒を飲み飲み夫は仕事をし、わたしは本を読んだりこうして駄文を書いたりする。


 誰でもそうだろうと思うが、わたしは読書中に割り込まれるのを極端に嫌う。なかんずく物語が佳境に突入し、うわあどうなんのどうするのん、とどんどん興奮していっているさ中に、その腰を折られるのは遺憾と不愉快の極みである。本気でやめてほしい。ところが夫は自分の仕事の方が行き詰まると、その本気でやめてほしいことをばんばん仕掛けてくるのである。


 一番多いパターンとしては、


「かあさん、○○のモノマネやってみて」


という無茶振りで、○○の部分は動物であったり植物であったり無機物であったり、全く以てその場の思いつきなのであるが、へたに無視するといつまでも余計にうるさいので、武双山と言われたときにはその場で髷を結ってからのど輪をかけ、ササニシキと言われたときにはとりあえず大きく頭を垂れ、自動改札と言われたときには両手をばっと広げたり閉じたり、時々「ピヨピヨ」という子供が通る時のセンサー音を入れたり(JRの場合)、実に面倒臭い。しかも興が乗るというのか、こっちがちょっと面白くなってきて一生懸命になりだしたら途中から見ていなかったりする。最近はわたしも賢くなって、


「かあさん、○○のモノマネやってみて」


と言われたら必ず、


「森ハー、生キテイルー」


と、「C.W.ニコルさんの真似をしている○○」というのを見せて、全てを処理している。C.W.ニコルの真似をしている岩城滉一。C.W.ニコルの真似をしているピグミーマーモセット。C.W.ニコルの真似をしている脚立。似てへん、そもそもそんなこと言えへん、と食い下がられたら、それが似ていないのはわたしの責任ではなくもとより○○が下手なのだ、そしてそれは特別にそれが言えるよう訓練されているあるいはそうした機能が付加されているのだと言い返し、わたしは即刻活字の世界に帰って行く。


 逆にわたしの方は、仕事の邪魔になってはいけないという遠慮が強く、そうやと思いついたことも夫の様子を見てすぐ言うかあとで言うかを決め、滅多なことでは話し掛けない。自分がされて嫌なことはひとにもしない、というキョーイクの賜物である。


 ところが、毎晩あんまり邪魔されるのでいい加減腹が立ち、やり返してやろうと意を決して、このあいだ夫が猛烈な勢いでパソコンのキーボードを叩いているときに、


「刺股と投げ縄、どっちがいい?」


と尋ねてみた。自分でもなぜそんなことを聞いたのかわからないが、頭の中で「無意味な質問」を組み上げたら自然に出てきたのがそれだった。


 すると夫は、


「かあさんはどっちがいい?」


と逆にこちらに問い、わたしが刺股をチョイスすると、絶対に投げ縄の方がいい、どちらか選ぶ機会があればそのときは必ず投げ縄にしなさい、と手を止めて真剣に語り出した。


「なんで刺股にしようと思った?」


「え・・・とりあえず長くてつよそうやし」


「アホやなかあさん、あんなもん壁とかちゃんとエンドのあるところでしか通用せえへんやろ。野戦には使えへん」



 刺股はアレ多分、使いこなそうと思ったら相当訓練せなあかんはずやで。剣道みたいなもんやと思う。女の人には重たいかもしれへんし、第一邪魔やろ? 持ち歩ける? 長いやん! 飛行機持ち込みは絶対無理やし、車にも積もうとしても厳しいやろ? けど投げ縄やったらコンパクトやしポータブルやし、三重四重に束ねて持って振り回すだけで結構、棒振り回してるんとおんなじくらいに当たったら痛いと思うし、他にも腕にぐるぐる巻きつけるだけで防具になるやん。刃物で切りつけられても少々は防げるやろ。うまいこと組み伏せたあとに縄で咽喉を圧迫して息の根を止めるもよし、ああ? いやべつに、巻きつけへんでも横に引っ張って渡して押さえるだけで大丈夫。やっつけたら最後縛りあげられるしな! 大体かあさんはものの見方が甘いね。単純やね。刺股なんてほかのことに使えへんやん。縄やったら用途が多用やろ。それで闘え、て条件ちゃうかったよな? どっちがいいかだけやったよな? はい、そしたら縄の用途、二十通りくらい言うてみ。あ、その前にもう一杯、おかわり作って来て。



 結局わたしは読みさしの本をその後一行も進めることができずに、大いなる不満とともに就寝した。ただし、縄に関する認識だけは変った。縄すげー。

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