我が語彙
わたしのしゃべる言葉は、マザータング、まさに母親の言語である京都の南のことばをベースとして、そこに大坂弁がミックスされ、神戸方言と奈良弁が時折ほんのぽっちり乗る、といった塩梅であるが、総じて比較的古い関西弁に類するものであると思う。端的に言うとババくさいと言うことだ。
「そうかてむこうさんがそねんゆわはんねさかい、うっとこもしょうおませんやろ?」
などという喋り方を、誇張ではなく日常的に、する。標準語に訳せば、「だって先方がそう言っているのだから、こちらとしても仕方がないでしょう、ハニー?」というほどの意味である。
わたしの年では非常に珍しいしゃべり方であると言え、よく驚かれる。年配の方から懐かしがられたりもする。若いころはそこまででもなかったが年々クセが顕れ、山の中に嫁入りして決定的に加速した。
しゃべれるのだから当然聞き取れる。数年前、友人の結婚式に招かれたとき、新郎の母方のお祖父様が挨拶に立たれた。お祖父様は福知山の人である。新郎が三つの頃、妹が生まれるという日に、お祖父様は新郎と六つになる兄とを福知山の家に預かることになった。三歳離れた兄はもうずいぶん分別がついており、自分を困らせるようなことは何も言わなかったが、新郎の方は日が落ちるや否や母を求めて泣きわめき、
「わたしはこれのてておやが迎えに来るまで毎晩、軽トラに乗せて、夜これが寝るまでそこいら中をぐるぐる走り回ったのです」
というエピソードを、お祖父様は古き佳き関西弁で披露された。式後、おじいちゃんのお話めっちゃ面白かった、とてもよかった、と感想を伝えると、新郎は「俺でもわからんところあったのに」とびっくりしていた。そんなものか、とこちらも驚いた。
わたしの場合は、しゃべり方自体も粘着系古式イントネーションなのであるが、単語のチョイスがまた古く、同世代の人間には全く通じないことも多々ある。JRはいまだに「国鉄」で(「省線」でないだけましだと思う)カメラは当たり前のように「写真機」であるし、おでんは「関東だき」、ゆで卵は「煮抜き」、トウモロコシは「なんばきび」で、エレベーターは「昇降機」だ。昇降機なんて、なんとわかりやすくていい言葉なのかとわたしは常々思っているのだが、世間はそうではないらしい。通じないとわかっているので、わたしもU-50には敢えて言わないのだけれども、年長の方々には安心して使ってしまう。ために、余計懐かしがられたりするのである。そして、そうした方々はわたしを見込んで、昔のことばにまつわる色々な話を聞かせてくれる。それらをわたしはメモに取っているが、共有する人もいず、残念である。
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