とりあえず、京都駅まで出て、そこから

 


 わたしにとって「京都」といったらそれは御所でも鴨川河川敷でも金閣寺銀閣寺でもなく、すなわち京都駅のことで、「ちゃんとした京都のひと」からすれば噴飯の沙汰であろうが、実際そうなのだから仕方ない。

 とりあえず京都駅まで出て、そこから、さらにどこかを目指す。

 ある年齢になるまで、そのどこかというのは、圧倒的に伏見だった。伏見の大亀谷に、母方の祖父母がいたからだ。母は、自分の親のことをパパママと呼ぶようになったはしりの世代で、わたしたち兄妹を生んでからも祖父母のことをそう言うので、我々も伏見の二人のことはパパ、ママと呼んだ。パパの方はそれを問題視したのか、自分のことをわたしたちに話すときは必ず、

「おじいちゃんはね……」

と言ったのだが、わたしも兄もそれを聞くと、

「けったいやわあ。パパはパパやん」

と思っていたのである。

 京都駅の八条口には大きなタクシーだまりがあり、色とりどりの車両がわんさか客待ちをしている。

 京都駅までパパに迎えに来てもらえない日は、わたしたちはたいがいタクシーに乗って大亀谷に向かった。わたしは紫檀色というのか葡萄酒色というのか、ヤサカタクシーのボディーカラーと頭につけているシロツメクサの目印が好きだったので、いつも駅の出口をくぐった瞬間から今日はヤサカだったらいいのにと思っていたが、「小型」のプレートの前に並んでいるタクシーは当然毎度毎度がヤサカだったでわけはなく、前から三台目がヤサカ、などという場合にはその辺でぶつくさゴテて足踏みをし、一刻も早く実家に帰りたい母の不興を買った。特に、真っ黒や、若草色をした個人タクシーに当たった日にはがっかりしたものである。黒は面白くないように思ったし、若草色は嫌いなのだった。

 いつだったか、乗り込んだ黒塗の個人タクシーが、深草の青少年センター付近で恐らく軽いバックファイアを起こし、ぼんと音を立てて車体をゆらした。

「タクシー、おならしたねえ」

とわたしが笑うと、運転手さんはほうほうと頷き、

「なかなかシゴコロがありますなあ」

と言った。シゴコロが何なのか全くわからなかったにも関わらず、今褒められたな、と直感したわたしは、以来黒の個人には心を許すようになった。

 タクシーの車窓から、お地蔵さんの数を数えるのがわたしの習いだった。京都にはお地蔵さんが大変多い。理由は知らない。八月には各町内で盛大な地蔵盆のおまつりがあり、それは子どもにとって夏休みを締めくくるビッグイベントである。祖父母宅のすぐ近くにもお地蔵さんの祠が敷地に内蔵された児童公園があり、そこを会場として毎年おまつりが催された。わたしは長い間、大人たちが「じどうこうえん」と言っているのも、「じぞうこうえん」なのだと思っていた。兄もわたしも地蔵盆イベントに参加するのが楽しみで、七月のうちから「じぞうぼん」と聞いただけで血が騒いだ。自分が犬なら嬉ションをする勢いだった。

 山の斜面を削って造られたその公園は、いわば一階と二階に分かれていて、下が何もない広場、上が遊具エリアになっていた。上と下とは二箇所がコンクリートの階段でつながれ、階段でない部分は一部が雑木の生えた土手、一部がブロックで固められていた。ブロック固めになっている公園の二階北端部分は視界が開けていて、そこに立つと京都タワーと左大文字がよく見えた。とても好きな眺めだった。

 高校生になると伏見にはなかなか足が向かなくなり、大学に入ってからは、京都駅からわたしが目指すのはもっぱら四条から三条にかけての木屋町界隈になった。京都駅の地下街・ポルタの東のはずれには京都市営地下鉄の乗り場がある。お金のあるときは地下鉄に乗って北上したが、素寒貧のときは半時間かけて四条まで歩いた。そこに辿り着きさえすれば、持っていなくても誰かが呑ませてくれた。

 太い通りをひたすら北へ歩くよりも、京都駅からなるべくななめにななめに細い道を行く方が断然面白かった。洛中の道は、本当に碁盤の目状になっているのだった。なるほど条里制から外れた地域の伏見は京都ではないのだと、実感した。わたしはそうして歩く間も、やはり、お地蔵さんの祠の数を数えた。選ぶルートによって、結果は違うものになった。

 パパもママも、すでに亡くなって久しい。大亀谷にはもう十何年も行かない。大亀谷というのは昔、太閤さんの側室だったお亀の方という美女が住んでいたためその名になったのだというのを、わたしはママから聞いたことがある。本当にそんな説があるのか、わたしは知らない。グーグル先生に尋ねればその手のことはたいていわかってしまう世の中になったが、今から確かめるつもりもない。わたしはママからそう聞いた、ただそれで、別にいい。

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