配合率



 内田樹氏が、『街場の現代思想』(文春文庫)の中で、


 「比較的幸福な結婚生活」においての、不快と愉快の比率は「赤飯中におけるコメとアズキの比率」に近いと申し上げてよろしいかと思う


と言っている。


 友達のAちゃんとそのことについておしゃべりしたことがあって、わたしはそのときAちゃんに、


「『比較的幸福な結婚生活』て言うてはるけど、結婚生活だけやなくて、もう生きていることそれ自体についてもつまり、比較的幸福な場合でこの比率になるんとちゃうんかなあ」


と所感を述べた。


 べっぴんさんのAちゃんは今のところまだ結婚とかもせず、ばりばり働いているのだが、自分のそうしたありかたを悩んだりすることもあるらしくて、このときも結婚云々の話から内田論の引用に至ったのだった。Aちゃんは結婚周辺のことで悩んでいる、が、わたしは、Aちゃんがしたくて仕方ないっていうならしたらええかしらんけど、したい、しなあかん、する! で焦ってカスつかむこともないやん、と思うし、いつもそう言うのである。


 学歴や資格なんて関係ないっすよ、と言っていいのは実際それらのある人か、なくても事実成功している人だけだ、という天才・カレー沢薫女史の指摘は正しい。それらがなくて苦しむひとは、そんなことを言われたところでどの道苦しむし、まかりまちがって自らがそんなことを言ってしまおうものなら絶望的にダサい絵ヅラになってしまうのである。非常に共感する。だから既婚で子持ちのわたしが、別に結婚とか出産とか、してもせんでも、そんなん別にどっちでもいいって、したから偉いとかでもないしな、と言うことは、Aちゃんからすれば、結局それと同じ構図のセリフに過ぎないのだと分かる。分かっているが、分かった上でなお、ほんとうに、心からわたしはそう言うし、Aちゃん自身がそう言ったっていいに決まっていると思っている。


「でも親に孫抱かしてやりたいしねー」


「うん、そらその気持ちはわかる。けどな、あれやで、うちの子かって将来大犯罪者とかなるかもわからんやん。モンタギューの馬鹿息子とかキャピュレットの雌豚と結婚するとか言い出すかもしれへんしな。しかも反対したら死によるんやで。そんなときどうか、ってハナシ」


「うーん、孫が凶状持ちかー」


 ヒトは何のために生きているのか、いきものの生きる目的がいわゆる種の保存で、「続けるために続けている」ヒトの世の中ならば、マクロ的な視点からして、もうとりあえずちゃんと次世代は存在するし、自分も女子と生まれたからには結婚して出産してナンボ、とかミクロ単位のことはこのさい考えへんでも、もうしばらくは人類続きそうやしさしあたってはそれでまあ、焦らんでもええんちゃうの。


 わたしがそう言うと、Aちゃんは、そうー? と曖昧に笑った。


 それから少しして、共通の友人Eちゃんに赤ちゃんが生まれた。そのとき、Aちゃんは、わたしとのメールのやり取りの中で、





 Eちゃんの赤ちゃんの人生に、栗おこわほどの幸せを。





と書いていた。秀逸な一文で、ふとしたときよく思い出す。


 

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