あのTシャツの胸のとこには
大昔にも一度書いたことのある話だが、記憶のある方にはそれをわたしが繰り返そうとしていることを、どうか赦してほしい。
まだ高校生だった頃だから二十年くらい前のことだ。家族でタイへ観光旅行に行ったことがある。暑さと、街の独特のにおいと、初めて見る金ぴかのお寺に、人並みにびっくりして帰ってきたが、一番驚き印象に残ったのはまちなかで見かけた日本語のことである。「マッサーヅありまる」なんていう誤字看板はまだいい。言いたいことは分かるし、何よりそこには目的がある。わたしが注目したのは、タイの人たち(多くは若者)が着ていた、あるいは店で売られていた、日本語の文言が書かれた衣類だった。
「つけてるだけで唇エステ」
この、何かの化粧品のキャッチコピーとおぼしき一文がつらつらとラインテープに染め抜かれ、腰から足首まで布地の限り反復されているジャージ。十代の女の子が履いていた。
「甘いも辛いもざらめせんべい」
元々はやはりざらめせんべいの袋に書かれていたのであろうか。そしてそれをコレおしゃれなんちゃう? と思った誰かが、プリントしてしまったのであろうか。前身ごろの全面にこの文章があしらわれたTシャツ。都心の屋台で売られていた。
「ロンドン。」
黒地にこれが白抜きのチビT(懐かしい……)。やっぱり着ていたのは見た感じまだ十代の女の子だった。「バンコクやんけ!!」思わずわたしはツっこんだ。関西弁で。
それからというもの、今まで無意識に見ていた外国語のプリントTシャツやなんかがもう気になって仕方がない。いかんせんわたしには英語のものしか認識できないし、それも簡単なものに限られるのでアレなんだけれども、意味が分かるととんでもないことが書いてあったりする。「GLAMOROUS!」(ほんまか?!)、「Genius」(ほんまか?!)、「New York」(天満橋やで!)。烏丸を歩いていて、三歩先を行く小学生の男の子が「SIMPLE LIFE」というヤッケを羽織っているのを見たときには、前に回って君は大丈夫かと聞きそうになった。他にも、西宮北口で、顔中安全ピンだらけのパンクスのお兄ちゃんが「Come On Misery」(文法的にアリなんでしょうか?)「Kill Me」とプリントされたTシャツを着ているのを見たことがあるし、自分は自分で「Fat?」と大書されたTシャツを着ているところを、モルモン教徒らしき自転車の白人二人連れから指を差されて笑われたことがある。蛇足ながらわたしの「Fat?」Tシャツについて説明しておくと、それは女子プロレス団体GAEAの公式販売グッズで、アメリカのプロレス団体が出していた「What?」ロゴTシャツのパロディ商品なのであった。あの二人が、元ネタを知っていて笑ったのか、それともこのわたしが着用していたこと自体について笑ったのかは、確かめる術もない。
とにかく、意味が分かるということは恐ろしい。ガイジンの刺青を見ていても、そんな漢字ねえよ!! という変てこりんな字を彫ってしまっている人がいるし、「冷麺」とか、ほんとにそれでいいのか? わたしだったら「炒飯」にする。
今、わたしが興味を持って眺めているのは英語以外の言語があしらわれた衣類や雑貨である。仏蘭西語やな多分、という予測のつく、ぼじょじょじょ~ん、みたいな字の並びを半眼でなぞりながら、どうせ「前向きに駐車してください」あたりのマヌケなことが書かれているに違いない、とにらんでいる。
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