はてなのやかん


 ラガーマンだった父はむかし一時期、ちょっとした縁があって、近所の高校-仮にС高とする―のラグビー部の世話をしていた。そんな事情から、父母兄わたしの家族ぐるみで、二年続けて、С高の夏期合宿に同行したことがある。行き先は菅平だった。御巣鷹山に飛行機が落ちた年と、その翌年か前年かとの二年だったから、わたしが四歳五歳、あるいは三歳四歳だった時分の話だ。墜落事故があったのがまさに合宿に出発した当日のことで、我々親子はそのニュースを全く知らなかったのだが、到着早々ヨシ子提督閣下が合宿先に無事かと電話をかけてきたのだった。そら無事やろ、陸路は関係ない、と後々我が家の語り草になったのだが、閣下は一人留守番に残って心細かったのだろう。


 菅平では、兄とわたしはもっぱら青々した広い斜面で虫捕りをしていた。ずうっとロープが張ってある所があって、そのロープに止まるトンボを捕まえるのはたやすかった。この斜面にはもう数カ月もすると雪が降り積もって、スキー場になるのだと聞かされて、とても変な感じがした。関西の四歳児には、それが実際どういう情景なのかうまく想像出来なかったのだ。


 なんかトンボっちゅうのは水の中に卵を産むらしい、と兄が言うので、捕ったトンボを虫籠に入れて部屋に持って帰り、洗面台に水を張り、おしりの先を浸けてみたらあろうことか本当に卵を産んだというのもこの時のことだ。ほんとうである。信じてもらえないなら、今ここに兄ちゃんとマミーを連れてきて証言させてもいい。我々はわあああああと絶叫し、底に微かにみとめられる薄黄色の卵をしばし眺めて、何とかうちに持って帰るすべはないかと相談したのだが、しょせん幼児の頭である(兄とわたしは年子)、我々は泣く泣くボウルの栓を抜いて芥子粒ほど細かい卵を流した。そして、あれは下水道のなかできっと孵るに違いない、と話し合った。なにか大変に可哀そうなことをした、という事実に目を瞑りたくて、お互いに言い聞かせあったのである。ていうか、そう思うんならもう一歩踏み込んで虫捕りをおやめなさい、という感じなのだが、そこもまた幼児の頭である。子どもは虫を捕るものである。





 そんなわけで、わたしは始終グラウンドの様子を見ていたのではない。むしろ、ひたすら虫捕りに明け暮れていたと言ってよい。ただ、表に出ればいつもそこかしこで大きなお兄さんたちが「走る相撲、ボール付き」のようなことをしている。ちょっと眺めていると、ごろりと寝ている大きなお兄さんに、お姉さんがやかんの水をかけている。見ているうちにお兄さんは立ち上がって走り出す。なんやあれ。


 すると、近くにいたおっちゃん、多分С高の顧問の先生か誰かだったのだろう、そのおっちゃんがわたしの顔をじっと見て、


「あのやかんにはなあ、魔法の水が入ってるんやでぇ」


とこちらに引き返してくるお姉さんを指差した。読心術などという言葉はそのとき当然知らなかったが、わたしは、おっちゃん、なんでわたしの考えてることがわかったんやろ、と思った。


 「魔法の水」というフレーズが、このときわたしのために特別に編み出されたものではなく、ラグビー関係者なら一度は聞いたことがある符牒のようなものだと知ったのはそれからずいぶん後のことである。あれを掛けられたらとりあえず痛がるのをやめなければいけない、というよくよく考えるとじつに恐ろしい慣習をもっと間近に見るようになってからのことだ。そしてまさか自分がそれを掛ける立場になるとは思っていなかった。菅平で、自分が虫捕り以外のことをしようとは、思ってもみなかったのだ。

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