転向ノススメ



 やはりほぼ毎晩、ラグビーを見ているのだった。



 日本時間十一月十九日深夜に生中継されたラグビーテストマッチ、日本対ウェールズ戦は、残り七秒まで同点だったのをサム・デイヴィスのドロップゴールで勝ち越され、そのまま負けた。30-33。悔しくて悔しくて、二十日午前一時二十分頃の試合終了から午前二時を少し回る辺りまで、加えて翌朝起床後半時間ばかり、ぶつくさと繰り言を垂れ続けたわたしは、夫から圧倒的なノーサイド精神の不足を指摘された。あまりにも足りないので、もはやこの際サッカーファンに転向し、敗戦の折には酒を飲んで街に繰り出し商店を破壊、国旗あるいはチームフラッグを燃やす、最悪の場合選手に危害を加える(実際中南米の代表なんかでは、あるらしいですね)などして暴れる、また勝利の暁にもやはり酒を飲んで街に繰り出し商店を破壊、広場の真ん中でどんどを焚いて見知らぬ人々と一晩中歌って踊り狂うなどした方がよい。さらに夫からは、そんなことだからおかあさんは、あの文句言いのレイドロー(しつこいようだが注:スコットランド代表主将。男前。2015年のW杯準々決勝で、試合最終盤におこった「誤審」によりオーストラリアに敗れレフリーを批判、逆に世界中から批判される)に心を許してしまったりするのだ、同病相哀れむ、類は友を呼ぶ、とも言われた。まあ、そうなのかもしれない。


 試合終了後も放送はしばらく続き、ハイライトシーンのまとめや、ゲーム内容の振り返りがあったのだが、解説者の藤島大さんが、こういう悔しさが選手を成長させ、次につながっていくのだからこれはこれだ、ということをおっしゃった。選手はそれでいい。事実そうであろう。しかし、わたしのような見ているだけのパンピーは、この悔しさをいったいどこへつなげればいいというのか。パート先のうどん屋と自宅の往復、三度三度のご飯の準備、こどもを家じゅう追い回すなどといったことが主となっている我が日常生活において、「むやみにキックをつかわない」「敵陣でペナルティをもらった場合の身の振りようを、残り時間を加味して今一度よく考える」という反省がどう活きる。やっぱりサッカーを見ていろいろ燃やしたり壊したりするほうが、向いているのかもしれない。

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