ボンクラで怠け者のおじさん



 ジュノ・ディアスという非常に面白いドミニカ系アメリカ人の作家曰く、


「文学は、親族のなかでいちばんボンクラで怠け者のおじさん、みたいなものです」


 これは東京で開かれたトークイヴェントでなされた、「未来」において文学に何ができるのか、という観客からの質問に対するディアス氏の答えである。


「(前略)文学やアートの持つ最も強い部分は、やはり人間性なのだと思います。文学は料理もできないし、皿も洗ってくれません。家賃を払ってくれるわけでもありません。文学は、親族のなかでいちばんボンクラで怠け者のおじさん、みたいなものです。けれど、未来においても文学はかならず、人間性を取り戻してくれるのです」(http://wired.jp/2015/03/15/session-literature/)


 このボンクラのおじさんはへらへらしながら面白い話をしてくる。不思議の国のありえない話を壮大に語ったり、ごく身近な「あるある」をぷつぷつ呟いてきたりする。悩んでいるのはお前だけじゃないぜ、と寄り添ってくれたり、訳の分からない言葉遊びを仕掛けてきたりもする。ほんとうに、腹の足しにもならないし、むしろかかずりあって気がつくと随分時間が経ったりしていてうわあご飯炊くん忘れてたわ! というようなことにになるのだが、わたしはこのおじさんが大好きだ。



 少し前に、どこかの公立図書館の職員さんがツイッターで「学校に行くのが死ぬほどつらい子は、図書館にいらっしゃい」という呼びかけをして話題になった。世事に疎いわたしが知っているのだから相当有名な話だと思うが一応かいつまんで説明すると、いじめなどを苦にした子どもの自殺件数が増える二学期の始業式前に、死ぬくらいならそこから逃げてもいい、図書館に逃げてくればいい、というメッセージを図書館の方が発したのだった。


 それをツイートしたご本人がテレビの取材に応えているところを偶々見た。女の人だった。本を読まなくても図書館に来るだけでもいいし、ひょっとして本を読めば、悩みや困りごとをすぐに解決することはないかもしれないけれども気が楽になることはあるかもしれないから、という意味のことを言っておられた。つまりこの人は、ボンクラのおじさんの力について話しておられたのである。おじさんの面目躍如といったところか。




 ただこのおじさんは面白い話だけではなくて、頼みもしないのにすいっと横にやってきておそろしいことや、残酷なことや、聞くに堪えないような話を突然してくることが、ままある。この間、朝倉かすみ氏の『少しだけ、おともだち』という短編集を読んだら、第一話が小さな女の子に対する性的暴行の話で、ものすごく嫌な気分になってしまった。最後まで読めなかった。数日前のことだけれども、毎日ふとしたときに思い出しては嫌な気分継続中である。朝倉氏は軽妙でこっけいなものから、偏執的で重暗いものまで、人間の微妙な心情を描く文章が巧みであることこの上ない作家である。だからこそ女の子の視点に沿った三人称で書かれたその短編は悲しく、むごく、年端もゆかない子どもに対するそうした犯罪がいかに悪辣なものであるかを十二分に表現しているのだけれども、ああああ、わたしとしてはそれはちょっと聞きたくなかった。だから今はおじさんのことが大嫌いだ。

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