そういう部活



 パート先にはいろんなお客が来る。饂飩屋である。素敵な人もいれば、感じの悪い人もいる。厚かましい人もいるし、やたらに恐縮してくださる人もいる。世の中のストレスの総和は常に定数、1なのではないかと思われる。


 月一くらいで来る客なのだが、必ず、定食を注文して、


「ご飯気持ち多めで」


 と言ってくる初老の夫婦がいる。


「大盛りにされます? 百円アップですけど」


 と勧めても、いや、そこまではいらん、と断られる。要するに、カネを出すのは厭なのだろう。


 わたしは生返事して厨房に戻り、また来たよー、キモチオオメの人ら、と報告する。調理担当全員が、ああ、あの夫婦な、と合点する。で、わたしは規定量通りに盛ったご飯をお盆に載せて持っていくわけだ。絶対増やしたらへん。ご飯! 図々しい! わたしがしゃもじを振り回してそう宣言すると、厨房全体がそらそうやー、という同意の声で満たされる。ややもすれば減らしたろかとすら思う! と言うと、さすがにそらやりすぎやー、とみんな笑う。でもわたしは根性が悪いので。


 しかしながら、ここの定食はおいしいねー、と言ってくれるような人には、何を頼まれずとももうちょっと盛ったろけ? と思ってしまうのが人情で、店の人に悪く思われるようなことを言ってしまう客というのは決して得をしない。人間、好かれてなんぼなのではないのか。

「何事も、魚心あれば水心ですよ」

 大学生の時、美しい院生のK子先輩がそう囁いたことを思い出す。


 キモチオオメのような人たちを見ると、だから、何故わざと損するようなことを言うのかね、と本気で疑問だったのだけれど、近頃では、なんかそういう部活なんじゃないのか、と思うようになった。図々しいことを言ってみる部。見たところ、結構大勢の部員を擁して活動中の模様である。対するわたしは、まあ、そうはさせん部、ということになるだろうか。


 この他にも、世の中には無数の部がある。うちの子どもたちは散らかす部、廊下を走る部、ひとの迷惑顧みず早朝から起きた者順に騒ぐ部など、たくさんの部を掛け持ちしている。わたしはそれを叱る部。うちではこれほぼ一本である。あ、あとご飯作る部か。部活だから、活動に伴う反省も必ずすることになる。


「今日の叱り方は拙かった。大声を出せばいいというものではない」


「ご飯のスイッチの入れ忘れが最近大変多い。三十分浸水させてからどうこう、とか思わずに、とにかくもう毎回タイマーにした方がいい」


 部活だと思えばこそ、非常に冷静に自分の行動を見直せるという利点があるということもわかった。


 夫は夫で、ゴミ袋のかかっていないゴミ箱にでもどんどんゴミを捨てる部、冷房つけっぱなし部などに所属している模様であるが、叱る部のわたしはそれも叱る。そして、


「叱るだけでなく、ゴミ袋は古いのを外したその手で新しいのをかけるということさえ徹底できれば、アイツを退部に追い込むことが可能である」


 とか、


「冷房も最初から2時間以上の連続運転をさせない設定にしておけばいいのではないか」


 などと、叱る対象を根本的に減らすということまで前向きに考えるようになった。


 あなたもわたしもそういう部活、と思うだけで、何となく心の平安を得られるようになった次第である。安物の平安ではあるがないよりはまし。皆さんも是非。そういえばわたしは忘れ物部にも入っているが、これは入りたくて入っているのではない。早く辞めたい。でもわたしの才能を見込んだ顧問の先生がしつこい。

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