壇れい



 その時のことを異常によく覚えているのだが、十年以上前のこと、川端通を三条から四条へ向かって、友人のK女史と歩いていた。と、前方五、六メートルの地点に、散歩中の犬が見えた。


「犬や」


 Kは言った。


 五秒ばかり後、Kは、


「だから何やねん、なあ」


と自分でツッコミを入れて笑い出した。その五秒間無言でいたわたしも、それで一緒に笑った。


 目の前の犬を見て、「犬や」と言ってしまう。何の意味もない行為である。その犬というのが、例えばリードを付けられていない迷い犬、あるいは野犬だったりするのならば、「犬や」と「驚く」のも無理ならぬ反応であろう。また、アフガンハウンドとかグレートデーンとか、大きかったり珍しかったり、なんらかの異形性を持ったものだった場合も同様に考えられる。


 しかしその時我々の前にいたのは、普通に首輪をはめられた普通の柴犬か何かだった。半パンを穿いたおとうさんに連れられて歩いていた。


 ひとしきり笑ったあと、


「ちょう、なんでそんなこと言うたん?」


と聞いてみると、K女史は、


「わからん」


と答えてまた吹き出した。


 わからないのだ。





 細かいことは何も覚えていないのだが、この春、夫と一緒にテレビでラグビーの六カ国対抗を見ていたときのこと、わたしは誰に聞かせるでもなくぼんやりつぶやいた。


「ハイパンをちょうどええとこに蹴るんて難しいよなあ……」


 ラグビーでは、球をパスできるのは自分よりも後方にいる選手に対してだけなのだが、キックを使って前方に球を進めるのは全く問題ない。大きく陣地を回復したいとき飛距離のあるキックは有効な手段ともいえるが、ただし、相手陣に深く蹴り込むとまあ大体は敵がボールを拾うことになるので、そうなるとボールの支配権は相手方に移ってしまう。対してハイパント(=“ハイパン”)というのは蹴り上げて、ボールの落ちるところに味方も追いつけるくらいの、距離よりも高さと落す場所に要点のあるキックで、落下地点の競り合いでボールを確保できればつまり前進丸儲けということになりうる。


 だから、ハイパントを好い位置に好い高さで蹴る、というのは試合を有利に展開するために大変重要なことなのだが(←この説明すら書いていて当然すぎて馬鹿馬鹿しいのだけれど)、わたしが口走ったような所感は、毎日米食している人間が、


「海苔でご飯巻いて食べたらおいしいよなあ」


と言わずもがなのことを言うのと同じで、非常に意味のない、同席した人からは、急にどうしたと訝られるレベルのことなのだ。今まで米を海苔巻きにしたことのなかった人が言うなら別である。ウクライナ人とか。しかしわたしはそうではなく、三食ご飯を食べているリーベンレン。当然おにぎりの旨さも十二分に知っている。それと同様に、わたしは昨日今日ラグビーのゲームを見始めたのではない。しかもその日見ていたのは、特段キックが多用されて動いていく、というような内容の試合でもなかったと思う。それなのに、わたしは確かにハイパントの難しさに言及した。


 わたしがそうしてくだらない所感を垂れ流したとき、隣にいた夫は何も言わなかった。


 数秒後、自分のセリフの無意味さに驚き呆れたわたしが、


「なあ、ウチ今めっちゃどうでもいいこと言うたやんなあ?」


と尋ねると、夫はこちらをチラッと見て軽く頷き、そのまま画面に視線を戻した。


 なぜわたしはそんなことを言ってしまったのか。


 わからないのだ。





 夫から指摘されるまで全く気付かなかったのだが、わたしは壇れいを見ると必ず、


「あ、壇れいや」


と言っている。最初は否定した。しかしすぐに認めることになった。言うてるわたし。確かに言うてる。


 テレビに出てくる壇れいを見て、「壇れいや」と言ってしまう。何の意味もない行為である。見ればわかる。別に言わなくていい。別に見てわからなくてもいい。


 わたしがテレビを見るのは夜中、十時頃から寝るまでの間、それも本腰を入れて画面に見入っているわけではない。夫が自分の仕事をするにあたって雑音を欲しがるタイプの人なので、机の横で必ずテレビを点けるのだが、わたしも同じ部屋で本を読んだりこうして与太を書いたりするため、付き合いの恰好で不熱心な視聴者になる。かけるのはたいていニュース番組なのだけれども、わたしが一番好きなのはコマーシャルだ。そんで、そのコマーシャルに、壇れいがそらまあよう出てくるのだった。


 壇れいが好きなわけではない。生まれ変わったら誰になりたいかと聞かれたら、宮沢りえと長谷川潤と沢尻エリカで三すくみ(外人もアリになるとエミリー・ラタコウスキーとナオミ・キャンベルが入ってのバトルロワイヤル)のわたしだ。壇れいはランク外である。ランク外というか、意識外と言った方がいい。


 だのに、わたしは壇れいを見ると必ず、


「あ、壇れいや」


と言っている。それはなぜか。


 わからないのだ。





 とりあえず、無意味なひと言およびそれを発する行為自体のことを、「檀れい」と呼ぶことにする。

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