大過なく生きるために


 わたしなりに色々考えて、ひとと何かおしゃべりをするとき、嫌いなもののことは言わずに好きなもののことを話せばいいんじゃないか、と思うに至ったのだった。お互いの顔を見て、「じぶんまた肥えたんちゃう」「じぶんこそ何その化粧」などと言い合えるような、気の置けない間柄である場合ハナシはまた別だけれども、適度な距離感をわきまえなければならない人たちとのおしゃべりでは、誰かが何かを好きだと言ったとき、わたしもわたしもと同意するのはよいが、えーわたしそんなん好かーん、と反応するのはいただけないのではないか。自分の好みのものをけなされたと思えば誰だって厭だろう。


 そんなこと、オマエ今さら何考えてんの? 常識やで!? とお思いの向きもあるかもしれないが、わたしはなんというか、こう、人と上手く付き合えない時期があったというか、中学のはじめ頃に女子の群れの中で仲間はずれにされたことがあって、今思えばああいうのは女子の中では持ち回りのようなもので、当番がきたら「ああ、次わたしですか」と一時かぶっておくくらいの気持で付き合えばよかったのだろうし、わたしはそうされてもむべなるかなと思われるような鼻持ちならない人間だったから、いっそのことそのときにしっかり勉強しておけばよかったのだろうけれども、それをしないで群れから離れる=女子から降りるという道を採ってしまったために、この年になるまで、たくさんの女性がいる環境において大過なく生きるためにはどのように振るまえばよいかを知らぬまま来てしまった。


 食べ物、歌手、俳優。パート先の同僚女性たち(全員年上)の話題にのぼるものといったらまあそんなところだ。すすめられた茶菓を辞退すると大変にカドがたつということもここで学び、わたしは大の苦手であるシュークリームの類ももはや大好物という設定になっているくらい順応しているが、会話というのは食べるという単純でわかりやすい行為とは違う。シュークリームは自分ひとりが咀嚼、嚥下して、お茶でも飲んでしまえば片がつく。ところが会話というのは相手があることで、どこに球が飛んでくるのかわからないのだった。とりあえず、相手の顔色を見ながら陰(嫌いなもの、ダメなもの)の話は避け、陽(好きなもの、きれいなもの)の話に乗るよう心がけることにした。当初はなかなか上手く機能している作戦のように思われた。ところが、間もなく目の当たりにしたのである。


「Aさんはあんなもんが好きやねんて! おもしろいなあ!」


などと、Aさんのいないところで、Aさんの好きなもの及びそれを好きなAさん自身が批難されているのを。この場合の「おもしろい」というのは本来の「興味深い」というような意味合いではないのは明々白々で、「おもしろい顔」などと言う時と同様、「おかしい」、あるいは関西弁でいうところの「けったいな」というほどの侮蔑である。


「人間の差別構造は、『これは人間ではない』とカテゴライズするところから始まる。一昔前『男以外、白人以外は人間じゃない』と差別したように」と円城塔が読売新聞のインタビューで言っていたのを思い出した。つまり、Aさんは、「あんなもんが好きだなんて、人間じゃない。少なくともわたしと同じ人間じゃない」という段取りで難じられたということではないか。


 平穏無事に暮らしたいと一生懸命考えた戦術だったのに、そんなふうに指弾されることがあるとなると、いったい自分はどうしたらいいのか。黙る? いや黙ってたら黙ってたで「陰険」「辛気臭い」などと言われかねない。


 これ以上なにも思いつかないので、とりあえず今のままで様子を見るつもりだが、なにかよい案がおありの方はご教授下さい。まじで。

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