芸術とわたし



 2015年の春の終わり頃、岡崎の美術館へ、ヤゲオ財団なる台湾の一財団が所有している現代美術のコレクション展を見に行った。『現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展』である。


 企画者である東京国立近代美術館主任研究員・保坂健二朗氏によれば、この展覧会の開催にはいろいろと批判もあったそうであるが、その顛末や批判に対する回答を書いた保坂氏の文章を読んでもわたしには何のことだかさっぱりわからない。わたしは漠然と、なんか面白そう、と興味の引かれたときに美術館へ足を運ぶが、わたしの鑑賞法というのは「ひとつお前にやる、と言われたらどれにするか真剣に選ぶ」ということだけで、それ以上のことは深く考えられない。作品に託された苦悩や、喜び、懐疑というような作者の目論見なんかひとつも汲み取れたりはしない。言いたいことは口で言え! という暴言を心中吐くと同時に、これは美術に関して何の知識も持たない者の悲しさであると思っている。そんな人間が専門的な熱い議論をハタで聞いたところで理解できるはずがなかろうが。


 それはさておき、この展覧会はわたしには大変よかった。まあ、美術館に行っといてナンだが、一番面白かったのは入口に掲げられたイントロダクションの文章であった。やはり自分は根本的にことばの世界にしか興味がないのだなあと痛感する。しかしそれでも、「一個やると言われたら候補」がありすぎて、順路を三周もした。そんなことは、中三の時に兵庫県立近代美術館で見たウォーホル展以来であった。これは寸法がデカ過ぎて我が家には無理やな……とか、選んだ候補を消去法で絞っていったが、ヤゲオ財団の設立者であるピエール・チャンという人は「living with art」とか言って実際このコレクションを自宅に飾っているといい、帰りに図録を買ったら表紙はチャン氏のウチの写真で、まじでそんなデカ過ぎる絵を余裕で掛けられるような家なのだった。うらやましいいい、と思考が口から漏れ出るのを堰き止められない。


 順路の最後の展示物は、あれなんて呼ぶんだろう? 前衛芸術? いや違うな、鑑賞者参加型作品といえばいいのか? リー・ミンウェイという台湾人アーティストの『手紙を書くプロジェクト』というもので、観覧客に、三方を曇りガラスで囲まれた小さい座敷の中で手紙を書かせるという、なんて説明しにくいんだ、今わたしは半怒りである、そういう趣旨ね、お分かりいただけるだろうか、そういう「場」の展示なんである。座敷は蕎麦屋の個室を想像してもらってもいい。靴を脱いで上がる。そこに小さな座卓があり、便箋と封筒が置いてある。指示書があり、


①書きたいと思っているけれどそのための時間を取ることができない人

②亡くなった人

③今はもういない愛した人


のいずれかに対して手紙を書け、書けたら、


イ)宛先を書いて美術館から発送

ロ)封をして、ガラスの囲い壁に付けられた枠に挟む

ハ)封をせず、枠に挟む


のうち一つを選択せよ、と書かれている。ハの処置をとった場合、後から来た客は自由にそれを読むことが出来る。


「後から来る観客の多くは、言葉では言い表せない感情をも伝える他人の手紙を読むことを通じて、書きとどめたり、共有したりすれば安心するのかもしれないと気づく。このようにして感情の鎖が生成され、観客は、私たち皆が参加しているはずの、情動に満ちたより大きな世界について考えることになる。そして結局のところ、その手紙が読まれるのが、望んでいた相手によってだろうと他の人によってだろうと、書き手の心は、癒されるのである。」(保坂氏訳)という作者の言葉が図録に紹介されているが、その日その場では例によって作者の意図などちいとも分からず、ただわたしは壁に残された手紙を何通か読み、あまりの普通さ、真面目さ、つまりその「おもんなさ」に愕然とした。


 


 美術館に来てこんな手紙を書く人たちは、みんなすげー素直で真面目だ……


 


 わたしはもっと、みうらじゅんのいうところの「ムカエマ」(注:神社で見られる、ムカッと来る絵馬を指す)的なものを期待していたのである。それがなんですか。「おじいちゃん、私はあなたをとても尊敬していました」みたいな。もっとおもろいこと書けよ!! ええ?! やる気あんのか?!


 お門違いな怒りに燃えて、わたしは①~③のどれにも該当しない、昨日手紙を書いて投函したばっかりの友人夫妻に宛て、今こんなとこに来てこんなことをしてます、壁の手紙は実以てつまんないです、という因業な内容の手紙をしたためた。わたしが書いている最中、ロハスでオーガニックでシーシェパードな感じのナチュラル系おばさんがブースに上がってこようとして監視員さんに止められていた。ブース内は大人ふたりが入ればまあ一杯くらいの面積であるし、書き手を静かな環境に置くという配慮なのか、誰かが書いている間は他の人を止めることになっているらしい。いや、わたしは全然かまへんのですけど。カモン、おばちゃん! ぁどっか行った。


 とまれ、後ろがつかえているので猛烈な勢いで鉛筆を動かし、指示とは全然違うことをしてやったぜ、というヘンな充足感をもって溜飲を下げる。そして封筒に宛先を明記し、一階のインフォメーションに持ってゆくと、二人居た係員さんが双方立ち上がり、満面の笑みでわたしの因業書簡を「確かにお預かりいたします!」と受け取ってくれた。係員さんの温かな笑顔が胸に刺さる。それはちょっとした良心の呵責を誘った。誘ったね。そんな内容の手紙ですんません。自分の因業ぶりを噛みしめる。けれど、こうしてわたしがそのことをみなさんに伝えようとしてるっつーか、話のネタにしてるということは、わたしもまた作者のいわゆる「感情の鎖」の輪の一つになったとも言え、作者の意図は最終的には達成されたとみることもできよう。なんというダイナミズム。芸術は爆発だ。

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