タイガーかティファール


 よく怒っていた。今思えば些細なことを腹に据えかねていた。一瞬で沸点に達するので、瞬間湯沸かし器だと自称していた。すぐ沸く。途端に沸く。1200wで。


 友人であるプロ女子のはー太郎に昔、いくらなんでも、もうちょっと落ち着きたい、と相談したこともある。はー太郎プロは我々友人の間では、決して怒らない、キツいことを言わぬ人物として通っていたからだ。どうしてそんなふうにいつもニコニコしていられるのか。ハラは立たないのか。腹がないのか。


「えー、だって怒ると疲れるやーん。疲れるくらいやったら折れた方がいいやろー? でも乙子はそうしてカロリーを使って燃焼してスリムな身体を保ってるんとちゃうのー。じゃあそれはそれでいいやーん」


 はー太郎はジャスミン茶を啜りながら、婉然と笑った。わたしは叩頭して暇乞いをした。


 自分の怒り性というのは、結局、こころの狭さに端を発するもので、平たく言うと「ウツワが小さい」ということにほかならない。だからわたしは瞬間湯沸かし器を名乗ると同時に、500mlペットボトルのフタくらいの器である、ということを併せて表明することにしていた。そしてああ、いつかは子ども茶碗くらいの器にスーパーサイズしたいものだ、と心の奥底でいつも願っていた。


 それから数年。


 わたしは昔ほど怒らなくなった。


 わたしが拵えたさつま揚げをとんかつソースびたしにして食べる人を見ても、それでおいしいなら別に構わないと思い、ら抜きことばを喋り書くひとびとを前にしても、まあ通じてるし、と頷き、犬派に猫をけなされても、好きな人がいれば嫌いな人もいて当然だ、と瞑目する。そんなことを争っても仕方がない、と思うようになったのだ。特に許容能力が増したのは子どもとその周辺に関することがらに対してで、子どもが泣いてもほたえても、子どもというのはまあそういうものだ、と思うようになった。わたしは自分が出産するまで子どもが大嫌いだった。うるさいし。話通じへんし。しかし今となっては、なんとなればオバチャンも一緒に暴れたろかしらん、とすら思う。ベビーカーを邪魔だとか、敵視するようなことももはやない。自分がその立場に立たなければわからないことが世の中にはうんとこさあるということは多くの年長者から聞いていたけれども、これまた先達の教えの通り聞いて知るのと身を以て知るのは全然別物で、遅ればせながらちょっとだけ、自分もその位置からの眺めがわかったのだった。それに細かいことにこだわるのは自分が疲れる、ということも。


 実際太った。怒らなくなったからなのかどうかは知らんけども太ったね。だから、ひととしての器のほうも、これはマルキンの薄口醤油のフタくらいになったんじゃないか、と自負するところとなった。


 試みに、最近頭に来たことと言ったらなんだろう。


 貸した本が、頁の端をガンガン折られた状態で返ってきた。足を踏まれた。保育園の駐車場から車道に出ようとしているのに、全然譲ってもらえなかった。ダイニングで見栄内さん(=見えないさん)扱いを受けた。阪神が読売に相当な点差をひっくり返されて負けた。あれ、結構あるな。野良猫がうちのネコの餌を泥棒した。買ったばかりの鞄の取っ手がもげた。パート先で横柄な客に遭った。花粉症。うおのめ。金欠。



 台所へ行ってマルキン醤油のフタと500mlペットボトルのフタの容量を比べてみると、ほぼ同じだということがわかった。



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