姿見は便利だなあ。百貨店の手洗いの出口付近で思った。うちにも一枚欲しいものだ。


 しかし即座に考え直した。いや、あったらあったで辛いっつーか、情けなくなりそうっつーか。ない方がいいかもしれん。姿見の便利さを享受すること以上に、大きな鏡を見て、もうちょっとないんか、なんかこう、綺麗に、目安く、あらまほしい。とかなんとか、そういった強欲に苛まれることの方が自分の毎日に与える影響が大きそうで。


 そんなふうに、わたしは考えすぎるのであった。今日というこの日まで、そんな考えすぎの海を泳ぎ、加えて自意識過剰という石ころだらけの悪路を歩き、さらにはスマートでハッピーなモテ系女子街道という幹線道路から二メートルほど隔たった、葛とイバラの生い茂る藪道を掻き分け掻き分け、不毛で頓馬なトライアスロンのようなことをしてきた。繁茂する蔓の向こうにみえているあの幹線道路はラクだろう、あっちは多分楽しいだろう、と分かっていながら、ときどき現れる街道への引き込み線をあえて無視してやりすごしてしまうのだった。





 先日、大学時代からの友人・はー太郎(♀)と喋っていて深く胸を打たれたことがある。


 はー太郎のことを、わたしは「プロ女子」と称したことがあるが、この人は職業を問われた際「女子」と答えて差し支えないほどの技倆を備えた全身全霊是女子で、我々朋友をしていまなお数々のモテ逸話とモテ伝説を語らしめる泉州の逸材である。


 そんなリビングレジェンドとわたしの会話の九割はつねに、将来に対する唯ぼんやりとした不安と、既に潰えた様々な可能性に対する分析や哀惜などで構成され、およそ非建設的なことばかりでちっとも楽しくないように聞こえるかもしれないが、これがその実非常に楽しいというのは生活の不思議である。自分らはこうしてばあさんになっていくのだろうなと思う。


 はー太郎は、大の美少年好きで、ジャニーズ事務所のまだ公的な電波に乗ってもいないような青田を愛でて歩くというえげつない趣味の持ち主であるが、そのことを知ったのは彼女が人妻になったあとのことであった。はー太郎は、その事実をずっと伏せてきたのだった。理由は、


「気持悪がられると思って」


 とにかく、モテこそは生きる力だというのを信条としてきた人物である。ジャニーズ好きというのはモテの障害になるとみるやそれをひた隠しに隠すという政治的判断を下せる頭脳。たしかに「ジャニーズが好きです」などという一言は多くの男子にとって「おまえらはお呼びでない」という威嚇にしかすぎない。たとえ好みの男子ではなくとも男子はみんな男子、支持されてなんぼ、カワイイという評価に貴賤はない、合コンというのはつまるところ戦場である、そこではより多くの首を取ったものが勝ち、というモテ哲学。


 好きな色を聞かれた時には迷わずベビーピンクと答え、箸より重いものは持てず、つまらない話にもすごいねーと微笑み、当然酒は飲めない。


わたし「それってどこまでナチュラルにやってんの? どっからがデザインされたプレーなん?」


はー太郎「なんやろうなー。まあ、そういうふうに言うねん、自分にも言い聞かすねん、そしたらホンマにそういうふうになる。自分はそういう人間やと自分でも思い込む」


 形から入るということの大切さをこれほど痛感した瞬間はなかった。最初は意味も分からず形をなぞる。でもそれはやがて自分のものになる。身に付くのである。礼儀作法みたいなものなのだ、とわたしはこの生ける伝説を目の前にしてさとった。女子は生まれながらにして女子なのではない、女子になるのだー、と心のボーヴォワールが絶叫した。


 乙子もやればよかったのに、とはー太郎は言う。オマエならいいとこまで行けたはずだ、とプレーヤーを引退し今は指導者となったプロ女子の目ではー太郎は言う。いや、わたしはそうは思わない。わたしは多分「もう一人の自分」に勝てなかったであろう。もう一人の自分、その名は自意識。或いは「ツッコミの自分」とも呼ぶ。


 男子がくだらない自慢話をする。わたしは「すごいねー」と口の端っこを手動でこじ開けながら声に出そうとする。ツッコミの自分は言うだろう。


「おい、いっつもそんなんちゃうやろ! 言え! 言うたったらええやないか!」


こいつの声はでかい。聞こえなかったことには出来ない。わたしは洩らすだろう。


「アホくさ…」





 しかしながら、ひょっとして、今なら出来るかもしれない。いや出来そうな気がする。


 わたしは今、うどん屋で賃仕事をしているのだけれども、ここでのわたしはまるで別人である。いっしょに働くお姐様のなかには近隣のひともおり、下手を打つとムラに帰ってから「あそこのウチのヨメは…」と言われかねない危険が常にある。いつも危険と背中合わせ。意味違う。いや、でもほんとに。だからわたしはひたすら感じのいいヨメであろうと日々心を砕いており、どんな話題でも「ほんまですねー」「すごいっすねー」「いやー、勉強になりますわー」の三つを駆使して全肯定。ただし他人の悪口にだけは乗ってはいけない。そういう時は聞こえないフリ、話題に上ってる人物を存じ上げないフリ、どうしてもコメントせねばならない場合、「まー、いろいろですよねー」「難しいですよねー」「今日って夕方から雨なんですか?」などとお茶を濁すに限る。なにせ因習としがらみの世界である。ここではすすめられたお茶菓子を断ることすら「愛想がない」などと腐されるポイントになってしまう。わたしはもっとも苦手としていたクリーム系のお菓子まで食べるようになった。いちごショートなどを前に「わー! おいしそうやわー!」などと満面の笑みをご披露できるレベルで、じゃんじゃん三味線を弾いている。いわば「プロヨメ」。ツッコミの自分を完全に封殺し、感じのいいヨメの形にはまり込む。やればできるのだった。気づくのが遅すぎた。


 このわざをもってして、十年前に戻ればどうであろうか。どうであろうか。と二回言う。


 でも何のために?



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