何よりも風呂を愛す



 風呂が好きだ。許されるのであれば何時間でも風呂場で過ごしたいほどだ。よく行く実家の最寄の大型銭湯では、三十分以上の入浴はかえって身体の負担になり、などという注意喚起の館内放送が定期的に流されるのだが、聞くたびにうるせえ、小姑か、と心中口答えをするわたしである。自分でもそのうち死ぬんじゃないかと思う。わたしの祖母・ヨシ子閣下が生前、「○○さんは、お風呂から上がらはって、ちょっと横になるわー言うて、そのまんましゅーっとあっちゃ(極楽)へ行かはったらしいで、ええなあー」とよくうらやましがっていた人があったが、実以て同感である。だから、それでいいと言えばいい。ただ銭湯の方に迷惑をかけてはいかんなあ、と思うだけ。


 自分がどれだけ風呂を愛しているかということを自覚したのは小学六年生の頃だった。わたしは冬の体育が大嫌いであった。寒風吹きすさぶ中、なぜ半袖一丁ブルマー一丁というド軽装で運動せねばならないのか。虐待なんではないのか。しかもやることと言えばたいがいマラソンだ。週に二三度こんなことをして何になるのか。ほんとに身体のためになるのか。あんなに長い時間ただ走るだけなんて、ああ、何か別のよしなしごとを考えられるのだったら適当にやっつけられるのかもしれないが、苦しくて得意の白昼夢も見られない。先生は長袖長ズボン、しかもポリエステル素材の所謂ウィンドブレーカーだ。くそう、早く大人になりたい。そんなことをぶちぶち不満に思いながら帰ってきて、ご飯を食べて、風呂につかる。ああ、お湯とはなんて有難いのか。風呂ほど素敵なものはない。ひたすら温かく、湯船でしなければならない用事も特になく、考えごともし放題である。わたしは昼間の辛かった体育の時間のことを反芻しながら、風呂の有難味を十二分に味わったのであった。そしてそれはいつの間にか習い性になり、体育の有無に関係なく、ああ、今日も寒かったけども、ウチにお風呂があってよかった、湯沸かし器が今日も正常に動いてくれてよかった、お風呂のみならずウチには布団もある、屋根もあるし壁もある、ありがたやありがたや、と感謝の祈りをご先祖様を含む関係者各位に奉げるのが常となった。未だにこの習慣は廃れておらず、冬場だけでなく夏の暑い日にも、我が家の風呂場の窓をそっと覗けば、埃と汗を取り去ってくれるアナタに本日も心からの感謝を! と浴槽のへりを平手で軽く叩きながら黙祷しているわたしの姿が見えるはずである。(一応通報させていただく)


 はじめはぬるくて段々熱くなってゆく風呂のことを「お鷹匠湯」というのだそうだ。昔どこかで読んだ。なんで風呂に鷹匠が関係あるんだろうか。鷹匠は狩りの世話の一環として将軍様の風呂まで用意したのだろうか。疑問に思ったので記憶に残った。追い炊き機能を使ってお湯の温度を思う様上げてゆくたびに「お鷹匠湯」ということばが脳裏に浮かぶ。わたしは将軍様だ、ふははは、そしてキミは鷹匠だ。わたしは浴室の壁のタッチパネルを見詰める。有難い。ほんと有難い。


 我が家の風呂で追い炊きが出来るようになったのはつい最近のことで、わたしが嫁に来た当時は夜中電気温水器で沸かしたお湯をタンクにためて使う、という水周りの事情があり、一日に使えるお湯の量が決まっていたため、最初に浴槽にお湯を張る時点でもしオーバーフローさせたり、途中の人が無茶なお湯の使い方をしたりすると、最後の人が入る頃にはシャワーから水しか出ない、というようなことにもなったのだ。鷹匠よ、キミが来てくれてよかった。わたしはタッチパネルを撫でさする。有難い。ことばにならんくらい有難い。


 しかも嫁に来た当初、わたしはこの山の寒さに耐えられず、本当に越冬できるのか、途中で命を落すのではないのか、鹿やゴキブリみたいに、と本気で思った。そんなときこそオマエ、風呂があるじゃないか、とお思いになった向きもあろう。だが、いくらお湯に浸かっても、てんで温かくならないのである、というか、浸かっている間は当然それなりに温かいのだけれど、すでに実家でお鷹匠湯に慣れてしまっていた身では、途中で「煮込み」をかけない風呂というのは何とも頼りなく、芯の方が生煮え、つまりぬくもらなくて、いつ上がればいいのかちいとも分からなかったのだ。洗い場も脱衣所も寒いし。どうしよう、みんなどうしてはんのやろ、つーかそもそも寒いと感じてないのか? そういえば夫も義妹らもわたしから見れば信じられないほど軽いいでたちで原付を乗り回している。昔モンゴルの競馬の様子をテレビで見たが、たくましい若者達がマイナス何度とかの原野を超薄着で馬に乗って駆けていた。あれと同じか。なんてことをつらつら考えていたらあっという間に三十分以上が経過していたらしく、わたしは嫁入り早々「風呂が長い」とものごっついことダメな評価を下されるところとなり、ほんとにそんなことを思い出すにつけても、鷹匠鷹匠、よくぞ来た、ようこそ我が家へ! わたしはタッチパネルを抱きしめたいが浴室の壁面に埋め込まれているためにそれは無理。しかしほんとに有難い。毎日わたしはこうして風呂を愛でる。とほほな思い出のしつこいプレイバックも、すべては風呂への愛のため。



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