昔の夢


 中学生の頃まで、アメリカ人になるのがわたしの夢であった。わたしはハリウッド映画をよく見たが、出てくるアメリカ人は、多くが金髪で、たいがいは美貌で、堂々たる体躯を誇り、常に自信ありげで、ファーストネームを呼び合い、思うところがあれば率直に意見を交わし、困難に遭っても挫けず、華々しく恋し恋され、最後はたいがい幸せになった。自虐史観教育を受けていたO脚でチンチクリンで剛毛黒髪のわたしは、アメリカ人ってええなあ、ウラマヤシー、と思っていた。


 西原理恵子の『ぼくんち』という名作漫画にマリアさんという女の子の浮浪者が出てきて、「うちはなあ、外人になりたいのや」と言う場面がある。


「外人になったら世界中いろんなとこ行けるやろ、ほんで英語とかベラベラしゃべるねん、かっこええやろ。そんでな、毎日、『いえーーい』ゆうてな、ええ事ばっかり考えんねん、前向きやねん」(『ぼくんち』第三巻十八話)


 まさしくこれと同レベルの願いと言ってよい。フランスをはじめヨーロッパ映画も見るには見たが、難解かつアンハッピーエンド当たり前、ひとことで言うとあまりに辛気臭いうえ、紅毛碧眼の美女ばかりが出てくるというわけでもなく、いまいちぐっと来なかったので、フランス人になりたいと思ったことはなかったし、イギリスドイツポーランドも然り。イタリア人はソフィア・ローレンとクラウディア・カルディナーレが素晴らしいと思ったが、歳がいくとみんな信じられないくらい太ってしまうので、やはりアメリカ人がよかった。さすがにいろんな道理を知るところとなって、当然アメリカ人になったからとて今さら美女になるわけでもなし、大体アメリカは肥満大国でおまけにスーパー差別社会であること、何と言ってもその後自分が日本人であることを良かったと思えるようになったことなどからやがてその夢は棄てたが、いまだに時々アメリカ産のバカ映画を見ると大変元気になる。ハイスクールものなどがよい。見て多幸感を味わいながら同時に、しょうむないことにあたら二時間も費やしてしまった、と後悔するのは、ジャンクフード、例えばサッポロポテトバーベキュー味一袋丸喰い、あるいは出前一丁汁まで全飲みをやらかして、またくだらんものを摂取してしまった、と項垂れるときのようだ。胸焼け寸前の心持で、一度やるとしばらく遠ざかる。


 とにもかくにも、アメリカ人になりたいという夢はずいぶん前に自分のなかから消えた。ところがである、わたしが嫁に来たこの山奥では、近隣に同じ苗字が多すぎるため、老いも若きも下の名前で呼び交わし、スーパーなんか近くにないのでちょっとした買物にも自動車で出かけなければならず、子どもの送り迎えは親の義務で、ほれほれ、ちょっとずつアメリカやろ? しかも八年前、我々夫婦の結婚式の時に、わたし側の友人代表として挨拶に立ってくれたH女史が、戯れにわたしのことを「ナディア」と言ったため、一部関係者筋からは以後そのように呼ばれるところとなり、ナディアっつったらあれだ、妖精だ、ナディア・コマネチだ、ルーマニア人やったっけ? まあええわ、なんせ金髪美女で妖精である、こうしてわたしの古い夢は、急所を大きく外しつつ、中途半端に叶っていっている次第である。

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