ある男の吠え面


 今からわたしがしようとしているのはしつこく去年のラグビーW杯に絡んだ話である。ラグビーに興味のない方々にはまったくどうでもいいことだろうのでずっと我慢してきたが、そもそもラグビーがどうとか言う以前にわたしのする話自体どれほど興味を持たれているのかと自問するに、それこそどうでもいいことなのだからこの際何の話をしたところで変わりはなかろうと開き直った。


 

 十月十八日の準々決勝、スコットランド対オーストラリア戦は、オーストラリアが一点差でスコットランドを破った。二点差でリードしていたスコットランドをオーストラリアが逆転したのは残り時間46秒のことで、決勝点となった三点のペナルティゴールのきっかけとなったのは、スコットランド側の反則だった。しかしである、このペナルティの判定は「誤審」だったと後日発表がなされ、いろいろと議論になった。


 ラグビーには基本的に「誤審」という概念が存在しない。審判の判定は絶対というスタンスなのである。審判は無謬、というか、以下はラグビージャーナリストである村上晃一さんのコラムの受け売りなのだけれども、元来ラグビーというスポーツには審判がおらず、もめごとは両方のチームが話し合いで解決するということになっていたのだそうだ。それでもプレイヤーの見える部分には限界があることから、信頼に足る人物に判定をゆだねたのがレフリーのはじまりで、双方が信任したレフリーに文句は言わない、「むしろレフリーをしてくれたことに感謝するというのがラグビーの文化として根付いてきた」(村上氏)というわけなのだ。



 スコットランドの主将はグレイグ・レイドローという名のスクラムハーフで、予選プールが我が日本と同じB組だったからずっと注目して見ていたのだけれども、常に冷静、素晴らしいキッカーで、しかも男前であった。「あわてない男」とわたしは彼を賞賛したものだ! 日本敗退以降はスコットランドを応援することにしたのも、予選プールで日本が負けたのはスコットランドにだけだったので、もしスコットランドがそのまま優勝なんてことになれば自分も納得がいくんじゃないかと思ったから、それともうひとつは、レイドローにいかれてしまっていたからである。しかし、いつも沈着だったその男は試合終了後、トゥイッケナム競技場をどよもす大ブーイングの中(開催地はイングランドだったのでスコットランドも厳密に言うとアウェー試合なんだけれども、対する豪州はもっとアウェーであるため、会場の観客はスコットランド寄りであった)マイクを向けられ、見るからに不服そうな、納得のいかない表情でレフリー批判をやってしまったんである。アイツちゃんと見てへんかったんちゃうんけ、つって、目を真っ赤にして。


 わたしはこの試合、スコットランドに大好物の缶つま・牡蠣の燻製を賭けていた。夫と開く家庭内賭博である。わたしはこののち学ぶのであるが、自分の応援しているチームに賭けてはいけない。肩入れしている方が負けてしまった場合、それだけでもショックだというのにさらに賭禄をふんだくられるのだからまさに踏んだり蹴ったりだ。それならば、はじめから好きでもない方に賭けておけば、心を置いたチームに勝ちを取られてもまあよかったよかったと祝儀のつもりに思うことも出来るし、それとは逆に勝ったら勝ったでとりあえず損はしない。


 とにかくわたしは応援していたスコットランドに賭けていた缶詰を失ったのであった。フルタイムになった瞬間、うねぇ、とか、ずうぇえ、とかいう感じの、ひらがな表記にはし難い呻きが己が口からだだ漏れに漏れた。漏れ続けた。一分間くらい。悔しかった。その後三十分は泣き言を並べたはずである。たった一つの缶詰を賭けていただけのわたしがそれだけ愚図愚図思うのだから、その試合に四年間の積み上げの全てを、いやそれどころかもしかすると自分の人生のすべてを賭けていたかもしれない人が、ちょっとくらい文句を言いたくなっても仕方ないんじゃないのか。


 そうレイドローを弁護すると、夫は箸をひらひらさせながらわたしをせせら笑い言ったのだった。見よ、スコットランドの他の選手を。一人ひとりがオーストラリアの選手達と握手を交わし、肩を叩き合っている。あれがノーサイドだ、オマエにわかるか? 誰も文句なんか言うてへんやろ。レイドローだけやぞ。ごてごて言うてるんは。


 いや、だからやね、他の選手が言いたくても言わへん分をまとめて一人で泥をかぶってでもひとこと言うとかないかん、っちゅうね、やっぱキャプテンなわけやし。


 わたしがなおも言い募ると、夫は目を眇めた。


 審判にも見えへんところがあって当たり前や。それで逆に自分らが助かってきたことだって何べんもあるはずやろ。自分らの不利になった時にだけガタガタ文句垂れるんはカッコ悪すぎる。小学生か。


 夫はぱき、と音を立てて缶のふたを開けた。沈毅の人は、かくて最後に男を下げたのである。


 暮れにテレビを点けると、イギリスのどこかの地方が大きな水害に見舞われているというニュースが流れた。街が水に浸かり、住人がゴムボートで救助されている様子が映し出されるのを見て、わたしは別段何の考えもなく、ひょっとして今頃レイドローも困ってんのかな、と言った。すると夫は背中をぽりぽり掻きながら、


「泣きながら文句言うてんのちゃう」


 と画面も見ずにへらりと笑った。

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