第8話


 ガルーダさんとの別れを惜しみつつ、日も暮れかけてきた頃、俺はグレイさんと港町ザラウの街並みを歩いていた。

 何でもガルーダの羽根は幸運をもたらすといい、加えて俺が大魔女の知り合いかもしれないという事で、なんだか興味を持たれてしまい、わざわざ魔術ギルドまで連れて行ってくれると言う。


「お忙しい所すみません。仕事大丈夫なんですか?」

「ワハハ、これも大事な仕事だ。もし君がミサの関係者なら、絶対に失敗できない任務だな」


 夕焼けに赤く染まりゆくザラウの街並みは、時間のせいなのか何だかせわしなく、地球と同じく買い物などを終えて家に帰る人々が、早足で石畳を通り過ぎていく。


 そんな大通りを数分歩き、俺達は大きな噴水が立ち上るラウンドアバウトのような場所にやってきた。

 恐らくこの街では一番地価が高いんじゃないかと思われるその一角に、俺の勝手な想像とはかけ離れた、マンションのような5階建ての大きな建物に、グレイさんに連れられて一緒に入っていく。


「ご苦労様。その子がさっき連絡してきた子ね」

「そうだ。サワムラユウイチ、ミサの隣人で、クレインマザーから飛んできたという」


 建物の中は、一目見て洋館の中だった。絨毯が敷かれ、入り口から10m程の所に受付のようなカウンターが置かれて、玄関ホールの両脇から二階に向かい、湾曲した階段が伸びている。


 だがそれよりも俺の目を引いたのは、グレイさんに話しかけてきた女性も、ここで働いていると思われる皆さんも、俺の「魔女」のイメージどおりの、でっかい帽子を被った魔女っぽい格好をしていた事だった。


(うおぉぉ、これはコスプレ会場だ……)

「ユウイチ君、一つだけ質問をさせてね。ミサの……苗字を教えてくれるかしら?」

「あはい。こちらでの苗字は知りませんが、俺が知ってるのはニイヤマです」


 俺に話しかけてきたのは、その帽子を深々と被った、少し年上くらいの女性。勿論俺には魔女の実年齢など見分けられないが、そのお姉さんは細くて小さな杖で少しだけプリムの部分を持ち上げると、俺の顔を見ながら、ふうっ、と小さなため息を吐いた。


「……多分間違いないわね。これから魔術宮へ連絡します。もしミサがいたら多分飛んでくるわ。その時は皆、よく見ておきなさい」

「え?」

「ユウイチ、どうやら取り次いで貰えるようだな」

「あ、はい。ありがとうございます。グレイさんはどうされますか?」

「ああ、ちょっと面白そうだな、もう少しいてもいいか?」

「いいですよ、貴方には報奨が出るでしょう。そして他言無用、破ったら分かりますね?」

「ああ分かってる。さあ、何が出てくるのか……」


 魔女のお姉さんは階段の下の部屋の扉を開け、二三分すると小さな水晶玉を持って出てきた。

 こちらへ歩いてきて、俺の顔の前へその水晶を近づけると、小さく「すぐに伝達します」という声が聞こえた。


「……お姉さんは、ミサさんの事を知ってるんですか?」

「知ってるわ。魔術ギルドの中では公になってる。時折帰ってきて、今でも色々研究しているのよ」

「はああ!?」


 そんなの玲奈や莉奈から聞いた事が無い。まさか俺達が学校に行っている時や、おじさんが仕事に行っている間、そしてスーパーでのパートに勤しむ間の僅かな時間を使って、おばさんはこっちに帰ってきてたというのか?


「……来たわね」


 お姉さんが後ろを振り向くと同時に、ホールを照らしている照明が全て落ち、部屋の中心に小さな紋様が浮かび上がったかと思うと、瞬く間に部屋全体へと一気に拡がっていく。

 俺の部屋に出た紋様のゆうに10倍はあろうかという大きさで、暗い赤と明るい白の二つの紋様が交互に重なり、そこから縦に伸びる光は、ぼんやりではなくはっきりと、何か光の粒子のようなものを帯びている。


 そして昨日の夜と同じように、眩しい光がこの空間の全てを覆ったかと思うと、その瞬間、俺の顔には……何やらぬるぬるとした、柔らかい物体が強く押し付けられていた。


「ああっ……祐……祐っ……っ!!!」

「うおおっ! れ、玲奈! やめろって、俺今日空飛んできたから、汚いからっ!」

「祐っ、祐っ……!! ゆ、ゆゆ、許さない……お父さん……グゥッ! 絶対に許さないっ……!!!」

「ちょ、ちょっと止めなさい! 玲奈、ここ家じゃないんだから!」

「はあっ、はあっ、はああっ!! 祐っ、大丈夫? 怪我とかしてない?」

「大丈夫だから、ホント落ち着けって。なんだ、お前こっちくると角まで生えちゃうのか? 可愛いぞ、よしよし」

「祐……、祐っ……、ゆうぅぅ……ううっ、ひぅ、うえぇぇーーん」


 玲奈が本気で泣いているのを久々に見てしまったが、そんな中でもコイツは大きな体でがっつりと俺を床に押さえ込み、顔中をベロベロと舐め上げてくる。

 涙に濡れる自分の顔を俺に押し付け、口の中に舌をねじ込んできたりと、もうお構い無しだ。


 玲奈のされるがままに、暫くの間呆然とそれを受け入れながら、ふと傍らを見ると、あんぐりと口を開け立ち尽くしている魔術ギルドの皆さんと、グレイさん、そして美佐さん。

 要するに引きまくっている訳だが、玲奈のこんなに激しい愛情表現を喰らうのは、今までで多分……3番目くらいな気がする。


「お母さん……ごめん……ちょっとそこの部屋……10時間位貸して……」

「バカな事言うのやめなさい! 10時間て何する気よ! 祐くんもそんなに持つ訳ないでしょ!?」

「そうだぞ玲奈。ここはお外だからな。まあ家でも無理だけどな。あとそろそろ止めよう、な?」

「大魔女ミサ……この子は一体……」

「ああ、シャーラが取り次いでくれたのね。ありがとう、まあ見ての通り、ウチの娘婿よ」

「娘婿ぉ!?」


 話が飛躍しているが、こんな状況を見られている中で、俺が何か言ったって無駄だろう。

 玲奈は俺の上半身を起こし、両手で抱えたまま、俺の目を見つめながら、まだペロペロと顔を舐めている。


「玲奈、これじゃ男女が逆で、ちょっと恥ずかしいぞ」

「うん……じゃあ私寝るから……同じようにして……」

「わ、わかった。顔は舐めないけどいいか?」

「やだ……お願い……祐ぅ……」


 はあ、と俺はため息をつき、速攻で床に寝っ転んだ玲奈の上半身を抱え、額をぺろっとちょっとだけ舐めた。

 玲奈の尻の下から、おびただしい量の黒い尻尾がざわざわと現れ、周囲360度に広がったかと思うと、その全てがふわりと中空を舞い、まるで果物の皮のように、俺と玲奈の二人を包み込んでしまった。


「わあすごい……何あの量。尻尾ってあんな使い方出来るの……」

「お母さん……ごめん……3時間でいいから……」

「だから3時間で何する気よ!? ダメって言ってるでしょ! そんな真っ暗じゃ祐くんだって楽しくないわよ!?」

「そうだぞ玲奈。さすがの俺も今のは気持ち悪かった。真っ暗云々は美佐さんの言うとおりだぞ」

「ううん……祐はなんとも思ってない……どうせ可愛いって最後には言うの……」


 幼馴染みに完全に見抜かれている俺。まあ気持ち悪いのはちょっと本当だが、どうせコイツの体の一部だ。今すぐその沢山の尻尾に持ち上げられて、わーいわーいと遊びたい位にどうでもいいと思う。


「でも会えてよかったです。えっとこの方は、ココに着いた時助けてくれたグレイさんです」

「お初にお目にかかります。飛行港湾局のグレイです」

「グレイさんね、どうもありがとうございました。魔王に言って5階級上げてもらうよう取り計らいます」

「5階級……3佐!? け、結構です! いきなりそんな仕事出来ませんよ!」

「あらそう、ごめんなさいね。じゃあ三つくらいにしておいてあげます。何かあったらお願いしますね」

「2尉……は、はい。副局長と、同じ……」


 何だかどこかで聞いたような階級システムだが、それはまあいい。とりあえず玲奈に離れて貰わないと、話が全く進まない。


「玲奈、これは俺とお前んちの話だからな。これじゃ落ち着かないし、ちょっと離れてくれ、な?」

「うんわかった……でも私……もうずっと祐と一緒にいるからね……」


 よしよしと頭を撫でると、やっと玲奈は身体を起こした。部屋の真ん中に取り残された、魔女の帽子を手にとって被る。


 美佐さんと並べば、魔女の母娘二人組だ。

 とりあえずカッコいいなあ、などと思いながら、二人がいる部屋の中心へ一緒に立つと、すぐに眩い光が、再び俺の視界を包み込んだ。

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