第7話


 手紙を読んでまず俺に沸いたのは、悔しいという感情だった。


 まずおじさんが無茶苦茶な勘違いをしている事。そしてどうせそんな風に思われるなら、とりあえず両方とも、あまり深く考えずに手を出してしまえばよかったという事だ。

 自分があの二人に対し、ハッキリとした態度を取ってこなかったのは分かっている。だがそれは俺が優柔不断もしくは朴念仁キャラとしてそうなってしまった訳では決してなく、お隣の娘さん達と、家族を交えた付き合いの中で、現実的な選択を取ってきた結果という事に他ならないのだ。


 俺は左手の中指に、とりあえず指輪を嵌めようとした。高速道路の車の屋根の上に乗っているような今の状況だが、姿勢を低くして太腿でしっかりと体を保持し、これからの俺に100%必要と思われるこの便利アイテムを絶対に失くさないように、まずは安全な場所へ確保させる必要があると思った。


 しかし入らない。そうだ、当然コレは俺用におばさんがあつらえたものなどではなく、この世界の言葉が分からない時代の、娘二人の為に作った物と考えるのが自然だ。

 第一関節から引き抜き、左手の小指に嵌めようとするが、第二間接で止まる。俺は小指をベロリと舐め上げ、唾液を付けて摩擦を減らし、ボルトにナットをねじ込むようにぐりぐりと回しながら、何とか小指の付け根に、それを収める事が出来た。


「……ガルーダさん、クレインマザーに戻ってもらえませんか……」


 指輪を口元に当ててそう語りかけると、ガルーダさんは首を横へ振った。

 なるほど、確かに言葉を理解している。そしてこの軍用鳥は命令を受けて俺をどこかへ運んでいる。

 上官なのか飼い主なのかは分からないが、上位の命令に反する指示を受け入れる事は無いのだろう。

 風でたなびく固い羽根の上に、俺は上半身を突っ伏した。


 点在する集落や幾つかの山を越えると、暫くして前方に水平線が見えてきた。

 陸地と海の境目には、大きな街並みが現れる。港町ワールと思われるその場所をガルーダさんは悠々とスルーし、そのまま海上に出て、そこからの時間はほぼほぼ地獄だった。


 眼下に広がる大海原、落ちたら間違いなく生存は不可能と思われる領域で、震える事恐らく5時間。太陽が逆方向へ傾き始めた辺りで、やっと遠くに陸地が現れ、ガルーダさんに「あそこで降りる?」と尋ねると、グエーと鳴いて、大きな首をこくりと一度縦に振った。



「グエー、グエェェ」


 海に面したその街並みの端には、離着陸場と思われる開けた場所があり、俺達はそこへ舞い降りた。

 脚の筋肉はすでに限界を迎え、座ったガルーダさんからズルリと落ちるようにして、俺は地面に倒れ込んだ。


「着いたか……ここ、何処だよ……」

「グエー」


 ガルーダさんが労うような鳴き声を発し、俺も横になりながら胴体をぽんぽん叩いていると、係員と思われる男の人が建物の中から走ってきて、俺の上半身を起こし、話しかけてきた。


「………丈夫か?こんな装備で海を越えて来たのか?」

「はい……クレインマザー城から直です……」


 顔の近くへ左手を持っていくと、話すほうも聞くほうも、両方通じるようだ。

 とりあえず良かった。言葉さえ通じれば色々何とかなるかもしれない。などと思っていると、係員の人は俺を抱えあげ、建物の中へと運び込んでくれた。


「おい、バカが来たぞバカが!」

「おお、まだ若いじゃねーか! なんだあ、借金でも作って逃げてきたのか?」


 港湾の人達は、いつでもどこでも大体ワイルドで、とても人間的だ。俺を簡単に抱え上げるその力強さもそうだが、いかにも男社会という、地球にも通じる独特のヒューマニズムを感じる。


「あの、ここってヴェルザールですよね」

「そうだ。ヴェルザール国の北方、港町ザラウだ。ガルーダはクレインマザーの軍用みたいだが、お前は兵士ではないな?」

「はい、一般人です。ある人を訪ねて、そして追い出されて来ました……」

「そ、そうか。事情はよくわからんが、ここで休んで行くといい。水と食事を持ってきてやる」

「ありがとうございます。あとトイレ貸してください……」


 ちょっとした漂流者のような扱いを受けた後、温かいコンソメのようなスープとジャムパンを出されて、一目散に喰らいつく。

 数時間に及ぶ無休のライディングで相当なカロリーを消費しているのが、胃の中へ落とし込まれる食べ物の温かさで、はっきりと感じる事が出来る。



 食事を頂き、一時間くらい休ませて貰った後、係員の男の人が再びこの部屋へやってきて、俺の様子を確認すると、色々と質問してきた。


「名前を言ってくれるか? クレインマザー国籍の者だな?」

「サワムラユウイチと言います。国籍は持ってません」

「国籍がない? 追い出されて来たからか? お前は罪人か何かか?」

「いえ、違います。とりあえず魔術ギルドへ行けと言われています……」

「魔術ギルド? お前は魔術師なのか? ギルドにどんな用があるんだ?」

「えっと、新……昔この国にいた、大魔女のミサさんにお取次ぎをして頂きたく……」

「大魔女ミサ……?」


 俺の返答に怪訝な表情を浮かべる男性。発着場の仕事をしていると、俺のような訳の分からない人間も時折やってくるのだという。

 だがそれよりも、まず救命を考えてくれてのこの対応だ。港町ザラウ、今の所しっかりした場所だなあと思う。


「俺達にはわからない事だな。一応魔術ギルドへ連絡をしてやるが、場所はわかるのか? ガルーダはどうすればいい?」

「場所は教えて欲しいです。ガルーダさんは帰らせますが、ちょっと挨拶させてください……」

「そうか。じゃあ街の案内を持ってきてやる。夜にはギルドは閉まるから、早めに動いたほうがいいぞ」

「何から何までありがとうございます……」


 俺の様子が安定した事を確認し、再びガルーダさんの元へ誘導してくれる男性。

 厩舎の上に横並びに設置された部屋を出て、階段を降り、玄関から飛行場の広い敷地を、二人で歩いていく。


「大魔女ミサか。お前の年齢でその名前が出るというのは……弟子入りか何かか?」

「いえ、ウチの隣人なんです。ちょっと訳アリで会わなくちゃならなくて」

「隣人? そうか、よく分からないが、俺の名前はグレイだ。ここの飛行港湾局で働いている兵士だ。ミサが今どこにいるのかは知らないが、もし会ったら宜しく言っておいてくれ」

「は、はい」


 俺を疑わないのか、とも思ったが、魔術ギルドからの返答は連れて来いというものだったらしく、ましてやクレインマザーの城から軍用鳥でやってきて、ミサさんの名前を出した事に、何だか事情を理解しようとしてくれているらしい。


 グレイさんはミサさんと知り合いという訳ではないらしいが、俺が本当に関係者だとしたら、何かしらの報奨……メリットのようなものがあるかもしれないという。

 おばさんは国一つ動かす大魔女だったとか言ってたし、グレイさんがしっかり俺を助けてくれた事は、その時が来たら是非報告してみようと思う。


 飛行場へ戻った頃には、外の光はだいぶ黄色味を帯びてきていた。

 ガルーダさんは木の桶に入った、何か草のような塊をガツガツと口の中に放り込んでいる。


「ガルーダさん、ありがとな。ちゃんと無事に送ってくれて」

「流石にしっかり教育されてるな。暴れる事も無く、大人しく待ってたよ」


 俺はポーチを開け、恐らく莉奈が地球から持ち込み、おじさんが入れた携帯食の袋を破いた。ガルーダさんの前に立ち、口を開けてくださいとお願いする。


「こんなのが鳥の栄養になるか分かんないけど、無事に着きますように」

「クエェ、クエエッ」

「脚曳きは取ったぞ。これで後は勝手に飛んで帰って行く」


 ガルーダさんは自分の脚が自由になった事を確認すると、ばさりと大きな羽を広げ、力強く一度ブルンと震えたかと思うと、羽根を一枚落とし、それを咥えて俺の前に差し出した。


「く、くれるの?」

「クエェ」

「が、ガルーダさーーん!!」

「クエェェェ!!」


 ほんの半日の付き合いとはいえ、俺と何かの縁を結んでくれた軍用鳥。俺が大きな口ばしを脇に抱え、頭をギュッと抱き締めた後、ガルーダさんは大地を蹴り上げ、再び大空へと舞い上がった。

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