第5話

 薄いカーテン越しに陽の光が部屋を白く照らし、この世界では始めてとなる朝を迎えた。

 二人で使っても寝返りがうてる大きなベッドで寝ていた割には、寝起きの感覚は案外気だるく、昨晩の怒涛のようなイベントと情報量に、それなりに疲弊していた事を知る。


 目の前の莉奈は、まだすやすやと夢の中だ。腕枕は流石に解放されていたが、こちら向きに目を瞑り枕に頭を委ねる表情は、なんだか微笑んでいるようにも見える。

 絹のように細い金色の髪が何本か顔の上に垂れ、口から小さく涎を垂らす安寧の中にある佇まいは、大人の色香と年相応の幼さを併せ持つ非対称の美すら覚える。


 指で頬をプニュッと突くと、一瞬肩をすくめ、長い睫を纏った瞳が焦点を探すように開いていき、ゆっくりとこちらに向かってにじり寄り、やがて俺の胸の中に収まった。


「おはよ……」

「おはよう。よく眠れたか」

「うん……ついに朝チュンしちゃったね……」

「昔何回かしてるけどな」

「お兄ちゃんキスして……」

「は? あーはいはい、おでこにな。チュッ」

「おでこじゃないよ。口にだよう……」


 あれ、俺コイツとこんな関係だったっけ? と記憶の確認作業にまでいってしまったが、どうやらまだ寝起きで頭が覚醒していない様子だ。唇を指で挟み、ぶにぶにと動かし、ぴっと指を離すと、莉奈の唇は尖ったまま「むー」と言ってむくれた。


 起き上がり、カーテンを開けて外を見ると、昨晩は見ることの出来なかった明るい朝の王宮の景色が広がっている。4階の高さから見下ろす庭園には既に何人かの人がいて、水を撒いたり剪定をしたりと、すでにお城の一日が始まっているようだ。


 少しの間その様子を眺め、綺麗な朝だなあ、と遠くの建物までを見ていると、部屋のドアがガチャッと開き、昨日莉奈に魔法を喰らったおじさんが「朝飯だぞ」と言って入ってきた。



 朝食はシンプルにパンとバターと牛乳だった。おじさんの部屋の調理器具などが地球から持ち込まれたものである事は昨日確認したが、新山家が昔から来ていると思しきこの場所では、メイドさん達こちらの世界の人にとっても、その存在は全くおかしくない事なのだろう。

 こういった食事や生活様式全般が、果たして地球とどの位似ているものなのか、向こう何日かとなる滞在で、俺は少しでも勉強していければいいなと思う。


「今日は港町まで行って、そこから船に乗り、三日でヴェルザールへ渡る予定だ」

「ふーん、まあそうだね。ワールには転移魔法で行くの?」

「いや、折角祐一君が来てくれたからな。軽く紹介も兼ねて、ガルーダで飛んで行こうと思う」

「ガルーダ……飛ぶ……?」


 まず良かったと思ったのは、この食卓が意外と和やかだった事だ。おじさんの激しい誤解と莉奈の父親への攻撃の後とあって、朝から波乱の展開を俺は予想していたのだが、おじさんの機嫌は悪いようには見受けられず、ちゃんとこの朝食を味わう事が出来ている。

 会話もしっかり進んでいる。なんでも南半球にある魔術と魔物の国「ヴェルザール」へは、北半球に位置し法術を基幹としている「クレインマザー」からの直接の転移魔法は、座標だの防御障壁がどうのでなかなか難しいらしく、ましてやゲストである俺や莉奈がいる時に使える代物ではないのだという。


「まあ、美佐ならやっちまうんだろうけどな。あっちには玲奈もいるし、向こうから来てくれれば話が早いんだが」


 おじさんは苦笑し、俺も同調した。北と南で地続きの場所も遠くにあるらしいのだが、そこは人が訪れる事が出来るような場所ではないらしく、とりあえず今日のルートが概ね最短なのだという。


 しかし、飛んでいく、か。ガルーダという言葉から、俺は当然でかい鳥的な動物を想像する。その何かに乗って、港町ワールという場所へ行くという。落っこちたりしてもちゃんと助けてくれるのだろうか。パラシュート的な何かを装着するのだろうか。勇者のおじさんと莉奈の不思議な力なら、ちょっと空を飛んできますとか、出来たりするのだろうか。


「あの、ちょっと聞きたいんですけど」

「なんだい?」

「莉奈って、なんなんですか?」

「!」

「お前……そんな事も言ってないのか……」

「私……言ったことなかったっけ……」


 そもそもここに来てからの魔術や法術やらに対して、俺は全くきちんと向き合っていない。普通に「すげーなあ」位にしか思っていない。

 何しろ皆で家に帰る事が目的で、さらには昨夜はおっぱいまであったのだ。地球においてはコイツは俺の部屋のコントローラーを振り回しに遊びに来るだけで、尻尾なども生えていないし、何よりそれは俺と玲奈の間で控えめに話す内容のものだった。

 だが、重力に逆らい大空へ舞い上がろうという今日のイベントを前に、その安全性を担保する理由くらいは、是非知っておきたいと思う。


「莉奈はな、まあ『聖女』だ。聖女の刻印が首に付いていただろう」

「おおー。魔女の刻印もついてましたね」

「グッ…そうだ。莉奈は俺と同じで、聖属性を上手く操る事が出来る。勇者と魔女の遺伝子を受け継いだが、莉奈はそうなったんだ。法術と言ったが、聖属性魔法は魔素の他に神の力を使い、魔法を行使する技術なんだ。そしてコイツはさらに魔属性……魔術も扱う」

「お前すげーな! ハイブリッドじゃん!」

「ふっふーん! さあもっともっともっと褒めてお兄ちゃん!」

「わーっしゃっしゃっしゃわーしゃしゃっ」

「きゃー! わーい!」

「お前らいい加減にしろよ」


 なんででも玲奈も莉奈も帰省のたびに、広義で言うその「魔法」の練習に明け暮れていたらしい。勿論地球でそれを使わない二人に、俺が今まで何かを感じたりした事なんて一度もない。


「玲奈が魔女で、おばさん方の先祖が悪魔だって事は、アイツから聞いちゃってますけど……でも色々と遺伝しまくるんですね」

「いや、そう簡単にはしないんだが、俺も美佐も出自がなかなか特殊だからな。そしてコイツらはもっと特殊だ。本来ならこっちの世界にいるべきなんだが、地球で生まれて育ったし、何よりすぐに帰りたがる」

「お父さん、別に私もうこっちいてもいいよ」

「お前学校どうすんだ。普通にいけば来年から揃って大学生だぞ。楽しいぞー?」

「あー確かに……でもなあ、うーん……」


 調子に乗った莉奈が変な事を言い出したが、軽く諫めた。俺にとってこの一連の話は、とても興味深いものではあるが、とりあえずこの家族の問題を解決するのが先決だ。


「まあいいさ、食べ終わったら、着替えを持って飛行場へ行こう。ガルーダは軍用だが、ワールに行って帰るだけの許可は取っておいた」

「わかりました」

「はーい」


 一気に説明されても覚えられないし、そもそも俺にその必要があるのか微妙だ。おじさんが話を切り上げてくれて、三人で目の前の朝食をぱくぱく食べていく。

 用意されたパンは柔らかくて、バターは芳醇。濃い牛乳もとても美味しく、沢山食べて満足させてもらった俺は、一日目の順調な滑り出しをする事が出来た。

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