第2話
その日の夜、俺は一度眠りに付き、何時頃かは分からないが深夜に一度目が覚めた。
最近は出歩いたりもあまりせず、昨日もずっと部屋でダラダラ過ごしていたため、深い眠りに入れなかったのだろうか。
それとも、部屋を照らす白い月明かりが瞼に入ったのだろうか。外を見ると、眠る前に確認した向かいの部屋は、昨晩と同じく暗く閉ざされ、この部屋と同じように、カーテンをうっすらと白い光が照らしている。
「まだ帰って来ないか」
俺はふうっ、と一つため息をつく。そしてまた昨日と同じように、早く帰って来いよ、と願う。
枕もとのニーソックスをキュッと握り、再び俺は目を瞑る。そして二三度寝返りをうち、自分の意識が無の世界へすーっと入り込んでいくかというその辺りで、俺の瞼の色は、暗闇から小豆色へ、やがて赤くなり、最後には白く光った。
「な、なんだ!?」
掛かっていた布団から起き上がると、畳張りのこの部屋の床いっぱいに、暗い赤と眩しい白の大きな円状の紋様が浮かび上がり、そこから上部に向かって同じ色の光が、柔らかく1m程の長さに伸びていた。
紋様は次第にゆっくりと回転を始め、それと共に光はまるでスイングライトのように動き出し、今この部屋に起きていることが、間違いなくこの世のモノではない現象だと悟る。
「お、おい! 玲奈か? 莉奈か!?」
「お兄……ん、その……乗って」
「乗ってって、俺乗って平気なのか!?」
「大丈……、お姉ち……たち……魔素……」
「本当だな、乗っていいんだな!?」
「はやく……って」
何だかよくわからないが、それでも俺はバカではない。今まで一度も無かったこと、アイツ等が俺をその世界に引き込もうとしている。
あいつらが俺を呼んでいるという事は、何かがあったと言うこと。二人は間違いなく俺と同じように、本当なら早くこの世界へ帰ってきて、家族と俺達とこれからも、今までどおり暮らして行く事を望んでいる筈だ。
何でもいい。二人を助けられるなら、行こう。俺はタンスの中から二三枚の服を掴み、とりあえず財布を寝巻きのポケットに入れ、ああ、スマホは壁際だと一瞬で諦め、紋様の中心に立ち、どこへ向かってでもなく、声を上げた。
「莉奈、乗ったぞ!」
「おーk……そのままそこ……」
眩い光が俺の全身を包み、視界の全てが遮断されていく。一瞬、足元から床の感触が無くなり、ふわりとした浮遊感を感じると、その後一気に下方向への、強い濁流の中へ落下していく感覚になった。その後の事は一切覚えていない。
「……ちゃん……お兄ちゃんっ……!」
「むー、むーん。はっ、り、莉奈!!」
瞼を開けようとするほんの一瞬に、色々な思考が脳を駆け抜けた。
コイツらの世界でも、俺は生きていられるということ。
何があったか知らないが、とりあえず来てやれてよかったということ。
そして、今誰かに抱きかかえられている俺の体は、多分、莉奈の腕の中だということ……。
「祐一君! 大丈夫かい!?」
「うわあああ! お、おじさん」
「お、おう。祐一君、すまないな。こちらへ呼んでしまって」
「い、いえ……莉奈の声も聞こえたんですけど」
「ああいるぞ。ふう、こっちでも大丈夫だろうと思ってはいたが、まさか本当にこうなるとはな」
「いらっしゃい、お兄ちゃん。クレインマザー国へようこそ」
野太い男の腕に抱かれていた事実をまずリセットし、莉奈の声がした方向へ向き直すと、まだ淡く残る光の中、そこにはいつもの金髪サラサラヘアーに透明なヴェールを纏った、可愛い可愛い幼馴染み妹がいて、にっこりと微笑みながら、俺を見ていた。
「ね、お父さん。大丈夫だって言ったでしょ」
「あ、ああ。それにしてもよかった。ココと地球じゃ少し大気の構成が違うんだが」
「私がそんな危険を冒すわけないでしょ。お父さん達だって、初めての時平気だったじゃん」
「それはそうなんだが、俺達は引き算だったから、なのに……うーむ」
「はーんやっと日本語でお話が出来る……もう早く帰りたいのに、ごめんねお兄ちゃん」
「お、おう」
落ち着いて周囲を見回すと、何と言うか地下のような、暗い雰囲気の中にあった。
古いお城のどこかだろうか……石の壁材に漆喰のようなものが細部に詰められ、その壁の両側に、あまり明るくないランプのようなものが、照明として取り付けられている。
光っていた床の紋様は消え、代わりにサラサラという石の感触が手に伝わる。見れば二人とも、しっかりと靴を履いている。
「その……どうしたんですか? 何かあったとしか……玲奈も、おばさんもいません」
「ああ。その事なんだが…とりあえずここを出て、俺達の部屋へ行こう」
「お兄ちゃん、応えてくれてありがとね」
「当たり前だろ」
木製の鍵のついた扉を開け、廊下と思われる場所に出る。コツン、コツン、と二人の足音がよく響き、そこからこの廊下の長さが伺える。
俺のRPG的感覚で言えば、人のいる場所からは少し離れた、普段はあまり使われていない場所なんじゃないかと、想像出来る。
歩いていると、莉奈が俺の腕を取り、絡めてきた。あちらではお外でこんな事をする娘じゃなかったのに、ましてやお父さんが目の前にいるというのに、どういう風の吹き回しだろう。
ランプに照らされた薄暗い廊下を進んでいくと、庭園のような場所の片隅に出た。10m程の砂利道の先に、大きなお城のような建物に向かって真っ直ぐ伸びる、屋根の付いた接続路が続いている。
暗く人のいないその道を静かに進み、裏口のような扉から、立派な建造物の中へと入っていく。
「ウ、ウォホン。さあ、ここだ」
台所のような場所を抜け、狭い階段を4階まで昇ると、大きな窓が並んだ白い壁の廊下が、外からの光にぼんやり薄く照らされていた。その廊下の一室の前でおじさんは立ち止まり、俺達の様子を咳払いで軽く諫めた後、俺を部屋に招き入れた。
「それじゃ祐一君、座ってくれ。とりあえず莉奈、お茶を」
「うん、わかった」
莉奈は壁際にある小さなキッチンへ立ち、棚の一つを開けて布袋を取り出した。シンクのような場所の上方から細い筒が出ていて、そこからちょろちょろと水が流れ出ている。
ポットはあるんだろうか、お湯は……莉奈の行動に目を向けていると、金属製の象のマークのポットに水を入れ始め、どこかでみたようなコンロの上に置き、人差し指を口元に持っていったかと思うと、瞬間その先に小さな炎の塊を作り出し、五徳の中へ展開して、その上にポットを置いた。俺はダッシュでキッチンへ飛び込んだ。
「すげー! すすげー!! なにソレ魔法!? やっぱ勇者と魔女の子供って魔法使えんの!?」
「ふっふーん。お兄ちゃんの前では初公開だね。お兄ちゃんがタバコ吸うようになったら、ライターいらずだよ!」
「いや吸う気ないけどさ! いや凄い、莉奈もちょっと人外入ってるんだな! やっぱりって感じだけど、偉いぞー撫でてやる!」
「えへへ~、さっきの転移魔法は褒めてくれなかったのに、やったー!」
「お前ら…」
言われて気づいた位なのだが、そもそもアレがどうやって造り出されたかもわからないし、今俺が目にしたのは、莉奈が単独で不思議な現象をやってのけた事だ。幼少の頃からの全てを知る妹の晴れ姿に、興奮しないお兄ちゃんなどいない。
「ま、まあいい。実はな祐一君。その、恥ずかしくて情けない話なんだが……」
「はい」
キッチンから「ホントだよ」と、ちょっと怒ったような声を上げる莉奈。
「母さん……美佐と玲奈がな……実家へ帰ってしまった」
「はい?」
莉奈は藤製のバスケットの中に、ポッ○ーだのカントリーマ○ムだの、これまたどこかで見たことのあるお菓子を沢山乗せて、おじさんと俺が座るテーブルにお茶と一緒に並べると、俺の隣へ座った。
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