第5話 『邂逅 2』
昔、俺が小学校の頃、まだ母さんが生きていた頃に、俺は一度学校の友達と殴り合いの喧嘩をした。なんでそんな事になったかは覚えていない。所詮子どもの喧嘩だ。些細なことだったんだろう。その時に母さんに言われた言葉は、今でも強く、俺の中に残っている。
「いい?命。傷つけるのは簡単なことよ。でも”傷”を治すのには時間がかかるの。その時間は人によって違うわ。一日で治る人もいれば、一生治らない人もいる。だから、喧嘩はダメよ。それに、命だって殴られたりするのは痛いでしょう?」
そう言って、母さんは微笑んだ。そして母さんはこう続けた。
「でもね、もしかしたら命はこの先、どうしても『戦わなきゃいけない』場面に出会うかもしれない。その時は、自分の胸に問いただしてみて。命の思うように、自分を貫きなさい。それが間違いの時もあるかもしれない。だけどきっと、そうすればきっと、上手くいくわ。大丈夫よ!命は母さんの子だもの!」
そして母さんは頭を撫でる。
母さんはよく頭を撫でてくれた。俺はそれがとても嬉しかったのを覚えている。一緒にいた時間が短かったから、他に思い出がない訳じゃなく、ただただそれだけの事が嬉しかった。
最後だって、母さんは俺の頭を………
そこで意識が現実に引き戻された。
「――――夢………?」
目を覚ました
まず、自分は生きているということ。それと、現在は誰かが病院に運んでくれて、治療を受けているということ。確かに目を覚まして直ぐにここが病室であるとわかった。消毒液の匂いがする。時は既に放課後ではなく、おそらくもうお昼時だろう。
だんだん寝起きの状態から頭が回ってきた命は、一つだけどうしても解せないことを発見した。
腹の傷が消えていたのだ。
まるで何事も無かったかのように、きれいさっぱり無くなっていた。しかしその代わりに、とんでもないほど身体が疲れていた。起き上がることも、腕を動かすこともままならないほどに。せめて首が動かせることが救いだった。
命は改めて辺りを見回した。ちょうどその時、
ピシャーーン!!
と病室の扉がなんとも雑に開かれた。
入ってきた男性は、ずかずかとためらい無くこちらに向かってきて、命の目の前でピタッと止まった。その人はブロンドヘアの長髪で、ポニーテールのように髪の毛を後ろでまとめていた。眼鏡をかけており、手にはカルテ・・・だろうか、それらしきものを持っている。白衣を着ていたので、医者であろうことは予想できた。
その男―――左胸に「ヤマダ」という名札が付いていたので、ヤマダという名前だろう―――は、命の前に止まったまま、じっと命の顔を見ていた。命は全く状況が飲み込めず、困惑していた。するとヤマダが「うん!」と大きく頷いて、話し始めた。
「顔色は良いみたいだね。じゃあ早速だけど、君がどんな『能力』に覚醒したのか試してみよう。いやー楽しみだね!実に楽しみだ!そしたらまずはここから出るところからだが………えーと、失礼だが君、名前はなんだったかな?」
命はさらに混乱に陥った。ヤマダとやらの発言が一つも理解できない。訳の分からない命はただ呆然と、「は?」としか言えなかった。するとその時、
「ちょっとヤマダさん。彼は病み上がりなんですから、もうちょっといたわってあげて下さいよ」
と、扉の方から男の声がした。
この声……俺はどこかで……?
「なっ!?まさかこの声!!」
命はすぐに誰が来たのか分かった。やって来た男が、いつも喋る相手であり、学校で席も隣なのだから、当然のことだった。
「よう!命。大丈夫だったか?」
やって来た男は、あの
「弥彦じゃねぇか!なんで……お前こんなとこ………てかお前この人と知り合いか!?」
命は目の前のブロンドの男に指をさす。思えば、なんで外国人見たいな顔立ちと髪の毛で、名前が「ヤマダ」なのか。謎だ。
「そうかそうだった!命くん、だったね。ありがとう弥彦くん。それで、何の用だい?」
ヤマダは命のことはお構い無しだった。すると弥彦が、
「いえ、俺の用があるのは命の方です。それと、もうすぐ
とヤマダに言い放った。
「
そう言って、慌てた様子のヤマダがそそくさと病室を出ていった。扉を閉めなかったあたり、やはり大雑把な人間なのだろう。
一方命は終始当惑していた。だが、ヤマダがいなくなったおかげで、本来穏やかである筈の病室に平穏が戻った。
「改めて、大丈夫か?命。具合はどうだ?」
弥彦の声を聞いて、命は少し落ち着きを取り戻した。
「あぁ、まぁ、とりあえず大丈夫だ。ありがとう。でも分からないことが多すぎて、どこから聞けば………」
命が考えていると、弥彦が「そうか…」と口に出した直後、急に
「すまん!!俺のせいだ!!」
と頭を下げて謝りだした。
「え?ど、どうした?」
「俺があの時、お前をちゃんと説得できていれば、ちゃんと止めていれば、こんなことにはならなかったはずなのに………!!」
命は一瞬戸惑ったが、弥彦の言うあの時が何を指すのか理解すると、命はなだめるように言った。
「いや、あれは俺が自分で行くって決めたんだから、弥彦は関係ねぇよ。てゆーか、その言い方だと、まるで俺が怪我すること分かってたみたいじゃないか。こうなるなんて予想できなかったんだから、お前が気に病むことじゃ」
「違う!」
弥彦が命の言葉を遮ってそう言った。
「分かってたんだ!俺は!」
「え?」
「鈴木のことも、お前がこうなることも、分かってた。なのに俺は…………!!」
分かっていた、だって?
命はいよいよ状況に追いつけない。
「な、なぁ弥彦。それってどういう」
命がそう言いかけた時、
「なんだ?扉が開けっ放しじゃないか。弥彦の声が丸聞こえだ。一応ここは病院なんだぞ」
また誰かが病室に入ってきた。今度は女だ。
「飛鳥さん!」
弥彦は一礼する。
飛鳥?さっき話題に出た人だろうか。
「患者は起きてる?」
「はい、起きてます。だいぶ顔色も良いみたいで」
「そうかそうか。そりゃ良かった」
そう言って彼女は笑った。
彼女―――
「弥彦、この人は…………?」
「あぁ、この人は飛鳥茉瑚さん。こう見えてこの人は」
「れっきとした
茉瑚はカバンの中を漁りながら、弥彦の言葉を遮ってそう言った。
「医者………?じゃあさっきの白衣の、えーと、ヤマダさんは……?」
「あっ命、それは言っちゃ」
「なに?ヤマダが来たのか?」
弥彦が「あちゃー」といった様子で手をおでこに当てていた。
不味いことを言ったのだろうか。
弥彦は観念した様子で、
「えぇ、さっきまでここに」
とため息と一緒に告白した。
「あの野郎。相変わらず段取りを無視しやがる」
茉瑚は腕を組み、愚痴をこぼす。
置いてけぼりの命は、
「あのー………」
と不安げな表情で問掛ける。
「あぁ、悪かったね。ヤマダは
「はぁ……」
それでもイマイチ違いのわからなかった命は、とりあえず頷いた。
茉瑚は大きく手を叩くと、こう言った。
「さて!じゃあまずは色々説明しないといけないね。君がどういう経緯でここに来て、これから君はどう生きていくのかを、ね」
茉瑚は長い説明をする前に、ひとつ咳払いをして、舐めていた飴を口から出し、話し始めた。
「早速だけど問題だ。君は、人間が自分の脳をどれくらい使いこなせていると思う?」
「へ?」
命は質問の唐突さに戸惑った。そして聞き返す。
「脳、ですか?」
「そう。脳だ。何%くらいだと思う?」
意図が読み取れなかったが、命はとりあえず答えた。
「そりゃあ、あるものは全部使ってるんじゃないんですか?」
すると茉瑚は「予想通り」という笑みを浮かべ、正解を発表した。
「わずか3%だよ」
「……………はぁ。少ないですね」
命はこの質問の意味がわからなかったので、それぐらいにしか思わなかった。これについては茉瑚の予想に反したらしく、彼女は少し頬をふくらませて、
「なんだい。あまり驚かないじゃないか。知らなかったろう?君は脳の97%を使っていないんだよ。この使っていない部分を、『ジャンク領域』と言うんだ」
ともう一度念を押す。
「確かに知りませんでしたけど、なんでそんな質問を?」
「うん。じゃあ質問を質問で返すようだけど、君はその残りの97%は一体何だと思う?」
また訳の分からない質問だ。再び命は答えた。
「ジャンクって言うことは、要らない部分ってことじゃないんですか?」
茉瑚は「チッチッチッ」と棒付きの飴を左右に振り、
「そうじゃない。97%にもちゃんと役割はあるんだ。ただそれは普段使う必要が無いだけなのさ」
と言った。そして話は続く。
「じゃあその役割とは何か。答えはいわゆる《超能力》さ」
「超能力……?」
思いがけない言葉が出てきたことで、命は思わず反芻してしまった。茉瑚は「うん」と大きく頷いて話を続ける。
「この超能力には3つの種類がある。干渉系、強化系、対話系の3つ。この超能力は我々の科学の領域を大きく凌駕するものだ。特に干渉系の能力はね」
「……………」
命は話を理解するのに精一杯で、黙って聞いていた。
「この世の中には、科学で証明できないものは五万とある。これらの超能力はその一つに過ぎない。どうだい?面白いだろう?」
「まぁ、はい……」
「そうだろう。じゃあお待ちかねの質問タイムだ。何かあるかい?」
命は少し考えたが、根本的な疑問をぶつけてみた。。
「えっと………というか、その話と俺にどんな関係が?俺はそんな超能力なんて知らないし、そういうのって俺、どちらかと言うと信じない人間なので………」
茉瑚は少し間を置いてこう答えた。
「なるほどね。うん。でもね、君の言う通り、そんな超能力がなかったとしたら、君はもうとっくに死んでいるよ」
「―――――え?」
「覚えているだろう?君が倒れた時のことを」
そう言われて命はあの時の光景、あの〈怪物〉に襲われる場面がフラッシュバックして、恐怖を思い出し、少し吐き気を催した。
「不思議に思わないかい?あの時君は大怪我をしたはずだ。即死ではなかったが、いずれは死に至るほどのね。そんな傷が今はもう無くなってる。そんな事あり得ると思うかい?」
それはその通りだ。命自身も不思議に思っていた。そしてある考えに至った。
「………それじゃあまさか、その『能力』で治した、ということですか…………?」
「うん。大正解だ」
そう言って、茉瑚は隣の弥彦に目を向ける。弥彦はその視線を合図に、替わって話し始めた。
「命を治したのは、俺だ」
「なっ!??」
全くもって予想外だった。ということは弥彦は『能力』を持っているという事だ。
命が驚きのあまり言葉を失っていると、弥彦が
「俺の能力は強化系。『気功強化』だ。気功術って知ってるか?それで治したんだ」
と言い出した。
命は気功術を知っていたが、それ故に気功術が非科学的なものであるということも知っていた。
「気功術だって?弥彦、本当にお前が治したのか?」
命もう一度弥彦に確認する。
「そうだ」
弥彦の様子からは嘘をついている様子は見て取れない。
命は大きく深呼吸をした。まさかこんな近くに超能力者がいたなんて。
「でも俺の気功術は万能ってわけじゃない。あくまでも俺自身の力は与えられない。怪我をした本人、つまり命、お前の治癒力を大幅に向上させたんだ。だから、今のお前の身体は力の使いすぎで異常に疲れている。その証拠にお前は身体を動かせないはずだ。違うか?」
そういう事か。命の中でひとつ疑問が解消された。
「そうか。とりあえず身体が動かない理由は分かった。だが、腹の傷が完治している理由はどうしても得心がいかない。だって、俺の治癒力だけであんな抉れた腹が治るとは思えないんだ」
それを聞いた弥彦は、申し訳なさそうに俯いて、
「それは、その…………」
と言いながら、茉瑚に助けを求めるように目を向けた。すると茉瑚は、
「うん。じゃあここからはまた私が説明しよう」
と重い空気を払うような声でそう言って、語り手を交代した。
「なぜ腹の傷が完治しているのか、だったね。うーーん。これについては我々も申し訳ないと思ってるんだ。巻き込んでしまった。すまないね」
そう言って茉瑚は命に頭を下げる。
「やめてくださいよ。またその話ですか?行くと決めたのは自分なんですから、怪我は自己責任です。そうでしょう?」
「いや、私が謝っているのは怪我についてではないんだよ。もちろん怪我もそうなんだが、謝りたいのは君を巻き込んだことに関してだ」
「巻き込んだ?どういう事です?」
命はなんだか嫌な予感がしてきた。これから聞かされる事は、何か自分の運命を揺るがすような、そういう物のような気がした。
「確かに君の怪我は弥彦の能力では治せなかった。君の勘は正解だよ」
「だったらなんで傷が?」
命がもう一度聞くと、茉瑚は考えて、こう続けた。
「少し話が逸れるが、能力者―――我々は『ホルダー』と呼んでいる―――になると、人間としての潜在能力が覚醒するんだ。簡単に言うと、”強くなる”わけだ。そうなると、筋力はもちろん、あらゆる面での耐性が生まれる。そして自然治癒力なども大幅に向上する。抉れた腹の傷を完治させるほどにね」
そこまできいて命は全てを察した。
まさか俺は、もう既に―――――
「俺は、
命は恐る恐る目の前の医者に尋ねた。
「うん。またまた大正解だ」
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