第4話 『邂逅 1』
その翌日。
幸い数学の授業が無かったことで、
黒服が紀尾井坂さんを狙っているのだとしたら、直接仕掛けることも考えられるな。まぁ、これが全部杞憂であれば何も言うことは無いんだけど………
外を眺めてこんなことを考えていたら、やはり授業の内容など頭に入るはずもなく、そのまま放課後になった。HRを終えると、命は隣の席の
「なぁ、鈴木って今日空手部来るか?」
鈴木は空手部の顧問である。
「鈴木?確か今日は用事があるとか言ってたかな………?」
「!!……そうか。ありがとう!」
紀尾井坂さんのことだろう。
命は直感的にそう悟った。瞬間、命はあたりを見回し六月を探すが、既に教室を出たあとだった。命は荷物をまとめて急いで教室を出ようとするが、そこで弥彦が命を呼び止めた。
「ちょっと待て命!どうしたって言うんだ?何を急いでる?」
命は弥彦に何もかも言ってしまおうか逡巡したが、自分の杞憂かもしれない問題に弥彦を巻き込む訳にはいかないと思い、
「鈴木にちょっと用があってな」
と誤魔化した。
すると弥彦は少し真剣な表情をして、諭すように言った。
「今日じゃなきゃダメか?その用事は」
命は珍しく弥彦の真剣な表情を見て動きを止める。弥彦はその表情のまま、少し声を小さくして話を続けた。
「黒服の噂は知ってるだろ?」
「なんだ。弥彦も知ってたのか?」
「まぁな。自分の顧問の噂なんかはよく耳に入るだけさ。知ってるんなら話は早い。」
弥彦は改めて命と向き合って、
「鈴木にはもう関わるな」
と低い声で、命にそう告げた。初めて見る弥彦の様子に命は少し気圧されたが、命の心は既に決まっていた。
「悪ぃな弥彦。確かに危ないのかもしれないけど、紀尾井坂さんが心配なんだ。だから行くよ」
そう言って、命は教室を飛び出して行った。背後から聞こえる弥彦の制止の声は、もう命の心を揺るがさなかった。
命の姿が完全に見えなくなり、止めることを諦めた弥彦はため息をついて、
「あの馬鹿野郎」
と呟いて、携帯で電話をかけていた。電話の相手は、学校や警察や、病院などではなく、『H.B.T.L』―――人間脳総合研究所だった。
六月を追いかけると決めたはいいものの、命は六月の家を知らなかったし、当然帰り道も知らなかった。しかしそんなことは問題ではない。命には策があった。
「すいません!紀尾井坂さん見ませんでしたか?」
命は通りすがりの同じ学校の生徒に声を掛けた。
「紀尾井坂さん?あぁ、彼女ならそっちへ行ったよ」
「ありがとう!」
そう。紀尾井坂六月は有名人なのだ。目撃情報は必ずあるはずだ。命はそう考えていた。そして案の定命の作戦は見事成功し、六月を見つけることが出来た。
命は六月がちょうどT字路の突き当たりの道を左に進んでいくのを見た。
命が声を掛けようとしたその時、六月の後ろから妙な歩き方をした鈴木が現れた。
命はとっさに物陰に隠れて、様子をうかがう。
鈴木はやはり異常だった。
ふらついた歩き。遠くからでも分かる息の荒れ具合。
命の中に恐怖が生まれた。
あれは人間か?
純粋にそう疑ってしまうほどの様子だった。
再びT字路の方を見ると、二人はいなくなっていた。追いかけるのには少し勇気が必要だった。命は頬を叩き、気合を入れ直した。
「しっかりしろ!俺!こんなんでビビってどうする!」
そう自分に言い聞かせた。
命は薄々気付いていた。鈴木が関わっているのは覚せい剤なんてちゃちなものでは無いと。だがそれ以上に、六月の事が気がかりだった。
T字路を左に進み、彼らを追いかける。そこはシャッター街だった。もちろん人通りなんてない。恐らくここに居るのは命と六月と鈴木だけだろう。
「紀尾井坂さん、毎日こんなところを通って通学してるのか?」
危ないじゃないか、と、また心配事が増えた命だった。
と、その時だった。
「ぐぅぅぅおぉぁぁあぁぁあぁ」
脇道から、うめき声のような、苦しそうな声が聞こえてきた。
命は身震いした。体が、本能が、危険を知らせている。
そんな恐怖を振り払うように大きく一歩を踏み出し、声の方向へと向かった。
「うぅぅぐぐがぁぉおぁ」
声がどんどん近くなってくる。自分から近づいているのに、まるで声の方がどんどん近づいてくるような気がした。そんな威圧感を感じた。
そしてとうとうその声の主と対峙することとなる。
その脇道にたどり着いた瞬間、命の中の時が止まった。
目の前に現れたのは、まさしく〈怪物〉だった。
その〈怪物〉の向こう、行き止まりの道の奥に、六月がいた。しかし命には目の前の〈怪物〉にしか注意は向かなかった。
恐らく鈴木であろうその〈怪物〉は、本来の鈴木の一回りも二回りも体が大きく、皮膚と呼べるものはなさそうで、筋肉が剥き出しだった。爪は伸び、身体からは蒸気が出ていた。肥大化した顔の肉がメガネを飲み込み、顔面と一体化していた。
命は無意識に後ずさった。その時に運悪く、命の足が空き缶を蹴飛ばした。
カランカラン
音が出たその刹那、〈怪物〉はグルンと首だけを回して命を睨み付けた。六月もその時に初めて命の存在に気づき、
「逃げて!!!」
と叫んだ。それを皮切りに〈怪物〉が雄叫びを上げ、命に襲いかかってきた。
怖い。死んだ。ヤバい。殺される。
様々な負の感情が命の頭になだれ込んできた。
命はさらに後ずさり、今度は運良く、先程命が蹴飛ばした空き缶に足を引っ掛けて、転んだ。それによって〈怪物〉の攻撃を避けることが出来た。などという都合のいい展開にはならず、致命傷は避けたものの、命の腹が大きく抉れた。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!!」
命は叫ぶ。
痛い。とてつもなく痛い。怖い。命の脳裏に殺される恐怖がしっかりと焼き付いた。
辺りに血が飛び散り、素朴なアスファルトの地面を綺麗に彩った。
痛い痛い殺される怖い痛い辛い痛い痛い恐い殺される痛い死ぬ痛い死ぬ痛い痛い死ぬ辛い死ぬ怖い殺される痛い死ぬ死ぬ怖い痛い辛い恐い死ぬ
命はそれ以外考えられなかった。というか考えること自体が出来なかった。「恐怖」以外何も無かった。
薄れていく意識の中、命は自らの『死』を実感する。
母さんもこんな感じだったのかな。
「し………くん!しっ……して!気をた………に!」
ぼんやりと六月の声が聞こえた。起きなければという意識とは裏腹に、命はどんどん眠くなっていった。
意識を失う直前に見た、地面を彩る綺麗な赤色を、どこかで見たような気がした。
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