第27話 理解の先に

──次の日、悠華は出社した。


散々聞かれ、誤魔化すのが大変だった。

蛯名や黒田、華代が助け舟を出してくれたことにより、事なきを得た。


溜まっていた仕事を片し、例の案件で捕まっている華代を置いて、三人は退社する。


「私たちは一日でしたけど、奏以さんは十日ですもんね。大丈夫でした? 」

「さすがにキツかったかなあ」

「俺たちに投げてもよかったんだぞ? 」

「何言ってるんですか。私ならともかく、黒田さんが奏以さんを手伝えると思っているんですか? 」

「うるせえよ、できることくらいあるだろ」

「お茶汲みですかあ? 」

「ふざけんな! 」


変わらずからかい続ける蛯名。

そんなやり取りを、困った表情で見つめる。


「……私は大したことないから。ほら、サポートがメインだし」


少し顔が青い。


「奏以さん」

「なあに? 蛯名ちゃん」

「奏以さんって、褒められるの苦手ですよね」

「そうだね、まだまだだから」


ただ謙遜しているだけには思えない。


「傍目にもできるようにしか見えません。でも、黒田さんみたいな自信が見えないんですよね。ほら、得意分野以外知識ないのに」

「これみよがしにディスんな! わからないけどさ」


こんな何気ないやり取りにも入ってこない。

今まで世間話など、給湯室にいるときや居酒屋にいるとき。

よくよく考えてみたら、二人以上でいたところを見たことがない。


「……負担にさせてしまいましたか? 」

「え? なにが? 何もないよ」


いつも人に合わせて自分を押すことがない。


「言いたいことあるなら言った方がいいぞ?

コイツは言いすぎだけど」

「失礼ですよ。黒田さんにはハッキリ言わないと意味が無いです。オブラートにしたら理解できないと思います」

「マシな言い方あるだろ」

「えー? 黒田さん相手にそんなことで労力割きたくないですう」

「このやろ」


ふざけながらも、悠華から目を離さない。

一緒にいるのになぜか、彼女だけ空間が違う。優しく微笑んでいるのに。


そんな不思議な空気を割くような着信音が響く。イマドキ珍しい黒電話。

二人は悠華を見る。設定に黒電話を入れそうなのは彼女くらいしかいない。

二人が見たのは、スマホの画面を見て、見るからに青白い顔をした悠華。


「あの……」

「あ! ごめんなさい! 」


くるりと後ろを向き、通話に出る。

明らかに様子がおかしい。


「はい……、大丈夫だよ。一人でやれてます。はい……はい……はい……。大丈夫だから。それは……ごめんなさい。帰れません。ごめんなさい。はい……それは! ……いえ、なんとかなってるから。はい……」


節々の内容から、親だとわかる。

だが、不安そうに対応する悠華が心配になった。あまり話したくない相手なのだろう。


「ごめんね。お母さん……」


悠華が一番恐れている存在が母親だった。

心配をかけるまいと思っても、声を聞くだけで無意識に気分が滅入ってしまう。

一人でいるとき以上に二人がいる場所だからか、血の気が引き、緊張の冷たい脂汗が出る。情けない姿なんてみせたくないのに。


「……やだ、ダーリンいないじゃない。てか、あんた具合でも悪いの? 」


聞き覚えのある声が頭上から聞こえた。


「え……? 」


いつ現れたのか、遊里が小柄な女の子を連れて、悠華を見下ろしていた。


「ゆ、遊里くん? 」


薫から聞いていた話を思い出し、後退あとずさる。


「ちょっと、あからさまだとあたし傷ついちゃう」

「態度がデカすぎますよ、遊里ちゃん」


無表情な女の子が口を開くと、少し低い。


「あ……」

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー! 」


彼も男の娘なのかもしれない、そう思った矢先、蛯名の素っ頓狂な叫びに掻き消される。


「マジですかあ!? 『mitsuru』じゃないですかあ! 逢鈴さんもめっちゃ美人だけどお 」


興奮気味の蛯名。イマドキ女子らしく、そう言った方面も好きらしい。


「え? 」

「はい。……『こんにちは☆ スターダムに今推参! mitsuruダヨ! よろしくネ! 』のMITSURUです」


真顔からアイドル顔をしてからの、真顔。

忙しい。


「うわあうわあ! ……で、なんで噂の妄想癖美人ストーカーと一緒なんですかあ? 友だち? 」


しかし、こちらもブレない。


「はあ? ちょっと酷くなぁい? 褒められてる気がしなぁい! 」

「その辺りのはあとで。今は遊里ちゃんの立場が悪いのですから、どうにかせねばなりません」


こちらに向き直る真弦。


「本人が話すと語弊しか招きませんので、隣で代弁させていただきます。ボクはmitsuruこと、神薙真弦と申します。遊里ちゃんの逢鈴家と昔から親睦が深く、いわゆる幼馴染という関係です」


しん……と静まり返る。


「あの……神薙コンチェルンの? 」


意外な経歴アイドルを目をしばたく。

悠華の視線は遊里と行ったり来たりしている。


「はい、です」

「マジですかあ!? 完璧美少女男の娘じゃないですかあ。それ、ツメモノじゃないですよねえ? 」


イマドキ以前に女子としてどうかの発言。


「光栄です。はい、ホルモン注射からヒアルロン酸注入までしております」


蛯名の変態発言にも淡々と対応する。

真顔で。


「答えてくれてありがとうございますう。……んで、おぼっちゃまが美少女アイドルしてる云々はいいんですけど、本題いきましょうか。私の希望した人材が飛び込んできたんです。絶好のシチュエーションです」


口角をあげ、本来の皮肉めいた笑いをする。


「ボクを双方で求めていただいていたとは、感涙せざるえませんね。ありがとうございます。……まずは、一途すぎて猪突猛進な行動ばかりしていた遊里ちゃんのおいたな素行の謝罪をさせていただきたいと思います。たいへん申しわけありませんでした」


遊里の背中を押し、一緒に頭を下げる。

しぶしぶ、抵抗せずに倣っていた。


「……経緯は聞いてるけどさ、俺らはまだ何もされてないぜ? 」

「確かに……私たちなんて初対面ですしおすし」

「私も……まだ……」

「いえ、奏以悠華さん。あなたにはすでにやらかしているんです。ほら、自分でいいなさい。内容くらい」


悠華の言葉を遮り、真弦は告げ、遊里を促す。


「はぁーい。……あんたが気に食わないからぁ、化けの皮が剥がしてやろうとしたのぉ」

「理由なんてあとでいいんです」

「わかったわよぅ……。あんたんちに仕掛けたの」


またも沈黙が流れた。


「……ストーカーは一様に犯罪認識が薄いんですか? バカなんですか? 」


蛯名節が炸裂する。


「バカなんです。すみません。そこは和解させていただいてから、無定期講義をする予定です」

「それ、黒田さんも参加可能ですか? 」

「俺を混ぜるな! 俺はそのへんわかってるからな?! 」

「正確な知識は財産になるんですから、これを機会にぜひ 学んできてください。神薙コンチェルンの次期社長ですよ? 知識の宝庫です。私が語り合いたいくらいです。羨ましいです、黒田さん」

「どこまで本気で言ってるかわかんねえよ! 」

「全部ですよ」

「ボクは構いませんよ。ぜひ受講なさってください。それと、蛯名さん。ボクもあなたと語り合う案件、こちらからもお願いしたいです」

「では、改めて事後に」


謎の意気投合を始めた二人、それに翻弄される二人。


「……あたしが一番いやなポジションじゃない」

「当たり前です。してきたことを反省し、改善していくチャンスを逃す手はないですからね」


ぼそりと呟いた言葉も拾う。


「あの……盗聴器って……その……化けの皮って……」


話題を青ざめながら掘り起こした被害者を、真弦はじっと見つめた。


「……奏以さん。それは通常の意味合いではないですね。盗聴器を仕掛けたと聞いたら、怯えることが普通の判断です。ですが、あなたの場合、少し違う。普通の見解の化けの皮なんて

「え……あの……」


狼狽の仕方が違う。傍目からはわからないけれど。


「ありていで言えば──お二方と顔つきが違いますから。遊里ちゃんの妄想癖に似て非なる妄想癖をお持ちとお見受けします。ええ、の方で」


見透かすような蒼い瞳が悠華をみつめる。

暴かれたくない内情を丸裸にされそうな感覚に、身震いした。心無しか、膝が笑いそうになる。

繕い続けた装丁を捲られそうな感覚。

一歩後退る。すると、一歩前に進軍される。

悠華も低い方だが、さらに少し低いことがわかる。


「安心してくださいとは言いません。ボクはあなたに何か──を感じるだけですから」

「お、おなじもの? 」


わけがわからず、立ち尽くす。


「お顔を拝見して、気がするんですよね」

「えー? ナンパですかあ? ダメですよお?


美少女然としても、男性。

蛯名がガードに入る。


「そのポジ、俺じゃダメか? 」

「ダメですね。黒田さんでは下心がでます」


くすりと息が零れる音がした。

本人以外、皆が一斉にそちらを向く。

……無表情だった顔が、少し柔らかい顔つきになっていた。

アイドル顔の作った仮面ペルソナではない。


「たしかに奏以さんは魅力的な女性ですよね。ですが、残念なことに真逆の意味なんですよ。ボクに恋愛感情以前に、性的理念が欠けています。だからこそ、とは失礼ですが、してる気がするんです。あなたも」


冷たかった瞳に宿る、不思議な感情。


「だって……彼氏とかいたろ? 」

「ちょっと黒田さん! デリカシー無さすぎます! いいですか? 恋愛概念において、弊害のないものは有り得ません。お互いが好きで付き合う場合しか想定できない黒田さんにはわからないかもですが、付き合う理由は多岐にわたるんです。簡単には定義できない心理的理由が点在します。シビアなメンタルのお話が関わってくるんですから、短絡的な発想だけで決めつけないでください。……だから間男ポジだったんですよ、黒田さんは。そもそも基本的な恋愛ですら出来ていないことが判明したじゃないですか」


容赦なく叩き伏せる。


「おまえ、俺のこと嫌いだろ! さすがにひでえぞ! おまえもデリカシーねえだろ! 」


涙目になりながら訴えた。


「嫌いだったら──怒りませんよ。無視します、関わりません。平和な思考ばかりが人間ではありませんから、黒田さんには……お花畑思考から脱してもらいます。意地でも」


下から威圧が重圧を増して進軍してきた。


「……やだ。それ、てことじゃない。いやねぇ、鈍感すぎる男ってぇ。見た目イケてるのに中身はてんでお子さまなんだから、ふふ」


遊里が意地悪な流し目で黒田を見やる。

身長が近い所為か、下からでも上からでもなく、おなじ目線。


「……え? 」

「……そうですねえ、人としては好きですよお? 調教しがいがありますからあ」


戸惑う黒田とともに、一瞬揺れた瞳。

しかし束の間で、すぐに蛯名節が飛び出す。


「大の男を調教しようとすんな! 」

「ふ、年齢の概念にいつまで縛られてらっしゃるんですか? いつから錯覚していたんですか? 飾りですよ? 」

「それはボクも同感です」


そんな彼らのやり取りになど構ってられない悠華。


「……ちょっとあんた。謝るから部屋入れて」


あまりついていけていなかった遊里が、悠華の意識を呼び覚ます。


「え? あの……」

「あー! 面倒は嫌いなのよ。盗聴器外すから入れて。……もう何かしようなんて思わないわよ。あんたのこと、何も知らないのに酷いことしようとして……ごめんなさい」


不思議と、すぐに自虐が返ってこない。


「……謝らないで? 今までのあなたの行動から怖がっていた私も失礼だったね。ごめんなさい」


優しく微笑んでいた。

そんな悠華に、目を見開いたまま動けなくなる。


「……クソ、天使かよ」


喉の奥で呟く。

遊里の瞳には、ほんのり涙が浮かんでいた。


「あ、あたしが謝るなんて貴重なんだから受け取っておきなさいよ! 」

「くすくす、たいへんよく出来ました」


ツンデレ化した遊里をおかしそうに真弦が笑っている。


「うん、ありがとう。遊里くん」


ジャンルは違えど、裏に複雑な心理的事情を抱えた者同士。

すべてを理解することも納得できなくとも、歩み寄ることはできる。


他人至上主義の悠華は、他人に優しくすればするほど自虐体質が悪化してしまう。

でも大概は伝えない。だから気がつかれない。


言わないこともよくない。

また言えなかった。

言ったら相手が困る。

笑っていてほしい。

私だけでいい。


そう思ってしまう。

そんな思いに気がついた真弦。

彼は伝えているようだが、結果、肝心なことを言い忘れるか言うのを躊躇ためらう。

タイプは違うけれど、似た感性を悠華に見いだした。


人に優しくすることは、簡単なようで、実はものすごく難しい。

表面だけの薄っぺらい優しさなんて、すぐに風で飛ばされてしまうからだ。

言葉は薬にも凶器にもなる。

重みを理解することが重要だと気がつかない人があとを立たない。

選ばないこと、選びすぎること。

真逆で同意義である。

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