第23話 荒療治

「……真弦、あなた何してるの? 」


ティーカップの紅茶を口に運ぼうとしていた真弦は固まった。

遊里のマンションに程近い場所にある、アンティーク喫茶にて、優雅にお茶と洒落込もうとしていた。


「え? 」

「え? じゃないわよ。気が付かないとでも思ったの? 」


観念したかのように溜息をつき、ティーカップをソーサーに静かに置いた。


「……ええ、遊里ちゃんは思慮深い人ではありませんから」

「ちょっと酷くない? あたしを何だと思ってるのよ? 」

「有り体に言えば──単細胞、ですね」

「……馬鹿にしてるでしょ? 」

「バカほど可愛いものですよ」

「ふざけないで! あとつけてたの、真弦でしょ?! 」

「大声を上げないでください。はしたない」

「……応えて」

「そうですよ。出所の知らせが遅くて、お迎えに行けなくてすみません。知っていれば、ボクの別邸に匿えたのですが」


暫しの沈黙ののち。


「……ウソ」

「どうして? 」

「真弦がそんな義理果たす必要ないからよ」

「家族よりは分かり合えるじゃないですか」

「それはそれ、これはこれよ」

「なにがおっしゃりたいんですか? 」


遊里は真弦の目の前に座り、テーブル越しにじっと見つめる。


「馬鹿のあたしでもわかるわ。……あたしを監視しにきたんでしょ? 」

「あなたを監視してどうするんですか? 」

「……ダーリンから引き離すためでしょ?


憎々しそうに唇を噛み締める。


「そう……と言えばそうかもしれないですが、そんな簡単な話ではないでしょう? 」


真弦はバレたことよりも、冷静に話をしようとする遊里に合わせた。

元来、そこまでバカではない、それはわかっていた。

しかし、どこまで平静を保てるかということが大事だった。

薫との接触を試みるより先に遊里が動いたことは誤算だった。

整理するために来た喫茶店。

近くにしすぎてしまった後悔を今更していた。


「どういうことよ? 」


さすがに難しいらしい。

遊里の妄想は常軌を逸している。

下手に刺激はできないし、訂正するには順を追うことと、気の遠くなる時間が必要だとはわかっている。

真弦はカウンセラーではない。

できるとしても、荒療治しかないだろう。


「やはり、遊里ちゃんには難しいようですね」

「な、なによ! あたしだって考えればすごいこと考えられるんだから! 」

「そうですか? では、ボクが考えていることがわかりますか? 」


口を閉ざしてしまった。

わかるはずがない。他人なのだから。


「わからないでしょう? ボクだって遊里ちゃんのことはわかりませんよ」

「だから! 何が言いたいの?! 」

「叫んでは周りに迷惑ですよ。そうやって狭量になってしまうことが、遊里ちゃんの欠点です。あなたは自分の世界に閉じこもりすぎなんです」

「はぁ?! 」

「遊里ちゃんは、いつも自分が正しいと思っていますよね? 自分が人間だという認識が薄いんです。神様ではないのですから、間違って当然という見解に至ることは大事ですよ」


一瞬固まった、しかし。


「……あたしとダーリンの仲を疑うの? 」


男らしい低音で、怒りを露わにする。


「そうやってすぐ怒るから、単細胞だと言うのです。ボクは──あなたを日常に還したいだけなんですよ」

「……別れないから」


そう言って、また口を閉ざしてしまった。

彼なりの譲歩のつもりなのだろう。

心の奥底では知っているのだ、認めたくないだけで。

認めてしまったら、自分を否定することになる。誰しも恐れることだ。

自分が男だと認めたくない気持ち以上に。


「……ボクは、あなたの数少ない味方でありたいとは思います。ですが、嘘はつきたくありません」


遊里は黙ったままだ。


「いづれは受け止めなければなりませんよ」


いや、ただ黙っているだけではなかった。

耐えていた。暑くはない室内で汗が滲む。


家族に性を否定され、想い人に想いを否定された事実。

妄想の世界に飛び込むしかなかった遊里。

だからといって、人を巻き込んでいい理由にはならない。


「いつまで子どもでいるつもりですか? あと数年で、ボクたちも大人なんですよ? 」


真弦はすでに大人の仲間入りをしている。

そもそも、子どもらしい時間なんてわずかだった。

子どもらしく扱われたことなどなかった。

生まれながらに、後継者としての威厳を叩き込まれた。

遊里とは環境が違うのだから、比較対象にすらならない。

お互い枯渇しているものがあるからこそ、歩み寄れる何かがあるはずだ。


「……誰かに依存したい気持ちはわかりますが、相手が望んではいません」


残酷でも、理解してもらわねばならない。


「ウソよ……。真弦、ふざけるなら別の話題にして」

「ボクがふざけたこと、ありましたか? 」


どこかでわかっているはずなのだ。

他に依存できることがなければ、崩れるだけかもしれない。


「遊里ちゃんに必要なものは、恋人ではなく、友人です」


キッパリと告げる。


「ダーリンさえいればそれでいいの」


その彼には拒否されているのに、噛み合わせようとしない、無意識の抵抗。

向き合おうとする人間がいなかった証。


真弦も然り。大人の中で育った弊害か、交渉技術ばかり向上した。

お互いに譲れないものがある。

どちらかが譲歩しない限り堂々巡り。

隙を見つけて、弱みを見つけてつくしかない。否定せず、肯定もしない。

虚しさと背中合わせ。

それでも、人と生きていくには必要で。

親しき仲にも礼儀あり。そんな格式ばった譲り合いなど、傷の舐め合いにしかならなくて。

だからこそ、厳しい現実に向き合うには、自分をよく見せようとする見栄なんてかなぐり捨てねばならなくて。

自分が悪役になることで向き合えるのならばと決意する。


「あなたの気持ちはわからないではないですよ。しかし、現実を直視する勇気がなければ前には進めません。今若いからと、まだ大丈夫と自分を甘やかすのはもうやめにしませんか」


それは、自分さえも諌める言葉。

自分の立場を確率するために、大人たちを言いくるめてきた自分さえも刺す。

心に傷なくしては成長なんてできなくて、かといってぬかるみに浸かる日々は長くは続かない。

いづれ冷たいアスファルトに投げ出されるくらいならば、今自らひび割れたコンクリートに飛び出す勇気を。


「な……にを……」


ガタガタと震え出す遊里。

拒否反応がみて取れる。

無理矢理にでも今、彼を、彼の置かれている立場を理解させなくてはならない。

嫌われて、自分が孤立しようとも。

薔薇の蔦ががんじがらめに巻き付き、無数の棘に刺される激痛を伴うとしても。

自分さえも傷つくとわかっていても。

真弦はやめるわけにいかなかった。


「薫ちゃんはあなたのものではないのです」

「違う! 違う! 違う! ダーリンはあたしの彼氏なの! 」


前進した。妄想という虚像、ハリボテの世界にヒビが入る音がする。

遊里の叫びに、数少ない客とマスターの視線が痛い。

真弦はティーカップを掴み、ぐいっと飲み干すと、諭吉を一枚テーブルに置く。

立ち上がり、すでに瞳をあらぬ回し方を始めた遊里の腕を掴む。


「お騒がせ致しました」


遊里を引き摺るようにして、店をあとにする。


真弦は言葉選びのスペシャリストだ。

交渉術の天才たちに囲まれ、英才教育を受けて育った。ネゴシエーション能力は人並み外れている。

だが、それはビジネスに限ってのことだ。

真弦も人間。どうにもならないことだってある。

人を騙すことばかりしてきた。自分さえも。

ステージでは、計算された笑みと歌唱、MC能力が完璧に披露できる。


けれど、だからこそ後腐れなく時間も必要で。

真弦にとって遊里は、誰よりも身近で、誰よりも救いたい存在。

きっと彼は気がついていない。

自分の中で、どれほど遊里の存在が大きいかを。手放したとき、彼の心に穴があくほどの大切な人間であることを。

仲間はいる。しかし、遊里ほど近い存在はいない。


「……離して。離してよ! あなたなんか嫌い! あたしとダーリンの仲を引き裂きに来たんじゃない! いやよ! ダーリンとは別れない! 愛し合っているの! 」


──パン!


マンションの前までずんずん歩き、叫んだ遊里の頬が鳴る。

真弦がはたいたのだ。


「目を覚ませ、遊里! おまえは何もみえてねえんだよ! 今目の前にいるのは誰だ?! ボクだろ?! 」


砕けた口調。感情が高ぶると日常の丁寧さが消えてしまう。

顔を掴み、ぐいっと無理矢理目を合わせる。


「もう踏み外すな! ボクが理性になってやる! 自分をもう貶めるな! 」


普段は荒らげない真弦が、感情を露わに叫ぶ。


「……え? 」


剣幕に遊里も思わず止まる。


「辛くても思い出せ! 乗り越えろ! 」


遊里は、声にならない声を発し、へたりこんだ。

放心状態になり、停止してしまう。


「……薫ちゃんを解放してあげなさい」


応えられる状況では無い遊里に呟いた。

無理矢理にでも現実を今突きつけなければ、また繰り返してしまうから。

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