第22話 深層は語れない

「あれ? 仲良くなったの? 」


戻ってくると、三人の表情が柔らかい。

いない間に打ち解けたのだろうか。


悠華ともかは、華代に付き添ってトイレに向かった。

日頃、何かとともにすることが多かったために、今回も疑問に思わず、付き合った。

悠華はトイレに用はなかったので、洗面台により掛かり、華代が出てくるのをのんびりと待つ。

不思議と、おなじ空間にいるだけで安心してしまうのはなぜだろう。


見た目も性格も、まったく違う二人。

昔から知っている幼馴染のような気楽さが二人にはあった。

華代は明確に、悠華は薄ぼんやりと、それが何なのか認識していた。

別段、掘り下げることはしない。

悠華の押し込められた過去、華代の囚われ続けている過去。

それはあまりに残酷で、あまりに哀しかった。


華代は下着も下ろさず、ただ便器に座っていた。

今頃、蛯名が自分の話も交えながら交渉しているころだ。

薫は、確実に食いつくだろう。

それは誰もがわかることだ。協力しないわけがない。悠華が関わっているのだから。


……けれど、華代はすべてを話してはいなかった。話せなかった。

あの事件が原因で、華代自身が変わってしまったからだ。


詳しく何をされた、とは言わなかった。

当時の彼らが個々で要求されたものまではわからない。たぶん、思いつく様々な要求をしたのだろう。

ひとりひとり違うかもしれないし、おなじ人もいたかもしれない。

作品の題材、そして、性癖を満たすために。


華代と悠華に要求されたのは──レズ行為だ。経験などない、小学生と間違われるほどに幼かった二人にそんなことを要求した。


『やらなかったら、しゃぶらせるぞ』


そんな究極の選択をさせられた。

華代には年の離れた兄がおり、時折違う女を連れてきては、妹がいるにも関わらず、リビングやキッチン、トイレやお風呂で盛大に行為を見せつけられた。

疲れて全裸で眠る女を放ったらかし、タバコを上裸で吸い始める兄に話し掛けてしまう。


『お兄ちゃん、いつも違うお姉ちゃんだね』


うっかりそんなことを口にすれば、口を口で塞がれる。


『……うるせえな。うるさいやつは──お仕置きだ』


華代は兄に何度も犯された。


『お兄ちゃんは亜也子が大好きだからするんだよ、悪いことじゃない』


兄の優しさに騙されていた。

それがよくないことだと知らなかった。

両親に言わなかったから。


だから、究極の選択を突きつけられたとき、動いたのは華代だった。

何を言われているかわかっていない悠華を、


『あたしは悠華が好きだよ。悠華は? 』

『え? 私も亜也子好きだよ? なんで? 』


悠華は、状況もまったく読めていないほどに無知だった。


『だから、いいよね? 』


好きならしていい。悪いことじゃない。

そう刷り込まれ、恋愛の概念が根づく前に歪んでいた。

兄にされたように、悠華の唇を吸い、舌を吸い、体に舌を這わせた。

何も分かっていない親友を犯したのは──華代だった。


その姿に興奮し、佐藤は自慰行為を繰り返した。

華代と悠華を気に入り、何度も行為を要求した。躊躇すれば、脅された。

何度も繰り返すうちに、悠華は何も発さなくなった。嫌がることなく、華代に身を委ねていた。

小さくとも可愛く、虚ろに喘ぐ悠華に胸が疼いた。佐藤を忘れ、貪るように抱いた。


──華代は、悠華しか愛せなくなってしまった。


恋愛の概念を幼くして破壊された彼女には、あまりにも辛い現実。

幸いしたのは、兄とは違い、良心があった。探究心があった。

成長するにつれ、最低限の善悪を学んだ。

だから──悠華への罪悪感に気がつけた。


「……悠華」


うっかり呟く。


「え? なに? 呼んだ? 」

「あ、な、なんでもないわ」


慌てて我に返り、水を流して誤魔化した。


「大丈夫? 飲みすぎた? 」


出てきた華代を気遣う悠華。

その心配そうな顔さえ、好きだった。


「だ、大丈夫。ごめんなさいね」


覚えていないならいい。むしろ、忘れて欲しい。今ならまだ幸せになれる。

悠華だけは普通の幸せを手に入れる資格がある。


華代は話題を変える。

最近買ったコスメの話。


「よかったら使ってみて」


毎回悠華の分まで買っている。

お揃いを持つくらいは許されたいと。


「いつも悪いなあ。私頓着しないから、亜也子のセンス羨ましい。あ、やっぱりいいかも! 亜也子って私に合う色まで選べるなんてすごいよ」


滅多につけないグロスを塗ってみる。

キレイなサーモンピンク。

発色するものの、色味はきつくなくて自然。

少し血色のよくなった悠華を、華代は優しく見つめていた。


暫しのガールズトークののち、二人は席に戻る。


「私の話術があればちょちょいのちょいですよう」


いつも通りのふわっとした自信。

そんなムードメーカーな彼女が頼もしかった。


「オレはあなたの知識にしか興味ないですけどね」

「女子として見てもらいたいわけじゃないですもん」

「見れませんね」

「見られても困りますう。ま、私可愛いですけどお」

「一般的な女性としてはモテそうですよね、見た目は。オレは悠華さんがいいので、そちらの興味はありません」

「一々トゲ差してきますねえ。鏑木さんもモテるんじゃないですかあ? 肌ツヤいいし、スタイル抜群だしい」

「言い寄られても悠華さん以外興味ないので邪魔なだけです」


さきほどより濃い皮肉を投げあっているのに、雰囲気は柔らかい。

本当に打ち解けたのだろう。


「黒田は混ざらないのね」


黒田は慌てて首を振る。

巻き込まれなくない様子が窺えるが、気にしない。


「黒田は……」


一緒になって言おうとしてやめる。

黒田に言われた言葉がまだ頭から離れない。

だから、話し掛けにくい。

あれから会話すらしていなかった。

おなじ空間にいることが平気なら、何とか切り替えせると思っていた。

しかし、返事をしていないのだ。気まずい。

黒田も察したのか、頭を掻き始める。


たった一言で関係が一変してしまった。

たった一言返せば取り戻せる日常会話。

それが言えない。

冷静になればわかる。黒田のことは、友だち以上には思えないのだから。

今言えば、黒田に恥をかかせてしまう。

皆が予想していそうでも、言い難い。


友だちから始まる恋愛なんて珍しくない。

むしろ、気楽さえ思える。

意識しないで仲良くなって、あけすけ無く話せるようになって。

いつの間にか、一番の理解者だと錯覚を始める。……その錯覚が恋、なのだ。

誰よりも相手を知っている。誰よりも知っていなければいけない。

だから、自分の知らない相手の情報を持った人を警戒する。情報収集、穴埋めにならない。

なんでこの人は自分の知らないことを知っているんだろう。……好敵手ライバルか。

勝手な妄想が一人走りを始める。


これは、想いが通じ、両想いになっても続く。好敵手ライバルの部分が、浮気相手に変わり、相手を追求するか、更なる混沌の妄想の海にダイブする。


フラれた場合は、通常であれば、切り替える。若しくは、自分をアピールし続ける。好感が持てるやり方で。


逆に、フラれても信じないタイプもいて、妄想が肥大化しすぎた結果、付き合っていると思い込み、相手がいれば浮気だと発狂するケースも度々耳にする。


黒田は、前者も前者。と思えそうだが、どうなのだろう。

逃げられた時点でこれはダメだろうなという反面、やっぱりはっきり言われるまでは期待したいという気持ちがある。……そのあとは? 黒田にもわからない。


「なに? 奏以? 」


いつもと変わらない返答。

慌てずに、自分に向けられた声に少し高揚しながら。

しかし、顔は好感を得ようと、三割増でキラキラと爽やかオーラが出ていた。

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