第19話 忍び寄る魔の手
──真冬、陽射し眩しい昼間。
ロングレースゴシックドレスを纏い、黒いレースのフィンガーレスのグローブ、黒薔薇チョーカー、黒いゴシックブーツ、見えないが黒いガーターベルト、まるでステンドグラスのようなパゴダ傘という全身黒ずくめないで立ちの、長身の美女が五人を遠目で睨みつけていた。
「……あの女の仲間? あたしと対照的なダーリンの可愛い姿を間近で見られるなんて、なんて贅沢! 狡いわ、狡いわよ! 」
黒いレースのハンカチを千切れそうなくらい、ギリギリと。
見事な昭和的嫉妬絵面。
「嗚呼! なんてこと! ダーリンが頭下げてるじゃない! あの女ね! あの女に騙されてるんだわ! 可哀想なダーリン! あんな薄汚いヤツらに! ……あ、あら。あの人、ステキかも」
視線の先は、矢張り男性。黒田を見ていた。
黒田の災難はまだ続く? (終わりなどない)
「何を言っているの?! あたしにはダーリンがいるもの! 誰よりもキレイで、可愛くて、カッコよくて、頭もいい。最強のダーリン! あたしの理想の旦那様! いえ、お嫁様でもいい! 将来を誓い合った仲なのよ。浮気なんて許さない。許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないんだから! 」
真っ白でシミのない肌にある2つの双眸は血走り、更なる勝手な妄想が暴走する。
完全なる拒絶を受け、絶望したはずの二年前。
その間に何があったか、記憶は改竄され、彼の脳内では、薫が些細な喧嘩で家出したことになっている。
内容は些細過ぎて覚えていないという勝手な解釈で。
たぶん、髪の毛が排水口に絡まったままで詰まってしまった、くらいの些細さだと認識している。
そんな事実は一切ないが、彼の中では同棲していると設定されていた。
お揃いのマグカップ、お揃いの歯ブラシ、お揃いのお茶碗、お揃いのタオル、お揃いのシミーズ、お揃いのお洋服まで揃えて。
酷い妄想を肯定するためだけに、ありとあらゆる事実を作り上げた。
お互いの出逢いは必然で、お互い一目惚れで、お互いまだ清いまま。
結婚初夜に、産まれたままの姿でひとつになるんだと信じて疑わない。
いづれ帰ってくるのはわかっている。
けれど、他の女といるのは許されることではない。
しっかり彼にも反省してもらわねば。
すべて自分の都合で記憶を書き換える。
嫌なことはなかったことにする。
辻褄合わせ、擦り合わせの意味を
少女漫画のような、女の子の自分。
たまにふと男の自分を思い出し、無理矢理押し込む。下半身を見れば歴然。
それでも、誰よりも、本当の女の子よりもキレイで可愛い自分を意識する。
ただの女よりも肌のスキンケアを怠らない。
その甲斐あって未だに化粧は必要ないほどのキメ。
付け睫毛のいらない長い睫毛、薄めの眉。
薄い唇と頬、
それだけで、最高の美女が出来上がる。
その部分だけは妄想ではなく、事実。
実家は旧華族、元跡取り、
家族に性同一性障害を理解されず、孤独だった逢鈴遊里。
そんな彼の天使が薫だった。
SNSでおなじ仲間と付き合いながら、Twitterで知り合った。
最初は薫もおなじ仲間なのだと思っていた。
その期待は裏切られたけれど、辛さは理解してもらえた。
それからどっぷりと傾倒してゆく。
自分のすべてを理解して欲しくて、『逢いたい』と繰り返しDMした。
根負けした薫が指定したのは女装氏のオフ会。
このときから警戒していたのかもしれない。
「鏑木薫です」
「逢鈴遊里です」
このときは、キレイで可愛い薫と友だちになりたいだけだった。親友になれたらいいなと思っていた。
声も注射をしていないのに、ちゃんと女の子に聞こえる。仕草も可愛い。
そんな薫を尊敬さえしていた。
自分も女の子に間違われたい。
本気で女の子になりたいとさえ思った。
勘当されたとはいえ、必要以上の仕送りはある。
性転換だって可能だ。思いとどまったのは、矢張り薫で。
そんなことしなくても、らしくなれる。
目の前に最高の見本がいる。
努力する中で、徐々に男であることを認識出来なくなっていた。
心が完全に女の子になっていった。
乙女と化した遊里。
当時中学生。薫は高校生。
女装の有無がないときは、何人か女装をしないで来ることがあった。
その中で、一際輝いて見えたのが薫だった。
男性として意識し始めたときにはもう、恋に落ちていた。思い切って告白した。
「あなたのことが好きです」
女の子のように恥じらいながら、しかし。
「ごめん、オレは身体も女の子が好きだから。本当にごめんね」
断られた。それでも諦めきれなかった。
だから、何度も告白した。
「性転換するから、身体も女の子になるから」
でも、結果はノーで。
……どんどん、壊れていく音が聞こえた。
周りにいる女の子や、女の子に見える女装氏まで目の敵にし始めてしまった。
すべて意味が無いことは分かっていたけれど、理解したくなかった。
──だから、事件を起こした。
出会ってから一年、今から二年前某月。
通話もメールも着信拒否された。
だから、参加イベントを探して、見つけた。
秋葉原で女装氏と女装氏好きの集まるオフ会。
最終募集日、最終募集時間ギリギリに申請して。
現地で会った薫には、「久しぶり」とだけ告げて遠巻きにした。
だけど、他の誰かと話しているのを見ていたら、我慢できなくなった。
気がついたときには、罵詈雑言をドスの聞いた声で叫び散らしていた。何人かびっくりして、気分を害して帰ってしまった。
遊里を諌めようとして残った十数名。
彼は誰の話も聞かず、ダーリンに近づくなと喚き散らした。
「僕はあなたを友だちとしか思えないって言ったでしょ?! 」
「ふざけないで! あたしはもう彼女なの!
ダーリン、あたしだけを見て! こんなヤツらから連れ出そうと思って来たんだから!
」
本当は、もう一度話したかっただけだったのに、溢れてとまらなかった。
叫べば地が出てしまうから避けていたのに、叫び散らす。
「か、薫ちゃんは逃げて! 遊里ちゃん、ちょっと何か、危ない! 」
「でも……! 」
他の女装氏に無理矢理手を引かれ、その場から引き離そうとした。
「誘拐しないで! ダーリン! ダーリン!
」
レースのバッグに手を入れた。出したのは包丁。脅しても意味が無いことはわかっていた。近場から刺して道を開けようとする。
薫の傍に行きたくて。
叫び声と呻き声、泣き声が響いた。
──雑音。
血が飛び散り、地獄絵図が広がる。
──穢れた者への制裁。
腕を刺された者、お腹を割かれている者。
──報いを受けろ。
腕から、お腹から、足から、目から血を流す。
──消え失せろ!
無差別に切りつけていく。
真っ黒なゴスロリ、真っ白な肌に返り血を浴びる。
「きひ、きひひひひ! きひひひひひひひ!
」
何が何だか分からなくなっていく笑い声が漏れる。
すべて邪魔だから消してやろうとした。
「やめろ! 遊里! おまえなんか大嫌いだ! 」
地で叫ぶ薫の声がクリアに聞こえた。
その一言で固まる。
力が抜けて、膝をつく。
涙が溢れ、動揺して瞳を彷徨わせた。
「どうして? どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?
あたしを……拒絶しないで」
ブツブツと誰にも聞こえない声で呟き続た。
それを逃さず、軽傷のメンバーが警察に通報し、取り押さられた。
抵抗する気力すらなかった。
──遊里の視界は暗転した。
彼はそのあとのことをよく覚えていない。
──無音の世界。
脱力した彼は警察署に連れていかれたが、尋問しても要領を得ず、警察病院に入れられた。
安定剤を投与され続け、意識を回復したときにはすべてを忘れていた。
一年が経過していた。
──無意識下の改竄。
幸い、死亡者は出なかった。
全員殺したと認識していた遊里は、都合よく記憶からすべてを排除した。
傷害と心神喪失、初犯、そして、未成年だったことから、保護観察処分となった。
今から半年前までの半年間、一時的に少年院で過ごし、問題がないと認識をされ釈放。
監視下の元、生活を始めた。
──家族からの仕送り、連絡の断絶の知らせを受けたのが、このときだった。
毎日報告書を書き、連絡があれば呼び出しに応じる。ルーティン作業。
今のところ優良児として過ごし、性同一性障害を認められ、女性のように過ごせている。
薫に会いに行ったことがバレれば、戻されてしまう。
それでもまだ好きだった。大好きだった。
拒絶されても変わらずに。
改竄し、恋人同士だと思い込んでまで。
──こちらから見えて、あちらから死角になる場所。
アパートは塀で囲まれていたから、致命的な高身長だが、中腰で彼らが移動するのを辛抱強く待つ。
──呼び出しで電話が鳴れば水の泡だ。
外で会うとなれば、どこかに向かうはず。
本当はついて行きたい。
薫から離れたくない。近くにいるだけで胸が締めつけられる。
「ダーリン、愛してる。今は我慢するから、待っていてね」
程なくして、五人は連れ立って歩き出す。
角に移動してやり過ごす。
バレないまま、彼らはいづこへかと向かって行った。
敷地内に侵入。住人を装い、階段を登る。
住所くらいは調べられた。
悠華の部屋の前に立ち、周りに誰もいないこと、出てくる気配がないことを確認。
髪のヘアピンを外し、器用に曲げていく。
鍵穴に差し込み、数秒でがチャリと開けてしまう。
※良い子はまねしないでね※
ゆっくりとノブを回し、中に侵入する。
淡い薄緑色のカーテンとレースのカーテンが開き、陽射しが部屋全体を照らしている。
白を基調とした、さっぱりとした空間。
四角いダイニングテーブル、クッションの利いた丸い背もたれのイス四脚、小さな二人座れるくらいのソファー、型落ち地デジテレビ。
リビングとダイニングキッチン、寝室、トイレと洗面所隣接お風呂。
小さめだが、女性一人なら十二分に広い。
「……キモ。なに? オタクなわけ? 」
寝室を開け、中のフィギュアに嫌悪感を示す。
「全部おなじにしか見えない。いい歳して恥ずかしー。破壊してやりたいけど絶対バレるよね。やっぱりこっち」
レースのバッグを開け、手探りで何かを探す。
見つけたのか、ぴたりと動きが止まる。
手に掴んだままバッグから抜き、しゃがんでベッド裏に手を差し入れた。
座高もあるため、かなりきつい体制になる。
「ふう、一個はここでいいわね」
寝室を出ようとして、わざとひとつ、フィギュアを落としてやった。
「頑丈だこと」
絨毯だったこともあるが、現代のフィギュアは意外と頑丈に出来ている。
だからって叩きつけては行けない。
フィギュアも人形、もしかしたら九十九神になって復讐をしてくるかもしれない。(ありません)
「あとは……ここかな」
今度は高い身長を最大限に利用する。
カーテンレール近くに。
「聞きたくもないけど、あとはここ」
お風呂場でゴソゴソし、出てくる。
「早めに退散しますか。ひとりでこもっていてくれたら楽だったのに」
慎重にドアから出る。
またヘヤピンを出し、鍵穴へ。
奥でカチリと鳴る。
※良い子はまねしないでね※
そのまま足早に階段を降り、アパートを後にした。
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