第18話 協力者

──トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル。


酒瓶と人が好き勝手寝転ぶ、微睡みの空間に響き渡る電子音。


──トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルル……。


「はぁい、もしもーしぃ」


電子音を、少し掠れた可愛らしい声が遮った。


『おはよう、蛯名ちゃん』

「……! は、はい! おはようございます……え? さん?! 」


その声に、酒瓶の間から二人も身動みじろぎする。


とも……? 」

「……奏以? 」


次第に眠気が覚めるが、二人は頭を抱え、上手く起き上がれない。

それもそのはず、周りには十数本の大瓶が転がっている。

通常であれば、100%二日酔いだ。

平然としているのは、蛯名くらいだった。

恐ろしい子! と二人は青ざめながら彼女と成り行きを見守っている。

スピーカーに切り替えた。


「大丈夫、ですか? 」


いきなり電話が掛かってくるなんて思っていなかった。


華代と蛯名が、部屋で必要以上に怯えた姿を見たきり。

それが二日前。

黒田に至っては、青ざめて走り去った姿が最後。

一週間以上前だ。

悠華が薫と出会って、まだ十日しか経っていない。

双方とも、悠華の怯えようは、相当だった。

仕事を休むには長く、回復するには早い。

それに、三人はまだ何もしていない。


今まで、一人きりで立ち直ってきた悠華。

頼ることを良しとしない。

手を差し伸べれば、申し訳なさそうにする。

自ら手を差し伸べることは得意なのに。

自分より他人を優先してしまう。

優しくて、脆くて……──しかし、強い。

他人に親切にし、助力することで、自我を保てる人がいる。悠華がそれだった。

自分のことを考えると思考が止まり、自己防衛本能が働く。処世術のひとつ。

だがそれは、解決には至らない。前進しないからだ。

何度も、何度も何度も繰り返す。

時に、フラッシュバックする。

過去と脳が処理するか、つい今し方起きたように感じるかは、その時々で。


トラウマは根強く、人を蝕み続ける。

身体の傷は消えても、傷の記憶は消えない。

上手く改竄かいざん出来る人もいるが、稀なケースだ。

多くは鮮明に、音まで思い出す。

上手く記憶の底に押しやろうとも、何をキッカケに浮上するかわからない。

大小あれど、辛い過去を持たない人などいない。

それをどう解釈するかで全く違うものとなる。

内容にもよるが、悠華はその都度、理想の自分像を刷り込ませてきた。

だから今の、完璧なサポート役をこなせている。

常軌を逸した自己暗示。


──それを破壊された。


その彼女が今、いつもと変わらない声音で電話を掛けてきたのだ。


『心配掛けてごめんね、ありがとう。私は大丈夫だから。……《薫》くんとも和解したし』

「……え? あの、その、何がどうなって?


理解が追いつかない。





──今から半日ほど前。


一緒に悠華の部屋にいるとき。


「悠華さん、オレは許されないことをしました。ですので、怒ってください」


薫がおもむろに懺悔を始める。


黒田の瞳を箸で眼球を貫く寸前まで突き掛けたこと。

華代を誘拐してしまったこと。


話さないままでいればよかった。

しかし隠していては、ずっと嘘をついてしまっていることになる。

すべて吐露して、再出発に賭けた。


……意外な応えが返ってきた。


「……亜也子は無事なの? 」

「え? あ、はい! 女性に酷いことはしたくなかったので……いえ、連れ去ったこと、縛ったこと、揺さぶるようなことをしたこと、一晩放置してしまったことは許されるべきことではありません。すみませんでした……。あの、オレが戻ったときには、蛯名さんが連れ戻したあとで。たぶん、黒田さんも一緒だったかもしれません」


包み隠さず話した。ある一点を除いて。

華代自身が何らかの理由で、悠華に話さなかったこと。

それは、本人が順序だてて話すべき事柄だからだ。


「そっか、わかった。今度一度、みんなで会おう。謝るべきは私ではないよ。亜也子本人に謝って。黒田……にもちゃんと謝ろう。やり過ぎたって反省しているのなら」

「はい……」


拒絶されて、軽蔑されておかしくない話。

散々怖がらせてしまったのに、悠華は優しかった。

この人を好きになってよかった、そう思えるほどに。

大切な友人に手を出した。それだけでも、怒られて然るべきだというのに。


他人を許すことが出来なければ、自分を否定しているのと変わらない。

他人を許せる人は──自分の中で自分を否定している人。


「……私のせいだから。私が薫くんに向き合おうとしなかったから、薫くんはどうにかしたくて間違ってしまったんだよね。でも──人殺しにならなくてよかった」

「な、んで……。オレが悪いんです! ごめんなさい! 」


薫が起こした凶行ですら、自ら背負おうとする。叱るのではなく、諭す。なだすかす。

頭ごなしにあれがダメだ、これがダメだと決めつけない。やってしまったなら、どう改善していくかを考える。

無理矢理にでも前向きに考えなければ沈んでしまうから。

完全にパニックになる前に、完全に落ちる前に、まだ頭が動く内に、自己暗示をする。

そうやって自分を偽り続け、自然を装った笑顔ペルソナを作る。

なんでも自然に、滑らかに、他愛なく、日常の普通を装う。


笑顔は時に優しく、時にうそぶく。

真実をかたり、嘘をかたる。

なにが正しくてなにが間違っているのか。

そんなことはだれも知らない。

悪い人が悪い? その基準は法律? 自分?

法律に寄り掛かり、依り代にする人。

自分の見解に基づく人。

人の数だけ考え方があって然るべき。


「私もだけど、話してみないと理解も得られないものね。向き合うことは大事だよね。話しても腑に落ちないかもしれない。でも、一歩踏み出す勇気は大切だと思う」


諭すように、自らを戒めるように。


「はい、そうですね。謝りたいです。許してもらえるかわからなくても、伝えたいです」


薫の頭に最初に浮かんだのは黒田。

彼は好きになれそうにない。おなじ人を好きな男。

負けたくなかった。むしろ、勝ちたい。

そんな気持ちがメラメラと炎のように揺らめく。

しかし、そんな相手ほど和解して損は無い。


次に浮かんだのは華代。

勢いで誘拐してしまった負い目。

女性に酷いことをしてしまった後悔。

『悠華が選ぶなら』と譲歩してくれていたのに、あの時応えられなかった。

冷静なつもりで、冷静ではなかった。

悠華が自分を拒否しないように、友人を取り込もうとした。最低だ、そう今更思う。

だからこそ、謝りたい。


最後に浮かんだのは、一番読めない蛯名。

小柄でふわふわしていて掴みどころがない。

どこにでもいる、オシャレ女子。

傍から見たら男が放ってはおかないくらいの美少女然とした。薫には興味はない部類の。

それが盲点だった。

あんな短時間で華代を見つけ出す手腕。

只者ではないのは確かだった。

あの時は選択肢を間違ったと思ったが、逆に押し負けていたかもしれない。

分からないが故の未知数の能力。

どんな人間か、興味が湧いた。純粋な好奇心。


彼らはそれぞれの分野に長けた能力がある。

悠華を守る、その共通点だけでは協力出来るはずだ。

敵意があるわけではない。ある意味ではあったけれど。

敵に回したくはない。





──待ち合わせは、悠華のアパート前。


バッチリメイクの蛯名。

酒の抜け切らない黒田、華代両名。

いつも通りの悠華。


そして──白ロリ姿の見た目完璧美少女の薫。


異様な空気の五人が揃った現状。


「ホントに……男の娘なんですね」


第一声は、元気な蛯名だった。


「はい、宜しくお願いします」


可愛い女子声で対応する。


「マジであのときの? いや、顔マジでおなじだけど声……」


マジを繰り返し、二日酔いに悩まされながら口にする黒田。


「これは……キャラ作り完璧だわ」


こちらも二日酔いで動きが怪しいが、なんとか猫背にならないように立つ華代。


「二人とも大丈夫? 顔、青いけど」

「「二日酔い……」」

「腹割って話そうってうちで話してたら、お二人、思ったより弱かったんですよね」

「おまえが……強すぎるんだよ」

「蛯名ちゃん、日本酒大瓶何本空けたと思ってるの……」

「ああ、全部なくなったので、帰りに補充しなきゃですね」

「「そういう話じゃない! 」」


ノリがコントになっていた。


「あれ? 黒田と亜也子は同期だからわかるけど、蛯名ちゃんとそんな仲良くなったの?


首を傾げる悠華。


「悠華ぁ~」

「奏以~」


天然天使に突っ込むより、二日酔いからの癒しを求めてにじり寄る。

抱きつけたのは華代だけだった。

災難をこうむった黒田。

薫に顔面を鷲掴みされ、蛯名に食い込むほど肩を掴まれ、静止した。


「いだいいだいいだい!! 」


二日酔いにダイレクトに響く。

謎の連携プレイに、二人は親近感を覚えたかに思えた。


「……見た目と違って、力があるようですね」

「そちらこそ、か弱そうに見えてお力がありますね」


バチバチと、手を離さず、むしろ、更に力を込める二人。


「ぎゃああああ!! もう離せえ! 離してくれええええ! 」


メキメキと今にも聞こえそうな勢いだ。


「ふ、二人とも! 黒田が死んじゃう! 」


華代を抱きとめながら、慌てて静止を掛けた。


「「はい、わかりました」」


見事にハモり、一気に手を離す。

解放された黒田は、その場にへたりと膝をついた。

そんな黒田を無視し、徐に薫が口を開く。


「──皆さん、すみませんでした!


深々と頭を下げる。


「……まずは、黒田さん。あのときはすみません。まだ諦めたくない矢先に邪魔だと、咄嗟に攻撃に出てしまいました」


地の声に戻り、謝罪した。


「あ、いや、いいよ。あのタイミングで言った俺が軽率だったって反省してる。……先端恐怖症だったらヤバかったけどな」


薫の手形がクッキリ残る顔でにかっと青ざめながら。

意外な返答に、失笑する。


「……本当に嫌な人ですよね。人が良すぎて虫唾が走ります。オレ、あなたみたいな人好きじゃないです」


思わず本音が零れるが、目元は優しく、口は笑っていた。


「お? 本音が出たか。ま、好敵手ライバルだもんなあ? 」

「あなたなんかに負けるつもりはありませんよ」


にかっと返せば、ふんっとそっぽを向く。

そして、華代に向き直る。


「華代さん、あなたには本当に申し訳ないことをしました。許されないとは思いますが、謝罪させてください」


黒田より深く頭を下げる。


「え? ああ、いいわよ。あなたみたいな子、よく取材してたから気持ちわからないでもなかったもの。……必死で可愛いって思っちゃったわ」


華代は悠華から離れ、薫に近づく。

彼女が口を開いた瞬間……。


「大丈夫です。悠華さんにはは話していませんから。弱みを握ろうとしてすみませんでした」


他の三人には聞かれないように耳打ちされた。


「ホント、可愛いわねえ! アハハハ! つぅっ」

「亜也子! 」


透かさず、悠華が駆け寄った。


「俺には? 」


情けない声は届かない。


「蛯名さん、あなたにもご迷惑をお掛けしました」

「私ですか? 全然? むしろぉ、私の実力に興味深々なんじゃないですかあ? 」


ニヤニヤと煽る。


「はあ、あなたもいい性格してますよね」

「お褒めに預かり光栄デース! 」

「褒めてませんよ」

「わかってますよう? 黒田さんくらいですって、わからないのはあ」

「俺を引き合いに出すな! 」

「確かに一番引っ掛かりそうですね」

「うるっせえよ! 」


そんなやり取りに、みなで笑い合う。

……簡単なことだった。

薫は、彼らの大人の対応に苦笑いをする。


「ね? 大丈夫だったでしょ? 」


優しく微笑む悠華に、胸が締めつけられる。

たぶん、一番の策士は彼女なのだろう。

みなの性格を知っていて、背中を押してくれた。輪の中に入れてくれた。

……でも半面、それが脆く感じもするのだった。

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