第12話 中学生の蛯名

━━三人で飲み明かす。


ビジネス枠内での気安さから、プライベートでの打ち解け。

飲みながらも、黒田弄りは増すばかり。

蛯名は見掛けに寄らず、料理上手だった。


アボガドの揚げ物、チーズの揚げ物、ミニ春巻きの揚げ物、砂肝の柚子七味煮、牛蒡金平、素揚げ塩銀杏、鰤のなめろう、鶏胸肉と大葉の炒め物、塩辛じゃがいも。

✱レシピは、酒のツマミ手料理検索で♡♡✱


お酒は、まさかの芋焼酎、魔界への誘いが出てきた。奥からさつま白波も取り出す。

赤霧島、黒霧島、魔王、茜霧島、赤兎馬、華奴、天使の誘惑、さつま島美人、白玉の露。

何故か納戸が芋焼酎で埋まっていた。

渋い趣味の23歳。


聞けば、


「祖父のコレクションです。無くなれば補充しますけど」


納得とともに、やっぱり飲んでいた。


出し過ぎだと思っていた酒瓶が、大瓶で空いていく。

黒田はヤバいとついている、地デジを振り向いた。


──21:33。


今時珍しく、スマホを時計代わりにしない。

確認し、飲み慣れない芋焼酎、これ以上はヤバい。


「おまえら! こんだけ飲んだら明日響くぞ! 」


慌てて叫ぶと、


「まだ、時間早いじゃない」


気だるげにスマホを確認する華代。

蛯名はスマホを操作し始めた。


━━トゥルルルルルルルルル、トゥルルルルルルルルル。


「あ、夜分にすみません。蛯名です。はい、はい。えっとですね、今日は看病してるんですけど、明日は病院付き添おうって話になりまして。はい。ですので、明日は黒田さんともどもお休みでお願いしマース。そうなんですよ、ちょっと動けないみたいで。症状的には軽そうなんですけどね。え? はい、その件は伺っていますので、明後日、お伝えしてもいいですか? ……ありがとうございます‪! はいはい、そこはバッチリです! はい、お疲れさまです! 失礼します」


通話を切ると、蛯名はドヤ顔をした。


「これで飲み明かせます」


黒田だけでなく、華代までも、蛯名だけは敵に回したくないと思った瞬間だった。


蛯名氏、立場最強。


「……それに、お酒でも飲まなきゃ話せないですから」


……そう、次は、蛯名の番。


「私が……──奏以さんを知ったのは、私が中学生のときでした」


琥珀色に光る液体のはいった厚みのある歪なガラスのグラス。部屋中を写し、カラフルに彩られて鈍く光っている。

唇に当てたまま、口を開いた。


「あの時の私は、絵に描いたような地味な子どもでした。真っ黒い髪に、瓶底メガネ。勉強だけが友だち、と言っても過言ではありませんでした。趣味は在り来りな読書。夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外、三島由紀夫、川端康成、太宰治、谷崎潤一郎、島崎藤村、中原中也、泉鏡花、国木田独歩、梶井基次郎、与謝野晶子、石川啄木、小林多喜二、田山花袋、二葉亭四迷、志賀直哉、坂口安吾、正岡子規、林芙美子、江戸川乱歩、北原白秋、高浜虚子、菊池寛、樋口一葉、宮沢賢治、中島敦、有栖川有栖……」

「待て待て待て待て! そこは端折れ! 」

「え? まだ有名どころのラインナップですよ? あ、黒田さん、本読まなそうですもんね」

「読まねえよ! だが、名前くらいは知ってる! おまえが文学少女してたのはわかったから! 」


蛯名はバカにしたように溜息をつくが、直ぐに瞳を伏せた。


「まあ、本しか読んでいなかったので、コミュ力が皆無だったんです。だから……──イジメにあったわけです」


ぐいっと中身を飲み干し、


「最初は気が付かつかないほど些細でした。シャープペンが1本無くなるとか、カバンが落ちてるとかそんなです。でも、相手側からしたらイライラだったようで」


溜息をつくと、慣れたように大瓶を掴み、手酌をしようとした。


「蛯名ちゃん、あたしが入れるから! うら若い女子が手酌とかやめて! 」


将来を危ぶむ姉の気分になったのだろう。

見た目だけなら、引く手数多の可愛い美人。

蓋を開ければ、知識過多の脳構造をしている。瞳に映るものはすべて数値化されていた。料理も食べるものさえも細かく数値化してしまっている。

表面をいくら繕っても、いづれ溢れてしまうだろう。彼女の知識は日々膨張し続けているのだから。

無機物は裏切らない、そう瞳は物語る。

けれど、心底では、誰かに理解されたいともがいて──執着したのだ。


「ありがとうございます」


歪なグラスに乳白色が注がれる。


「……次第に上履きが無くなり、体操着が無くなり、机が無くなりました。まあ、また体への被害がないだけよかったですね。そこまでは。お分かりのように、そういうのって、抗議してもしなくても悪化するんですよ。泣けば喜んで続けるし、無視すれば無視できないようにヒートアップするんです」


表情の変化なく、グラスに口を再びつけた。


「……よくわかんねえけど、イジメって虐められる方にも非があるって言われても聞いちまうとなあ」

「あたしのころはわかり易かったから、対処方法が安易に浮かべた。それが黒田の世代に伝わった。だけど、それは現状を知らないから言えるだけなのよね。まだ、教師にまともな人がいたってだけ。気の小さい子に実行する勇気を強要すること自体、間違っていたのよ」


遠くを見つめる華代。

何かを思い出すかのように。


「そうですね。でも、私は弱いわけじゃなかったんです。腕力はないですけどね。今と変わらないのは、口が達者だった。今と違うのは、伴った知識が足りなかった」

「……もしかして、あんな感じで? 」


弄り回されている自分の姿を思い出す黒田。

彼にはそんな嫌ではない。悪意がないからだ。


「ちょっと違いますけどね。肝の座り方は変わらないかと。クラスメイトは言っても無駄だと思いました。面倒なことに、担任まで私を糾弾したんですよ。『周りに合わせないお前が悪い』って。まあ、冷めてはいたと思います。クラスメイトが幼く見えてしまって。流石に言っちゃったんですよ。『先生ってクズだったんですね』って」

「……気持ちはわからなくはないが」

「普通、言わないですよね。なので、予想に反せず、殴られました。その合図を待っていたかのように、クラスメイトからの暴行が堰を切ったように毎日続きました。『顔は止めよ、バレる』、そう誰かが言って、体を殴られ続けました」


蛯名の表情からは、当時の状況を想像出来ない。しかし、進むお酒。下手なことは言えない。


「……何も言わずにいてくれてありがとうございます‪。性的なことはされてませんよ。でも1回手を出したら、歯止めがきかないものです。大人ではないですから──学校外でも行われるようになりました。人目をはばかる理性はあったようで、路地裏とか誰も来ない場所に連れて行かれました。何度目だったか──たまたま女性が通り掛かったんです」

「……それが、悠華ともか? 」

「はい、今私が23なので、ですね。今でも覚えています。『何してるの!? 』とおっしゃられた瞬間、慌てて彼らは逃げようとしたんですけど、狭い路地裏だったのもありましたけど、奏以さん、逃がさなかったんですよ。突破しようとした一人を足を掛けて転ばせて、押さえ込んで、残りをつなぎ止めました」


華代がふいに蛯名のグラスを持っている手に触れる。


「本当に──本当に悠華だったの? 」

「え? はい、そうですよ? 」

「あたし、そんな悠華知らないわ。子だったのよ? 」

「人は多少は変わるものでは無いですか?

「そう、だけど……」


華代は腑に落ちないまでも、手を離した。

蛯名は華代を気にしながらも続ける。


「……奏以さんは、私を見てから彼らに向き直りました。話を聞き出そうとしました。聞いても明確な理由なんて出ませんよ。ハグレモノを憂さ晴らしにしていただけなんですから。だからといって、お腹や背中を蹴ったり殴ったりはやり過ぎでしょうね。お陰で、痣が中々消えませんでしたよ」


イジメの理由なんて、紐解いたら大したことがない。そんなものが多い。

単純で、根深い。なのに純粋だったりするから、罪の言及逃れをする。話を聞かないくせに、抵抗しない方が悪いと責任転嫁をする。

教師は体裁のために強者側につく。若しくは知らぬ振りをする。下手な正義感は身を滅ぼすから。

ただの子供ならば教師が諌めることも出来たろう。しかし、今はバックがうるさい時代。立ち行かない。


「話を聞いただけで、中身がないことはわかり切っていましたよ。だからって、そんなヤツらのために出席日数を減らす訳にはいきませんでしたから。奏以さんは言いました。『私には意味が無いように思えるわ。あなたたちはそんなことしての?

ゲームとか好きじゃないの? イベントとかデイリーとか、アプリとかやりたいこといっぱいでしょ? こんなことして、親御さんに見られたら、言い訳してきたの無意味にならない? 時間は有限だって知ってる? 大人になってもやりたい? 今のうちに止めないと……あなたたちもいづれ、彼女のように虐められる立場になっちゃうよ。今言っていたあなたたちの理由、それをいざ立場が変わって言われた時、って我慢していられるかな? 出来ないよね? 言っちゃうよね? ──でも、んだよ? 耐えられる? 』って」


イジメはいつの時代にも形を変えて存在し続ける。なくなることはない。

中身が空っぽな理由しかない場合、大人にいい子ぶりっ子して、手の平返しをする。


「皆それぞれ、イヤだとかもういいやとか言って……私を見ないでバラバラに帰っていきました。奏以さんはもう、止めませんでした。奏以さんは私にも言いました。『大人だからだなんてことは言わないよ。いつか、おなじ立場の子を守ってあげられる人になってね』と。……そのまま行ってしまいました。あの時は、名前も知らないお姉さんでした。お礼も言えなかった。少しばかり……余計なことをされたとも思ってしまったからかもしれません。彼らは、次の日からビックリするほど誰も何もしなくなりました。逆に話し掛けて来たんですよ。何事もなかったように、ね」


暴力が躾でも問題視される時代に、それでも暴力がなくならない。死角はいくらでも存在する。


「……もう、痛くない? 」

「何言ってるんですか? もう十年前ですよ? ……心配させるような内容ですみません。あ……」

「どうした? 」


笑顔に戻ったのもつかの間。


「……そういえば、気になったんです。私が何も言えなかったのは反抗心だけではなくて──奏以さんのにちらほらとが見えてしまったのを、思い出しました。彼女は現在進行形でに暴行を受けていたから、私を放って置けなかったんじゃないかって今なら思えます。私が奏以さんを守りたい引き金はそれだったのかもしれません」



──少しづつ繋がっていく悠華の過去。

2人の人生に大きな足跡を残した彼女は、何故あんなに気遣いが出来るのか。

疑問ばかりが浮かぶ。

人の心に正解はない。矛盾だらけで構成されている。

それを受け入れるには、それ相応の何かが……。


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