第11話 歩み寄り
「……やっぱり貴女は優しい人です」
嬉しくて歪みそうになった口を抑え、通常の笑みに変えた。
本気の笑みは
居酒屋のときに怯えられ、逃げられた。
感情を抑えて笑うと少し赤らめていた。
脈がないわけじゃない。
怖がらせないようにしないと。
悠華さんは優し過ぎる人だ。
オレが知っているのは氷山の一角。
いくら調べたって心まではわからない。
「私はただ……会話もしようとしないで逃げてしまったこと、謝りたくて」
謙虚過ぎる。俯く姿がゾクゾクするほど愛惜しい。
所作ひとつひとつがキラキラして見える。
これがフィルター効果とわかってはいても。
「オレは……オレを知ってもらおうと焦って、困らせてしまいました。だから、オレが悪いんですよ。ごめんなさい」
「違うの! 」
初めて叫んだ悠華さんにびっくりした。
泣きそうな、必死な顔。目が離せなかった。
瞬きもせずに見惚れてしまう。
「薫くんは薫くんなのに……無意識に重ねてしまった私が……悪いの。ごめんなさい」
自分の中に冷えた感情を感じた。
彼女を蝕んだのは誰だ?
殺意にも似た感情が、冷たい炎のように湧き上がる。
消してやりたい。
「……ごめんね。なんて言ったらいいか」
ハッとした。笑顔が消えていた。怖い顔をしてしまったんだろう。迂闊だった。
ダメだ。悠華さんを不安にさせたくないのに。
でも、今考えたことを口にすれば、彼女はまたオレから走り去ってしまう。
それだけは嫌だ。やっと歩み寄ってくれたんだから、彼女の速度に合わせてこちらも歩み寄ればいい段階になったんだ。
また離れたら、もう歩み寄れなくなるかもしれない。
「いえ、すみません。せっかくお話してくれているのに考え事をしてしまいました。話せたのが嬉しくて……」
嘘をついているわけではないけれど、本心を隠した。
オレには何が正しいかはわからない。
でも、今は不安になりそうなことは言ってはならない。それだけは確信に似た何かを感じる。
「……そう」
信じても、腑に落ちないのだろう。
彼女を追い詰めたのは、男だ。
それは聞かなくてもわかる。
居酒屋から血相を変えて、あの男を連れて出たあと、オレも慌てて追い掛けた。
威嚇してやるだけのつもりが、彼女を怯えさせてしまった。あまりああいうことや、言葉は言ってはならない。
言語の自由にも限界がある。興奮しすぎたかもしれない。
追い掛けた先で、男が置き去りにされ、足をもつれさせながら走り去る彼女を目視した瞬間、足が止まった。
嫌われたと絶望した。何とか、何とかマイナスからの回復をと焦った。
TwitterのDM、送ってから焦り過ぎたことに気がついた。……既読にならないのに、延々と自分の言い分ばかりを綴った。
既に、彼女に会いにいく前から間違っていた。でも、そうでもしなきゃ、彼女が誰かわからないから。
解析ツールを使い、投稿写真、ツイート時間、ツイート内容を細かく分析をした。
大概の人は見ているだけで個人を特定出来る。平気で自画像を載せるし、学校名まで乗せている人もいる。自ら個人情報を垂れ流している人が多い。近所の写真、旅行以外でも行動範囲なんかもわかりやすい。
しかし、悠華さんは分かりにくかった。趣味の画像を載せ、その感想を述べたり、好きな絵師にいいねしたり。最初は大体似通った画像から、好きなキャラクターの特徴がおなじだなって思った。コスプレや女装の参考にする程度だったのに。
彼女以外全員がオレに興味を持って、接触してきたから、かもしれない。
逆にそうしない彼女に興味を持ってしまった。毎日の行ってきますの時間、ただいまの時間。残業の有無。社会人だと知るのは容易。逆算から始めていた。ただ他人の日常を知りたかったのかもしれない。
外食の写真から、行ったお店を割り出すのは簡単だった。いくつかのお店から行動範囲を割り出した。そこからただいままでの時間を逆算して、逆算して。仕事終わりの時間からの距離の算出。同じようにすれば……──会社を割り出せた。
ここまでは普通の検索でいける。
あとはハッキングして社員名簿を閲覧。
可能性の高い人の割り出しは容易だった。
あの会社の人数が十数人しかいなかったから、女性の人数は更に絞られる。
使用SNSを割り出したら、趣味がすぐにわかる。仕事には出さない部分をさらけ出す場でもあるから。
……あの中で、1番趣味がわからない女性は1人だけ。それが悠華さんだった。
あとは社員名簿から写真を抜き出すだけ。
清楚な美人。見た目の印象はそれだけだった。この人が美少女キャラクター好きにはあまり思えなかった。見た目ではわからないものだけど。
ここまで調べてなんだけど、まだ興味だけで、所謂、どんな人なのか知りたくて──ひまなのもあるけど──観察していた。
いつも誰かといた。1人になるのは出退勤くらいで。たまに、あの三人の誰かと一緒だったくらい。他の人より頻繁に。
会話の内容から、仕事のメインは相手方のようだ。彼女はサポート。だけど、あんなに的確にサポート出来るなら、メインも出来そうなのに、ただただサポートを完璧にこなしていた。立て上手なんだろう。
その姿を追ううちに、彼女ならオレの内面を見て、真正面から向き合ってくれるんじゃないかなって思い始めた。
そのうちに、もっと知りたいって気持ちが溢れてきて──いつの間にか、好きになっていた。だから、行動に出ていた。
いきなり告白なんてって今なら思う。
彼女の好きな美少女キャラクターの格好、仕草、声まで研究して。
相手に合わせるなんてして来なかったのに。
悠華さんの好きなもの、詰め込んだら喜んでくれるかなって。
案の定、警戒しないで対応してくれた。
ズルいことした自覚はある。
でも、導入がそこしかなかったから。
女装はしてきたし、抵抗はない。寧ろ好きだった。
キッカケはどうあれ、ね。女装が似合って結果オーライ。
今こうして目の前に悠華さんがいる。
偏見なしに向き合おうとしてくれている。
あれだけ怖がらせたのに。
そんな人はなかなかいない。……逃したくない。
「悠華さんは──なにかして欲しいことないですか? 」
どうしたら好きになってくれますか? なんて聞けない。希望を叶えられる男になりたい。
「え? 」
「何か事情があったんですよね? 貴女が嫌がることはしたくない。だから──されて嬉しいこと、教えてください。何があったんですか? なんて野暮なことは聞きません。貴女が話したくなるまで待ちます」
我ながら、テンプレな常套句だなとは思う。
どこかで使い古されたような。
こういう時、なんでもっと気の利いたこと言えないんだろうって思う。
「その……わからないの。気を使ってくれてるのは嬉しいんだけど、そういうのわからなくて」
ああ、この人も不器用なんだな。
「すみません。また困らせてしまいました。少しでいい、お話する時間を今日みたいに作ってくれたら嬉しいです。またお食事やお茶してくれるだけで」
きっと順番を間違えたんだ。
優しさにつけこみたくはないけど、利用出来ることは利用しないと、振り向いてもらう以前だ。
……今からでも、遅くはないよね?
━━オレは既に、許されざる犯罪をいくつも犯していたことなど忘れていた。
ハッキング、傷害未遂、誘拐、不法侵入。
半無意識、或いは、重要視していないかもしれない。潜在意識下では犯罪として認識してすらいないのかもしれない。
しかし、彼は複数いることを知らない。
知ったとき───。
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